この時期の午前5時は、もうすっかり空は明け切り、
今朝は少し冷え込み気味、
その分すがすがしい、薫風こそ吹いていませんが、いい季節です。
4月は「新型コロナ禍」で遠慮して「欠席」、
ここきて19日間連続で福井県での新罹患者はなく
今朝の参加となったものです。
今朝は老師を入れ3名だけの坐禅会でした。
15分前に禅堂に入ったのですが、すでに先客は座についており
老師のお話の最中でしたので、
私は途中からの入場ということになりました。
ザブ(座布団)の間隔は広く3密を意識しての席つくり
「・・・・・坐禅中にいろいろな音を感じることでしょう、
ここで何かをもとめたら、そんな時の意識のはたらきは邪道となり
誤った状態です」
「三世諸仏 依般若波羅密多故・・ 得阿のくたら三みゃく三菩提」
とお釈迦様がご指導されています。
こういう「参禅道場で座ることの意味」は
「しっかり意識して呼吸をする・足を組み・手を組む、そして深く静かな息
の出し入れをくりかえす」だけですが、
そのことに意味があり値打ちがあるのです、しっかりお勤めなさい、と。
ここで無言、小鐘3つで正式の坐禅スタートとなった。
まだ時間は午前6時前の筈、
老師が席を立たれたので6時の梵鐘を撞かれるのかと思った矢先
1つ目の「ゴ~ン」、師は席に戻られた。
静寂の中、今朝の鐘の音は少し弱弱しい、
坊守様(師の婦人)のおつきになる時の梵鐘でした。
この音を聞きながら無言は続きました。
坐禅中の禅堂内の静寂は当たり前ですが、
それでも多くの人の深い呼吸の声
がかすかに聞こえるもの、師を除く2人ではその音すら感じない。
この中、遠くでなくカラスの声が聞き取れましたが、一度だけ。
野鳥や虫の音もなく、静寂・静寂の不思議な時間でした。
そして小鐘1つ、「合唱」坐禅会のおしまいです。。
突然「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」
と、回向唱えられたのが印象の朝でした。
1か月休んだだけでしたが、
何か新鮮な時間。
義宣寺の釣鐘
庫裏が新築されていました。
我が家の庭端から続く大蓮寺川の清流。