てんてんのタイムスクープ!

~アジアの伝統文化に触れて~

橘神社

2007-10-21 | プチ旅・遺跡探索

奈良県の明日香村が好きで何度か訪れる度、特に橘寺に安らぎを感じ、関心を持ったときに知ったのが橘神社です。

「奈良大和路寺寺の昔話し」という本に橘寺の名前は田島間守(たじまもり)が橘を植えたという伝説からきていると書かれています。そして、その田島間守が不老長寿の木とした橘を遠い国から帰国する途中、船が着いた現在の福山市柳津にも橘の木を植えたと。

会社の同僚Tさんに案内してもらい念願の橘神社のお祭りに行きました。

予想以上に大きくて古い歴史を感じさせる神社でした。かつては石段下の鳥居のすぐ前が海だった様子も容易にわかりました。

神楽は地域で年ごとに順番に舞を披露しているそうですが、古くから引き継がれているのか、充分見ごたえがありました。

果たして橘の木は実際に植えられていたのだろうか....2000年近く前の神社の歴史にこだわったところで、なぞだらけです。そして面白い偶然が起こりました。

Tさんが近くに住む幼なじみを見つけたので、橘の木について聞いてみてくれました。するとその人は「橘の木はうちにもあるよ。」と(゜o゜)....最初は何言ってるの?この人(-_-;)と思いました。

でもどういう事か聞いてみると、「うちの総本家は昔ここの神主だったから...枝分けしてもらったんよ。」というのです。私はすぐにはピンと来ず、せっかく家族でお祭りに来られてるんだから邪魔はしないでおこうと、質問はそこでやめました。

でも神楽見物の間に気になりはじめ、Tさんももっと詳しく聞いてくれるというのでもう一度その人を探しました。するとその人が他にももっと詳しい人がいると言って別の人を呼んでくれました。すぐ傍で見物をしていた若い男の人です。

その人の話によると、神武天皇の時代に橘の木は九州から天皇の木として運ばれる途中、枯らしてしまった時のために柳の里(今の柳津)に1本植えたということです。どういう関係かわかりませんが「正当な流れをくむ“ノジマ”の家」(?)に枝分けされた木しか育たないとの話も付け加わりました。

しかし、二人とも奈良の橘寺の事は知りませんでした。橘神社の由緒にも記されていません。

2000年も昔の話....真実などわかるはずもありませんが、「橘の木」は不変のキーワードです。

実に面白い日でした。