「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

渡辺徹さん、おつかれさまでした・・・・・・

2022-12-02 22:34:27 | おくやみ

渡辺徹さんが11月28日午後9時1分、敗血症のため都内の病院でご逝去・・・・。
確かに持病はお持ちで、昨年は入院。その後はマイペースで仕事をこなされていた印象だったので、正直あまりにも意外だった訃報に、あまり実感がわいておりません。
敗血症ですか・・・・。

・・・確かに徹さんの病気の根源に太陽があるというのは否定できないです。
元々太りやすい体質で、プレッシャーと忙しさで69㎏だった太陽デヴュー当時19歳、その後の人の倍以上食べ、神田さんのペースで食べ、差し入れは残さず食べ・・・の太陽生活で、こ自身のMAX体重をどんどん更新されていったとか。小生的にはその体形の変化については悪く受け取っておらず、逆に代わりのいる2枚目アイドル路線から、徹さん独自のキャラクターを創り上げていかれたという印象で、これが徹さんの活躍の場を広めた印象があります。一方で、文学座の舞台に病気以外は何があろうとも立ち続け、今や文学座の主要メンバーとなられていました。
また、ある意味「裕次郎さんゆずり」のスター性も持ち合わせておられ、「あいつ」シリーズの相手役である郁恵さんとのご結婚は、昭和最後のスター同士のご結婚という印象があります。
近年は病気との闘いがありましたが、演技やナレーションのお仕事も味が深まって、期待させいただいていた矢先・・・・若すぎます。
太陽OB諸氏にはショックそのものかと思います。
特に、ラガー在籍期はいろいろなことが起きた時期。裕次郎さん入院中に登場したラガーはまさしく末っ子的なポジション。露口さん=山さんにしてみれば、ご自分が太陽の先頭だった時期に徹さんが加入し、徹さん降板の際には「手塩にかけて育てた」ラガーを見送って、ご自身も太陽を降りることを決意したという一説があります。
竜さん=ゴリさんにしても、熱血指導をした最後の新人。神田さんにしてみれは特に当時は兄弟みたいなもの。
これは、長谷さん・三田村さん・世良さん・良純さんも同じことが言えるかもしれません。

ラガー・・・
溌溂としたフレッシュパワーの登場初期は強めのギラギラパワー炸裂だったため、なかなかなじめなかった時期がありましたが、裕次郎さん復帰あたりから藤堂チームに溶け込んだ感じがありました。これはご自身の太陽出演というプレッシャーもあったかと思いますが、ご自身と周りの「ボス不在」というプレッシャーも重ねてあったものと思います。その反動からか、すっかり慣れて1982年は太陽としてあれだけ激動だった時期なのに存在感を維持しました。さらに太陽新人の中では表向きにアイドル路線を走り出した方だったので、その印象も強くあります。これは1983年も継続していましたが、ボギー殉職と時を同じくして「あいつ」シリーズで主演を務め、さらにご自身の主軸である文学座舞台の登板などで、主演作は半年無いなど活躍が激減、マイコン登場後はかつてのゴリさん的ポジションを担ってスーツ姿に変わったかと思えば、またもスケジュール調整のため「骨肉腫」という設定に。なので、ラガーの活躍密度は実質的には3年未満な印象で、徹さんはこれをどう思われていたか・・・というのは聞いてみたかったです。
ラガーの主演作というのは、太陽中毒にとっては肩ひじ張らないように見えてハードな話が多く、だからこそ気が付いたら何度も見てしまう作品が多いんですよね・・・。

太陽愚連隊では、もうそろそろ「ラガー特集」を頒布予定でした・・・・

本当に、若い!早い!惜しい・・・・!
徹さんも無念ではあったと思いますが、今後のご活躍を期待していた太陽ファン諸兄姉も同じかと思います。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます・・・・・・


現在、トリプルで忙しいですが、温めていた「ラガーの大追跡」台本レビューを今年中にやろうかなぁ・・・。


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