日本人の労働力は、1960年代から90年代には大きな生産力を発揮しました。この時代は、消費者も3種の神器などの均一なものを望んでおり、大量生産が極めて正しい経営戦略でした。人は成功体験を繰り返すことにより、その評価形態を受け入れます。成功体験と働き方、そして評価形態が一度固定化すると、なかなか変えることができないようになります。高度成長の時代とは変わった現在、新しい働き方と評価形態が求められています。完璧にできあがっている高度成長時代の仕組みを、今の社会にどうやって入れ替えるかを試行錯誤している先駆者がいます。新参者は男性にくらべ女性のほうが否定的に評価されがちです。男女が短い時間で勝負するには、今の評価や報酬の形態が壁になります。女性の利点を生かすには、それ相応の時間とスキルアップが求められます。従来の概念にとらわれない働き方を行うために、必要な情報を周知徹底することになります。
ある企業では、同じ成果を上げた場合、育児女性がいるチームが表彰されるのです。この企業の面白いことは、女性の入っているチームが前期で成績を達成した場合、後半はハワイ旅行に行ったということでした。チーム毎に行われる表彰の評価の基準は、一定の労働時間を超える人が一人でも出たら表彰の対象外にするのです。高度成長期の評価基準とあまりにもかけ離れたケースになっています。この基準が、女性の働く能力を向上させているのです。また、ある生命保険会社では、業務にかけた時間がある一定より長いと、評価がマイナスになってしまうのです。業務にかけた時間がある一定より短いと、プラス1が入るという仕組みです。営業成績が1位だった人が、生産性ポイントを加味すると2位になる逆転のケースも出てくるわけです。生産性の高いチームに共通するのは、「心理的な安全性の高さ」にあるようです。
現在の日本では、年間300人以上が殺されています。西洋の14世紀には10万人あたり40人も殺されていたが、20世紀の終わりにはし3人に減少しています。10万人あたりにすると、日本は0.25人の殺人が行われていることになります。犯罪人類学によると、原始的社会では社会の15%ほどの人が暴力で殺されていたとのことです。サルの前脳にあるセロトニン作動性線維を取り除くと、攻撃行動が増加します。セロトニン放出量が少ないほど、反社会的衝動的になる傾向が犯罪者と男性に見られます。他者を認めない排他的な犯罪者の精神は、不安定な自分に根ざしています。生物は基本的に他者を攻撃するよりも、自分の生命を防御することが優先されます。ということがわかれば、安全で安定した環境を用意すれば良いことになります。心理的な安全ということは、時代を問わず重要なことになるというわけです。
少し前のことですが、2013年4月にはワースト1位だった横浜市は、待機児童ゼロを実現しました。無理と言われた待機児童ゼロの目標が達成できたのは、現状のミスマッチを改善したことでした。1~2歳の子どもが入所できる施設が少なく、4~5歳児の入所枠は空いていたのです。まず、市内の300カ所近くある幼稚園には、一時の預かり保育の充実をお願いしました。次に、ミスマッチをすべて洗い出して、ニーズに合ったマッチングに制度を直していったのです。交通の便の関係で、一部の保育所ばかり希望者が集中していました。この保育所の近くの幼稚園などに支援を求めたわけです。国定める認可保育所をつくるのは困難なので、市独自の基準を満たす保育所を拡充して、待機児童ゼロを達成していきました。素早く住民のニーズをくみ取る手法には、感心してしまいます。蛇足ですが、現在コロナ禍の影響で、首都圏から周辺部に住居を移動する動きがあります。一般に、コロナ禍を避けて移動する人々は、経済的に余力のある方たちです。これらの人材を獲得する市町村の戦術は、良い保育所や学校を用意することになります。住宅を斡旋する業者のかたと役所、そして教育機関が連携して受け入れる仕組みを整える仕組みを整えることです。有能な人材は、地域の振興を支援します。そして、確実に住民税を収める住民になってくれます。
社会の動きを知るためには、瞬間ではなく継続した観察が大切になります。バルザックはついに、全社会を横断していくスタイルとしての小説を編み出しました。オノレ・ド・バルザックは、19世紀のフランスを代表する小説家です。彼の小説世界の中には、2000人の人物を登場させています。彼の作品の特質は、上流階級と下層階級を併せ書くことでした。当時の上流階級の没落と新興階層の相克が、時代背景とともに明瞭に分かる小説になっています。また、当時の農民の姿を理解するならば、バルザックを読みなさいと言う経済学者もいました。この時代の流れを捉えながら、多くの人々の生き方が描かれています。目標に向かう道は一つではなく、一つが無理なら別の道を探せば良いという見方もあります。もっとも、素晴らしい芸術を生むには、センスや情感に加え徹底した心身の訓練が不可欠だということもわかります。
経営者は、苦労や負担が多い半面、精神的にはかなり自由です。経営者の優先順位が具体的にあらわれるのが、お金の使い方になります。彼らにとって、お金を集める募金活動をするより、お金を寄付する方がずっと効率が良いのです。自分の一番得意なことで金を稼ぎ、たくさんの税金を払った方が社会に貢献できるという経営者もいます。心理的安全性の高い職場をいかに確保するかが、彼らのマネジメントのすべてになります。得意なもの持つ従業員には、彼を信じて任せることも、このマネジメントの一つになります。一般に、「ホウレンソウ」は部下から上司に行うものですが、上司から部下へ流れるほうが効果を上げることも知られるようになりました。プラスになるものは習慣化し、マイナスになるものはしないようにすれば、生活も仕事も向上していくようです。
幸福には、一つの形があるわけではないようです。仕事を続けてできる楽しさよりも、仕事を辞めてできる楽しさの方が大きくなるケースもあるようです。お金はあったほうが良いのですが、その上でもっと大切にすべきものを重視すれば良いという人もいます。甘い昧だけがいい味なのではなく、コーヒーの苦みや渋みなども、大人の昧の豊かさの一部になるようです。楽しさを上手く味わうためには、計画的でなければなりません。今が楽しくないのは、ずっと以前に楽しさの種を蒔かなかったせいなのです。楽しさを形づくるためには、ある程度準備期間が必要です。これは、1年とか5年とか年数かけて作り上げるものになります。幸福の基準は、個人の姿勢、人間関係、社会との関りという3つの要素の複合形態の中に見いだされるようです。