Chimney角屋のClimbing log

基本的にはクライミングの日記ですが、ハイキング、マウンテンバイク、スキー、スノーボードなども登場するかも・・・。

92歳の伯母

2011-08-10 01:07:10 | 日常

8月8日。92歳になる伯母の誕生日を祝うために、故郷の信州に行ってきました。

3年前に亡くなった父の姉。生まれたのは西暦1919年。第1次世界大戦が終わって「パリ平和条約」が結ばれた年だそうな。我々にとっては歴史の授業でしか聞いたことのない時代の話。でもそんな時代に生まれた伯母が元気でいるのがうれしい。独身で小学校教諭を定年まで貫いてきた伯母。わしの大好きな伯母だ。

この日は、一番下の伯母、わしの母親、弟、弟の嫁さん、そしてわしの5人で伯母の誕生日(実際は8月下旬だが)を祝った。

 

おまけ。

この日、伯母の誕生日を祝った旅館から見た雲。「何だ!?この色は!」と、びっくりするような赤い雲でした。

この雲の下は、多分菅平高原。


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4 コメント

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Unknown (しま)
2011-08-19 13:22:57
ご無沙汰しています。
12〜13日にかけて、66歳の母と中2の娘と中1の息子と一緒に富士山に行ってきました。
足が攣りやすい母の事が心配だったので、一昨年登ったルートと同じ、須走で行き8合目に宿泊という流れを取りました。
母は6合目に着く前に早くも足が上がらなくなりましたが、1メートル歩いては5分休憩というペースで登ったため、高山病にもならず無事山小屋に到着。
翌日は御来光の後登り始めて山頂まで行き、午後3時には5合目に戻りました。
かなり無理かなとは思いましたが、去年の春に他界した大正7年生まれの祖父が富士山が好きで、もう一度行きたかったと言いながら亡くなったので、今回は何がなんでも登頂したかったのだそうです。
若い頃は毎年板を担いで登り富士スキーをしていたという祖父の話を聴きながら育ちましたが、未だに私はチャレンジしていません。
骨折したときは片足で降りてきたとも言っていました。
大正生まれおそるべしです。
88歳の時は昔の方法で登りたいと言って1合目から歩いて登ったのですが、途中で足が上がらなくなり7合目で下山したそうで、それが最後の富士山になったようです。
娘と息子とはそのうち、懐かしの「白馬トレッキングルート」を行きたいと思っています。
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Unknown (Chimney)
2011-08-21 01:21:17
えッ!しまちゃん?久しぶりですね。見ていてくれたの?そういえば一緒に山に行きましたね。富士山にスキーに行こうなんて話もしてかな。
大正生まれって元気だとよく聞くけど、本当にそうなのかもって思いますね。
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Unknown (しま)
2011-08-26 12:49:26
連れていって頂きました。
懐かしいです。
もう20年近く昔の話です。
自然に入ると自然の中で暮らしたいと思ってしまいますが、生きていく手段がなくまた都会暮らしに戻ってしまいます。
子供たちが独立したら拠点のない暮らし(昔、海外ルンペンというあだ名の子がいましたが)をしたいとも思っています。
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Unknown (Chimney)
2011-08-27 00:27:39
50になったら、山の中で地鶏を飼って生活するのが夢だったんだけど、もう50過ぎてしまいました。家族を考えると、そんな自分勝手な暮らしには踏ん切りがつかないものです。
都会の便利さから抜けられないというのが本音かも。
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