1月8日、日本政府に旧日本軍の元従軍慰安婦への賠償を命じたソウル中央地裁判決がありました。原告12人に1人当たり約950万円を支払うよう日本政府に求めたものです。茂木敏充外相は、「国際法上も2国間関係上も到底考えられない異常な事態」と述べています。日本国民の多くが、韓国の裁判所に違和感を持っています。そこで、韓国の司法や裁判所について、調べてみました。
韓国の権威主義時代の朴正熙、全斗煥政権の時代(1961年から1988年)は、政治犯罪のでっち上げなどが日常茶飯事でした。この理不尽な時代には、韓国の裁判所も権力の意向に沿った判決を量産していたのです。韓国が民主化するまで、「権力の言いなり」だったという韓国司法の特殊な事情があります。全斗煥政権までの強圧的な政権下で抑えつけられてきたものが、民主化によって一気に噴き出した事情があったのです。近年になって、最高裁の判事は、裁判官が正しい姿勢を守ることができなかったこともあったと認めたのです。最高裁判事が、憲法の基本的価値や手続き的な正義に合わない判決を宣告したこともあると認めたわけです。冷戦も終わり韓国も民主化されて、政治的な活動が完全に自由となりました。政治の自由化にともなって、裁判所も自由な判断ができるようになってきたというわけです。司法において、過去の過ちをあるがままに認める裁判官が出てきているのです。過去を反省する勇気と自己刷新の努力が必要だとする裁判官がでてきたということです。
とは言え、日本とは違う法律に対する感覚があるようです。条文に書かれた文面を重視する日本に対し、韓国は「何が正しいのか」を問題にする傾向があります。近年の韓国は、「正しさ」追求の姿勢を対日外交に平気で持ち込むようになりました。道徳的に正しくないのであれば、事後的にでも正すことが正義であると考えるわけです。さらに、道徳的正義は、追求しなければならないという姿勢をとります。正義の観点から強い異議を出すことに対して、韓国国民は誰もそれを止めるための労力を使おうとしない傾向があります。条約などの国際的取り決めに対しても、「何が正しいのか」というアプローチが目立つようになりました。国民の道徳的感情が、憲法の解釈を変えてしまう韓国という隣国があるようです。
その韓国民の情緒は、どのような特徴があるのかを深堀してみました。韓国は、血縁を中心とした集団主義社会です。韓国人の社会構造は、家族、血族、親族、地縁や学縁、一般の知人へと広がるウリの人間関係があります。家族などのウリの中では、札儀や伝統的な拘束力を持つ道徳が厳格に守られているのです。ウリの関係になった場合、頼み事はなかなか断れない関係になります。このウリの人間関係の外側は、ナムと呼ばれる人間関係があります。ナムはある意味で、自分とは無関係な人、赤の他人というレベルの人間関係になります。ナムの関係の場合、「ダメでもともと」的な頼み事が多く出てきます。ナムの頼みや依頼は、断っても問題がありません。また、断られても当たり前だと割り切ります。韓国人は、ウリに対しては非常に道徳的で礼儀正しいのです。でも、ナムには排他的で無礼、そして冷淡です。韓国では新政権が誕生すると、大統領は中枢にウリを配置して政治を行います。ナムに対しては、容赦のない政策を行います。
韓国は1950年の朝鮮戦争以来、連合軍によって治安の維持がはかられてきました。連合軍の中心は、アメリカ軍でした。アメリカ軍は、治安維持の観点から対日協力者だった保守派を軍政庁要員として登用したのです。行政能力があり、治安や産業振興を行う実行力があったからです。この冷戦時代には経済や安保両面において、日本との関係は韓国にとって死活的に重要なものでした。この当時の治安や産業振興を担った勢力が、既得権勢力といわれる人たちになります。既得権勢力は「保守派」を指し、財閥や保守政界、保守派のメディアが代表格になります。この保守派と日本の企業の中には、ウリの関係を築けた人もいたようです。いわゆる日本通とか韓国通と言われる人たちです。でも、日本との良好な関係を維持しなければならないという切実さは、韓国社会から失われてきました。既得権勢力の対局には、民主派と言われる人たちがいました。対日協力者の保守派に対して、朴正熙や全斗煥政権の時代に弾圧されてきた人民主派の人々がいます。民主派の人々は、戦前の対日協力者問題の清算が不十分であったという認識を持っています。「親日派」問題が、繰り返し提起される背景がここにあります。
文大統領の周辺には、保守派を敵視する民主派の原理主義的な人たちが少なくないのです。この原理主義とは、日本の企業はウリの関係は築けなかったようです。民主派と日本の企業は、ナムの関係が現在も続いているということです。ナムの関係の場合「ダメでもともと」的な頼み事は多いのです。まるで、ソウルの裁判の判決を見ているようです。ナムの頼みや依頼は、断っても問題がありません。ナムには排他的で無礼、そして冷淡です。この部分は、政治の分野での解決は難しいようです。
韓国の裁判所の流れを見てきましたが、日本の裁判所はどうだったのでしょうか。権力の向き合い方は、その国の習慣や伝統によっていろいろのようです。1957年7月に、米軍基地内に立ち入った学生や労組関係者ら23人が逮捕された砂川事件がありました。1959年3月、デモ隊指導者7人が日米安保条約に基づく刑事特別法違反の罪に問われたのです。東京地裁の判決で、伊達秋雄裁判長は、被告7人全員に無罪を言い渡した。米軍駐留を認めることは、政府の戦力保持にあたり憲法9条に違反するとの初判断を示しました。これには、当時の日本政府もアメリカ政府も驚きました。当時の日本における米軍基地は、冷戦の最前線にあたります。この基地が使わなくなれば、冷戦の戦略に大きな齟齬をきたすことになります。このときこの判決の2審や3審の見通しをアメリカ大使に、当時の田中耕太郎最高裁長官が漏らしていたのです。田中長官は、マッカーサー駐日米大使と非公式の会談し、判決の見通しを示唆していたという文書が出てきました。冷戦下において、安保や自衛隊の違憲判決を出せば、政府やアメリカが裁判所つぶしにかかります。日本の裁判組織には、勝ち目がなかったのです。経済復興の間、最高裁判所は東西軍事バランスに関わる政治問題には口を出さなかったという経緯があります。日本の司法も時の権力の力関係を見ながら判決を出しているわけです
冷戦の体制の中で、裁判所は政府や国会と対立しつつある状況がありました。そして、裁判所の内部でもイデオロギー対立があったのです。平和主義に照らし、日米安保や自衛隊を憲法違反とする裁判官は、青年法律家協会に所属していました。政府や国会の脅迫に対し、最高裁判所は司法の独立を守るため左翼系裁判官の弾圧を行ったのです。1971年最高裁人事局長が、司法修正研修所の教官に青法協会員には、悪い点数を付ける指示をだします。1984年青法協裁判官部会は解散して、青法協所属裁判官への弾圧は一段落します。アメリカは、国家に対する武力、諜報活動、軍事援助等による介入という側面をもっています。田中耕太郎長官の示唆は、機密指定を解かれた米公文書により判明した事実です。もっとも、一定の時期が過ぎると、日米安保条約は有利な条約だと認識する人が多数になりました。そして、今は中国の台頭という状況下では、必要という人々が大多数になっています。
政治のレベルでは、ウリの関係はできないようです。ナムの関係では、韓国からの要求は果てしなく続きます。「日本が好き」と「歴史認識問題で日本を批判する」ことが、同一人物の中で何の矛盾もなく並立する国民性を持っています。「水に落ちた犬は打て」という発想が、韓国社会にはあります。相手が弱くなれば、攻撃を強めてきます。約束は、時の状況により変わります。道徳の正義は、ウリとナムの人間関係で変わります。日韓関係は、元徴用工問題で悪化しており、さらに事態は急速に悪化する懸念が高まっています。北朝鮮が突然崩壊した場合、その後の30年間に240兆円の統一コストがかかるといわれています。このコストを日本からいつでも取れる準備が慰安婦と徴用工裁判だという韓国通まであらわれています。ここで日本が安易に妥協すれば、同じ事態を悪化させながら繰り返すことになります。両国民同士が本当の限界まで争った後に、ウリの関係ができるのかもしれません。日本の裁判所の成熟度は、60年以上かかっても十分ではありません。韓国の裁判所は、これから60年かかり成熟に向かうことでしょう。あと、60年間を目途に、日韓の人間関係をウリに近づけ、ナムの関係を減少させるお付き合いをしていきたいものです。