田舎生活実践屋

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講談 田中熊吉 98歳宿老人生を聴く(2012/6/23)

2012-06-23 18:37:39 | ルーツはここに?
 講談師の神田紅の独演会に行ってみました。
日本でも指折りの講談師だそうで、福岡出身で、熱心な北九州のファンの皆さんが一年前から企画したとのこと。
 妻と、お知り合いのNT氏(90歳)とOHさんの四人で。
NT氏は89歳まで人材紹介の仕事をしておられ、一年前、目が不自由になり、引退された方で、最近「79歳の新入社員」というタイトルの面白い自叙伝を勤務していた会社の肝入れで出されたばかり。私も、よく声をかけていただいて可愛がっていただいている方。
 現在、目が不自由なので、歯切れのいい講談でタイトルも北九州ゆかりの「高炉の神様 田中熊吉 98歳宿老人生 ものづくり日本の魂」で面白く聞いてもらえるだろうとお誘いしたもの。
 八幡製鉄に宿老という職位の大変な溶鉱炉の職人さんがいるという話は、昭和39年ころ、中学3年の理科の授業で聞いた記憶があり、どういう人だったのかよく聞いておきたいというのが今日の私の主目的。
 神田紅さん描き下ろしの力作で、今日が初演らしい。聞き惚れましたが、内容は次のとおり。

 八幡製鉄の開所式の際、出銑のため溶鉱炉の出銑口をハンマーでこじ開けた職人さんが3人おり、そのときこの田中氏28歳で見事役目を果たしたということから始まり、苦しい生活の生い立ちから、38歳?の時、溶鉱炉での作業中にハンマーで目を傷つけ、右目?を失明したが、3カ月後職場復帰。溶鉱炉についての深い知識や運転技術が認められ、職工から職員に格上げの話があったが、現場で働きたいという本人の希望で、終生働いてほしいということで、宿老という職位を新設することとなったのが、田中熊吉48歳。病に倒れる97歳まで八幡製鉄の溶鉱炉の神様として頼りにされ、98歳でなくなったのが昭和46年。

 戦前戦後、電力業を日本で育てた松永安左エ門と同じ時期、期間ともほぼ同じ。ともに97、8歳まで活躍、生まれたのも、亡くなったのもほぼ同じ年。仕事に打ち込む集中力、持続力とも二人は甲乙つけがたいと感銘。ちなみに神田紅はオリジナルで松永安左エ門も講談でかなり前取り上げたことがあるとのこと。一度聞いてみたいもの。受付でCDを売っていたので、松永安左エ門の講談は無いか聞いてみたが、あいにくなかったのは残念。
 90歳のNT氏も楽しかったようで、いい一日でした。
 終わりに、4人でパチリ(冒頭の写真)
 戸畑の会場はほぼ満員、700人近くのお客で、皆さん満足の表情でした。

 明日は、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。波はそれほど高くないが、雨が激しく、それもところにより雷雨の予想で、出港どうなることやらとやきもき。
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