たかしの啄木歌碑礼賛(続)

啄木歌碑およびぶらぶら旅

盛岡市保存建造物(第2号 旧九十九銀行)

2014年02月01日 | ぶらりぶらり
旧九十九銀行の建物は昭和43年に「国指定重要文化財(建造物)」に指定され、昭和52年に「盛岡市保存建造物第2号」に指定されました。現在は「啄木・賢治青春館」として利用されています。ここは旧盛岡銀行のすぐ傍で旧奥州街道として栄えた通りです。



旧九十九銀行







この建物は旧九十銀行本店本館として明治43年(1910)12月に竣工しました。設計は東京帝国大学を卒業して間もない、盛岡出身の若き建築家横濱 勉、工事監督は元岩手県立工業学校助教諭 久田 喜一です。構造は煉瓦造2階建(一部地下1階)、建物面積264.61平方メートル、正面から見て左右非対象の建物で、屋根はマンサード型を基本とし、正面左側は棟を直交させて飾り棟をのせ、ドーマー窓を飾り、天然スレート板及び銅板で葺かれています。建物の荒削りな隅石や入口・窓のアーチなどの石材は市内川目産の花崗岩が使用されています。明治期の銀行は営業室を高い吹き抜けとするのが主流でしたが、ここでは2階に広い総会室(集会室)を設け、1階を営業室・客溜・金庫室・頭取室及び応接室としています。大正期にあらわれる表現主義建築の先駆けとされ、外観は重厚感のあるロマネスク・リヴァイヴァル様式、内部は直線的で平明かつ簡潔なゼツェッシオン式の影響がみられ、19世紀末の欧州での建築運動をいち早く反映させたものとして、我が国の近代建築史上重要な建造物と言えます。




建物の右側の木は「銀座の柳」です。





この柳と煉瓦(雪にかくれ見えません)は、平成14年6月5日、東京・銀座の朝日新聞社跡にある啄木の歌碑の前で、銀座の商店会から盛岡市長に寄贈された「銀座の柳三世」である。
明治初期から銀座の並木として親しまれた柳は、1968年、街の整備に伴って河川敷に移植されたが、その後大半が枯死。銀座金春通り会名誉会長の勝又康雄氏らが「銀座の柳を再び」と枝を挿し木してビルの屋上で育成し、二世・三世としてよみがえらせたものである。
啄木は、明治42年3月から没する明治45年4月までの約3年間、当時銀座にあった朝日新聞社の校正係として勤務しており
「春の雪 銀座の裏の三階の煉瓦造に やはらかに降る」
などの歌がある。
みちのく盛岡ふるさと大使として首都圏で活躍する斎藤昭彦氏の仲介で、銀座とも縁が深い啄木ゆかりの地、盛岡に贈られたものです。


春の雪
銀座の裏の三階の煉瓦造に
やはらかに降る
啄木



銀座の柳は「岩手公園の鶴が池」のふち、岩手日報前にも植えられております。



鶴が池の銀座の柳(岩手日報前)



市内には銀座の柳が他にも植えられているようですので、新緑の季節になったら、写真に収めようと思います。





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