今日3月11日。
3年前のこの日、私は我が家の稼業である銭湯の掃除をしていた。その時、ゴーっという音とともに、今まで経験したことのない大きな地震の揺れに、立っていることもままならず、壁に両手をつきながら表に出て、24mの煙突が左右に大きく揺れているのを見守っていた。揺れが収まり、3階にある自宅にいる次男と母と愛犬の無事を確認した。長男は会社、妻は外出中で、なかなか連絡がつかなかったが、夕方になって連絡がつき安心した。
自宅や店に被害はなかったが、浴場の電気系統にお湯がかぶったために、開店時間に店を開けることは出来なかった。この大きな地震に、関東地方で起きた地震だろうと思っていたら、東北地方で起きた地震だったことが分かり、東北や関東の沿岸部に大きな被害が出ていることを知った。このような状況で店を開けることが良いのか迷ったが、開店時間を2時間以上も過ぎてから、店を開けてみた。初めは予想通りガラガラ。しかし夜も深まったころ、帰宅困難な人々であふれかえった。
テレビを見ると、信じがたい光景が映し出される。「これはなんとかしなくちゃ」。そう思っていた時、妻と長男が「こういうところであなたたちのようなクライマーが行かなきゃ、クライマーなんて世の中の役に立つことなんかないんじゃない?」という一言。そう!私は何処でも平気で生活が出来るクライマーであり山屋。そういう仲間が沢山いる。困難を喜びに変える(不謹慎かもしれないが)ことが出来る人種なのだ。
その時から、私自身は頻繁に被災地を訪れることは出来ないけれど、仲間を集めて、また仲間と協力して被災地(岩手県宮古市)の支援にかかわることが許された。そして今でも、その時からの仲間が宮古を訪れ、また宮古を思い続けている。私はこのことで多くのクライマーやボランティアと結びつき、自分自身に多くの恵みが与えられた。「してあげたい」ということ以上に「いただいた」物が、今になってみると何倍も大きい。
そしてこの時を境に、私自身も変わった。自分の人生の中で、自分が変わったと思うことは何度かあるけれど、「この瞬間に」ということはそう多くはない。何度目かは分からないが、2011年3月11日は、(ちょっと大げさかもしれないが)今の自分の誕生日だと思う。多分そういう意味では、「3.11は新たな自分の誕生日だ」と思える人は沢山いるのではないだろうか。多くの命が失われた中でも・・・。