チマチマ毎日

木工屋と陶器屋の夫婦が作るセルフビルドの家と、まいにちの生活、道具のあれやこれや。

むかし子どもを育てるということ

2018年11月13日 | 日々のつれづれ

 

 ご近所のおばあさんが亡くなられました。90近いお歳でした。

 

年配のおばあさんたちの、昔の話を聞くのはだいたい祠の掃除のとき。

今は60くらいになる子どもさんたちを育ててる頃の話は

ほんの50年前ほどなのことなのに、とても遠いものに感じる。

 

 

 

「息子にジャンパーを買ってやるために、炭を作ってな。

それを駅まで持ってって売ってこうてやった」

駅までは10キロ近くあって、そして当時は徒歩だった。

リヤカーを引いて、山道。

 

病気になるとリヤカーに乗せて引いていく。

夜中でも雪の中でも。

リヤカーを引いていくお母さん、

乗っていた子どもはどんな気持ちだったのだろう。

 

 

おばあさんは見かけるといつも直角くらいに曲がった腰を杖で支えながら

畑のあたりにいた。

雑草を手で抜いていたと思う。

 

お野菜をいただいたことがあって、それはちょっと硬い葉野菜だった。

おばあさんは大事そうに、これやっからな、少し茹でて塩漬けしときゃ食えるで

ってたくさんくれた。

 

きっとたべれるものは、捨てるところなど何もなく、大事に、手をかけて

みんなの食卓に並べたんだろう。

それくらい必死だったことがうかがえる。

 

たった50年しか経っていないのに。

 

わたしはこのおばあさんみたいな真剣な生き方はできない。

こんなふうに自分の命を吹き込むように子どもを育てていない。

でもおばあさんに出会って思うことは忘れないでいたい。

今はそれくらいしかできない。

 

おばあさんが息子さんに買ってあげたジャンパーは、

どんな価値があるだろう。計り知れないくらいの価値。

 

 

 



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8 コメント

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Unknown (tenfingers)
2018-11-14 22:07:14
私も昔物が無く、貧しかったころはご飯に鰹節を削ったものとお醤油をかけて子供に食べさせたという話を親から聞いたときは泣きそうになりました。白米は自分たちはあまり食べずに子供に食べさせたとか、鰹節も本当に無い時には一度お出しをとったものを乾かして今度はご飯にかけた、という友人もいました。それでも鰹節でだしをとるとはかなり贅沢なのか、その時代は贅沢ではなかったのか、今の私にはわかりません。貧しいのか、単にモノのない時代だったのか、どうでしょう。若い頃お出しをとった鰹節と昆布は佃煮にして再利用しましょうと一流中の一流のお料理の先生に習いました。その実演もしてくださいました。次にさあ皆さんやってみましょう、と実習になったらとったお出しはさっと捨てて懸命に佃煮を作った生徒さんがいて、教室中大笑いになりました。
懸命に生きるとか、贅沢とか、貧しいとか、捉えるのが
難しいですね。
捨てる布を接いだりしている一方、気に入らない服はろくに着ないうちにあっさり捨てることもある自分を
反省しています。
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tenfingersさん (ちま)
2018-11-16 12:47:04
毎日このおばあさんのおたくの前を通るんですが
道路にぺたーんと座り込んで玄関の脇の草を
抜いている姿が見えそうな気がします。

街には100円のものがいっぱいで
食べ物だって捨てるくらい溢れていて
こんな時代に生きていれば、おばあさんのように
硬い野菜を丁寧に処理して食べる知恵は消えていくのが当然なのかもしれません。

お金が入ることで美味しいものがたくさん手軽に手に入るようになったけれど、
そればかりだと何か大きいものを捨ててるような気がしてなりません。
tenfingersさんのおっしゃるように、
懸命に生きるってなんなのか、それがわかりにくくなってしまったみたい。


わたしがお手伝いしている陶芸教室は、80過ぎのおばあさんがやっているのですが、
働き盛りの頃ご主人が車の事故にあって、
40代だったおばあさんは一人で花を作って卸し
子どもたち三人を大学に入れたと言っていました。
1000円でも入るとすぐに貯金して、子供への仕送りは千円札ばかりだったって。
それでもその時がいちばん楽しかったそうです。

ゲラゲラ笑いながらそう言ってました。

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Unknown (tenfingers)
2018-11-17 22:09:41
『硬い野菜を処理する」で思い出しましたが、
私の母はたけのこの下の太いところとはゆでたものを
すりおろして片栗粉と卵を混ぜてお餅のように形作り
揚げておろし大根とお醤油をつけて食べたりお味噌汁に入れたりお煮しめの中に入れたりしました。
手間と足す材料を考えるともったいないだけでは済まないなにかそういうことをする動機、駆り立てる力が
あったとしか思えません。クリエイティブであった
というのは当たっているかしら。ただの倹約家ではなくそういう観点から思い出してもらえる人になりたいです。でも教育費の山を乗り越えるのはそんなきれいな
言葉では済まない想像を絶するものがあったのも事実です。
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tenfingersさん (ちま)
2018-11-19 08:02:02
それ、わかります!
「工夫癖」というか、この人ならではの手仕事になってる感じですよね!
やってる人はほんとそれが楽しそうで、こっちもニコニコしちゃいます。

いっぱい採れた野菜を痛ませないように
保存させる工夫とか、あきないようにいろんな味や調理法にしてみるとか。

わたしもそういうの大好きです。
いっぱい野菜をもらうとニマーと微笑みが湧いてくる。

日常仕事の楽しみってこういうところにあると思います。
たまに大きく外してて、うまいとは言えないものもありますが、やめられない!
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Unknown (tenfingers)
2018-12-05 22:03:55
「たまに大きく外して」とはどういう時ですか?具体的に
知りたいですよ。
私はこれぞドイツ!というお料理の記事にはよく出てくる
ジャガイモをすりおろして、ニンニクも大量にすりおろして
混ぜてフライパンでパンケーキのように焼くという
お料理がおいしくできたためしがありません。じゃがいも、
にんにく、バターなどの材料がドイツと違うのさ、と諦めかかっているのですが、ドイツに行ってもこういうお料理に
お目にかかったことがありません。本場ではどういう味かもわからないのです。大きくはずすどころか、
真実は何かもわからず謎は深まるばかりです。
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tenfingersさん (ちま)
2018-12-06 14:28:02
tenfingersさんのいう、このドイツのお料理。
初めて聞きました。

じゃがいもとニンニク、これならすぐ今からでもできそう!一体どんな味なんでしょう?
ビールと合いそうなイメージはあるのですが
皆目見当がつきません。

でも「こんな感じかな?」と色々試行錯誤している段階が、もうすでに楽しそうです。
今回はうまくいった!前はダメだった〜とか。

私は失敗はなかったことにするので、あまり記憶に残りませんが
大根を下ゆでしてからソテーする大根ステーキは
最初あまりにも適当に調味料だの香り野菜だの入れすぎてダメでした。

冬は大根を一気にいただくことがあって
それを美味しく、かつ今までにない味で食べたい!
と思って試行錯誤。
ニンニク、生姜、ウスターソース、醤油、しょっつる、バルサミコ酢、みそ、みりん、クミン、干しエビ、干し貝柱・・・
いろいろやって見ました。
最終的にここから引き算して、今の味に落ち着きました。

あとあずき、サツマイモなどおやつに使いそうなものと
セロリや人参の葉などの野菜をいっぱい入れたスープ。
甘みを入れてないのに甘くて
子供たちに不評。甘いスープは嫌だ、そうで。
私はおいしいと思うんだけどな。


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Unknown (ばる)
2018-12-24 21:18:10
読ませていただきまして、一人になった時のこと、今の事を常々考えています。
生活もあるから田畑に集中できないけど。いつかは。きっと。生活できる農法ではないのは自覚しているし、人望も信頼もないので。

ちまさんと連れ合いさん。お二人はすばらし。
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ばるさん (ちま)
2018-12-26 16:55:39
いつかは、きっと、っていいですね。
希望ですもん。

うちだっていろいろありますよ〜
一歩進んで二歩下がる、あるいは三歩下がったり。

でもばるさんのように「いつかこうなりたい」って
そういうのがあるから、方向はわかってる、そんな感じでしょうか。
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