田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2006/2/19

2006-02-19 20:06:07 | 戦前・戦中の日々
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。

釣はコーラル丸の川端船長が法事とかでおあずけ、しばらくご無沙汰の竹田農園に妻と今日行ってきました。
玉ねぎ、グリーンピースの手入れに、果樹園づくりが今日のテーマ。

(果樹園誕生)
 結婚以来29年間空家の小高い丘に囲まれた妻の実家には、いつも使っている70坪の畑の他に、2反(600坪)5枚の田んぼがあり、これまで近所の農家の方に、一反あたり一俵(60キロ)の賃貸料で米を作ってもらってきました。
しかし減反政策と、農家の方の高齢化で、だれも作り手がなくなりました。米を作らなくても、雑草を生い茂らせることはダメで私が草刈を年、3回はしなくてはなりません。
そこでひらめいたアイデアが田んぼに、果物のなる木を植えてしまえ、草刈をする甲斐がある、というもの。
当初、栗畑にしようかと思いましたが、イノシシやら道をあるくハイカーに食われるだけ、もっと悪いのは、木の背丈が高くなり、回りの田んぼの日当たりを悪くして、苦情殺到かも。
では柑橘類のような丈の低いものを植えようとなり、近所のナフコ(園芸・大工道具スーパー)でネーブル、ボンカン、ブンタン、梨、イチヂク、ビワ、梅を11本買っての農園行きとなりました。
 畑から150メートル程のところに5枚の畑があり、一枚あたり、約120坪、初めて田んぼに立ってみると、意外と広々。
一枚当たり、2本の苗木はいかにも殺風景で、笑ってしまいました。植えようと穴を掘ると、水がしみだし、これはいかんと直径1.5メートルの円周に溝を鍬で掘り、土を盛り上げて、水はけを気持ちだけ良くして、妻と植付け作業、1.5時間、畑と違い、田んぼの土は粘土質で水を含み、重たいこと。最後の11本目を植えるころには、クタクタ。
宝くじよりは配当の確立は高かろう程度で、果樹園作りは完了。
3年後にはボチボチ収穫かも。気の長い話です。

(ネギ)
 家の近所の家庭菜園、ネギボウズが出ていたというので、青々としたネギ、20株ほど、急ぎ収穫。これをご近所に配り、特に、クロ釣で時々おすそ分けしてくれる、F氏にお持ちして、我家でも夕食の鍋に入れてたらふく食べました。
厚みと甘味と歯ざわり上々で絶品でした。風邪予防にも効果大のはず。

(江藤投手)
 農園の上の小さい家に暮らす、元南海ホークスのエースで第一回、オールスターの先発投手の江藤正氏84歳がジャガイモの植付けをしているとヒョッコリ姿を現す。
さすがに最近は腰が痛いとか。
姿勢は相変わらず背筋がピシャリで堂々たるもの。
医者に聞くと、若い頃、ピッチングで体を酷使したツケが今来たのかもとか。
ツケは50歳くらいでくるのが普通で、江藤正氏の超人振りを今日も垣間見た次第。

(危篤)
 二週間前、四国今治の母のお世話になっている特別養護老人ホームから明け方電話で、母が高熱で今から入院させるとのTEL。
腎盂腎炎とかで、抗生物質の投与を止めると熱が出、食事もとれなくなっているので、危篤との医者の言葉で、一族郎党、あわてて駆けつけました。
しかしこの5日ほど、熱も下がり、食事がまずいと文句をいいながら、食べ始めました。
母が40歳のくらいの時、私に「知り合いのおじいさんが、臨終ですと医者に言われ、親族が末期の水を飲ませると、ゴクゴクと飲み、その後、何ヶ月も生きた」と笑いながら話したことがありしましたが、自分でこの笑い話を最後に演じているようです。
81歳で余命はあまり無いでしょうが、大変逞しく、先日別れ際に見せた私への眼差しも、この馬鹿息子を残してあの世に行っても大丈夫カイナといった、強い母親の目で、おみそれしましたといった所です。
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