「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

スコッチからのジプシー

2011-01-31 12:39:10 | キャラクターへの思い
【俺はジプシーびいきか?】

スコッチの死は、いろいろな意味で一つのケジメになったと思います。
というか、時代の終わりでしょうか。
それこそ、スコッチ登場から続いていた、「何処かでスコッチが居る、何かあったら助っ人に来る」というのが無くなったわけですし、更にビターなドラマを本格的に太陽が取り組んだ象徴とも言える存在だったので、このスコッチとの決別は10周年記念前ということであまり採り上げられませんが、太陽にとっては大きな一時代の終了でありました。
しかし、その様々な表裏事情がいろいろと整理できていない時期に三田村さんの参入というのは、必殺をつまみ食いしている私にすると、非常に正当な流れに見えたのと、あのゴタゴタした時期によく三田村さんを「おさえた」なぁ・・・という驚きとで、肝心なキャラクターや中身についてはひどく無関心だったと思います。
というのも、スコッチで大体の「クール刑事」的な事というのはやり尽くした感じもありましたし、初期は一係に馴染まないというのは当然として、あの時点でまだ必殺と掛け持ちだったわけですから、「片肺設定」も出番を少なくするための苦肉の策ともう当時から理解していました。当然「片肺設定」はそのうちあまり重要視されなくなるというのも正直感じていました。なので当初、ジプシーを観る目線としては秀の延長線上だったと思います。
ただ、スコッチと決定的に違うのは、幼い時に両親を殺されて、里親の元で育てられたこと、要するに昔から「ジプシー」だった事と、自分から心を閉ざしていないこと、そして、本当は強烈な熱血漢であること。
何だと思います。
なので、一係になじむのも早かったですし、それが視聴者の要望であっても、特に不自然さは感じませんでした。
というよりは、ジプシーの方が解り難いクールさなんですよね・・・。

個人的に最初のジプシー(三田村さん)の印象がキャラクター云々よりも「よく出てくれた!」だったので、未だに好印象を持っています。
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