タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

携帯からの投稿

2015年06月22日 | 旅行のことなど
携帯からの投稿の結果はパソコン環境がなかったので確認出来ませんでした。

あらためてテスト投稿です。

今回の長崎旅行、現場にパソコン環境がないことが分かり初めて携帯からの投稿を考えました。

しかし、テスト投稿する時間もなくて思い通りのことが出来ませんでした。

長崎からの投稿は画像を縮小しすぎていたようですね。

長崎の旅から~1

2015年06月22日 | 旅行のことなど
昨夜帰宅しました。

今回の長崎旅行は、私たち仲間が「クロちゃん}といっている友だちの実家をベースに平戸方面と長崎方面を訪ねる旅でした。

そのクロちゃんの実家は平素は使われていない家で、あの家では十名以上行っても良いかも分かりませんが、クロちゃんの要望で7名さま限定の旅となりました。

昨夜帰ったばかりで画像は未加工ですが、その画像を使って帰宅の挨拶ということにします。

    

梅雨のさ中の旅ですから雨は覚悟していました。しかし、結果から言うとタカ長の傘の出番は朝の散歩のときに1回あっただけでした。その時傘をささない人もいたくらいですから雨らしい雨ではありません。

これは九十九島観光のときの画像です。私たちは船室を出て曇り空の下の九十九島をみていました。

ちなみに「九十九」というのは「多くの」というような意味で、九十九島には200以上の島があるそうです。

    

6月19日の朝はクロちゃんの実家に近い「日本本土最西端の地」から旅が始まりました。

ご覧のように晴れてはいませんが雨具も不要、このような天気のほうが涼しくてある面では良かったようです。

    

この日は平戸方面に行きました。そしてここは平戸島のとなりにある生月島(いきつきしま)の北端にある大バエ灯台から見る海です。

もちろん雨ではありません。そして、、、、6月20日は、、、、、

    

長崎市の観光。

これはご存知「めがね橋」ですね。20日は土曜日、長崎市には多くの観光客であふれていました。

    

昨日は帰宅の日。佐世保から南へ行き諫早経由で帰ることも考えましたが、、、、

諫早とか有明湾といっても鳥に興味のない人には意味がないようなので、北回りコースで帰りました。

このコースで帰ると呼子観光することになります。

ここは名護屋城の天守閣あとですが、太閤秀吉が見た海は晴れていました。

このような旅、天気のいいわけみたいなことになりましたが、この時期としては天気に恵まれた旅だったといえそうです。

その旅のことはこれから少しずつ紹介することにします。まずは帰宅の挨拶だけで失礼します。


呼子から

2015年06月21日 | 旅行のことなど
呼子に来ました。

呼子と言えば烏賊、豪華な昼食です。

しかし、夕食はささやかにうどんいっぱい?

今回は携帯からの投稿を十分テストすることが出来なくて、現場からの画像は小さすぎたようです。

ということで、昨日の昼食、烏賊の紹介です。


    

携帯からではこの大きさの画像にならないとしても、今日のテスト投稿くらいの大きさは欲しいですね。

これで携帯からの投稿も一応できるようになったので、これからは旅にでても最低限の投稿はできそうです。

団地新聞が出来上がります

2015年06月19日 | 日々雑感
予約投稿です。これがアップされるころタカ長たちは長崎市か平戸市にいるはずです。

団地でのタカ長のもう一つの顔は「広報部長」ということです。

その広報部の主な仕事の一つが団地新聞を作ることです。もう十数年続けています。

それだけ長く出来ているのは、この仕事は自分でいろいろな段取りを決めて作業することが出来るからです。

    

今回もその段取りがうまく出来ました。

新聞作りの作業はすべて終わり、昨日校了としました。タカ長が長崎から帰ると早々に出来上がった団地新聞が届くはずです。

その新聞が届いたら各町内会長宅に届けます。ここで広報部長の仕事は終わります。

各町内会長は届いた新聞を各戸配布の手配をされ、遅くとも今月中には団地の人に読んでもらうことができます。

今回の新聞は「6月30日号」ですから、、、、、この面でもバッチリ、、、、、、、

タカ長は「山歩きの顔」や「鳥を見る顔」を使いながら皆様に迷惑をかけることなく新聞の出来上がり、ということになります。

    

その新聞の内容ですが、お知らせ的なものばかりで紙面づくりをしているわけではありません。

毎回特集を組んで、チョッとだけですが何かを考えられる新聞にしたいと考えているのです。

今回の特集は団地創生のころをテーマにしました。

私たちの団地が造成を完了したのが1975年です。何もなかった山の中に団地が出来たのです。

新興団地ですから何もありませんでした。夏祭りもなければ秋祭りもありませんでした。

小学校の作文で秋祭りのことを書くことが出来なかった子ども達のことをいとおしく思ったお母さん達が立ち上がり、、、、

先輩たちの努力でやっと秋祭りができるようになりました。

    

しかし、そのころは法被もなくて体操服を着て手づくりの神輿をかついでいました。

神社に奉納する町の子ども達は法被を着ていましたが、団地の子ども達はうつむくこともなく奉納したことが記憶されています。

そのような創生期の、先輩たちの町づくりに寄せる思いをふりかえり、これからの町づくりのための力としたいというのがこの特集の趣旨ですが、、、、

その思いがうまく団地住民に伝わるでしょうか?6ページという限られた紙面で、素人ばかりが作る新聞ですからチョッと心配ですが、、、、、

ともあれまもなく団地新聞は各戸に配布されます。