浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

レオニード・クロイツァーによるラフマニノフの第2協奏曲ライブ

2009年11月03日 | 洋琴弾き
久々にラフマニノフの洋琴協奏曲第2番を聴いた。此の曲を聴くのは実に20年ぶりだ。演奏は僕のピアノの師匠の師匠であるレオニード・クロイツァーだ。

我が街のマエストロ、朝比奈隆とクロイツァーが大阪フィルハーモニーとの定演にこの作品を取り上げたことがあった。そのリハーサルのことを朝比奈は次のやうに振り返ってゐる。

「深い海の底から響いて来るやうな序奏の和音は重く暗く、洋琴といふ楽器から出てくる音とは思へなかった。10本の指は一つ一つが別の生物のやうに完全に独立した明暗と強弱を作り出し、和絃の16分音符一つでも予期しない意味を持ちそれを主張するのであった。」

朝比奈のおっちゃんの言ふ「玄妙なるペダリング」は第2楽章の独奏で味わうことができる。そして、「深い谷間に木魂するやうな残響音が長い余韻を残して消え行く時、私達は思はず息を呑んだ。」と回想してゐる展開部後のカデンツァの部分だが、この録音では其の当時の様子が十分には伝わって来ないのが残念だ。しかし、ゆったりとした遅い目のテンポ運びで浪漫的に歌い上げるクロイツァーの洋琴にはただならぬ雰囲気を感ずる。

第3楽章では思はぬテンポの変化に驚くところもあるが、これがこの作品の初演者による解釈なのだ。現代の演奏は確かに正確さや音色美を追求してゐる点は認めるが、ミニマムの世界の美を追求してスケールの大きさや地の底から沸いて来るやうな大きな感動を失ってしまった。全てに於いて大雑把さの無い緻密な世の中になってゐるやに思ふ。クロイツァーが日本の音楽界の地盤を固めたのだといふことをあらためて実感したと同時に、現代の耳当たりの良い綺麗な音楽がいかに物足りないものかを再認識させられた。

1952年当時のNHK交響樂團の力量も予想以上で、指揮者のクルト・ヴェスもオークレールの伴奏で詰まらない指揮を披露した指揮者とは思へぬどっしりとした伴奏が聴ける。

盤は、クロイツァー豊子夫人の弟子である友人Yの奥さんが保管してゐた未通針LP盤を譲り受けたもの、生誕100年を記念して配布された限定レコヲド ATRAS-8310。


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