「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

太陽中毒者の記録 2019-9-19

2019-09-19 01:12:13 | 当直室日記
九州から始まり、まさか千葉であれだけの被害になるとは想像もつかなかった今年の夏の台風。
高波かと思えば暴風・・・・。
太陽ファン、そして私が存じ上げる方々にも多くの方が大小被害に遭われていると思われます。

遅くなりましたが、心から、お見舞い申し上げます。

本当に「9月」というのが、毎年恐ろしく迎えなければならないのか・・・・。

やっぱり、最低でもラジオ付きライト(携帯充電もできる手動発電タイプならなお良し)は常備しておいた方が良いでしょうね。
私も去年は役に立ちました。



ツイッターネタで幾つか。

▼コロンボ総統のロケ地検索
Gパンダミ人形でお馴染みの#59、そして新宿のアンニュイな朝な#60、なかなかくすぐったいところがコロンボ総統氏をもっても解明できないとは・・・本当にすんなり判明しそうなんですけどね・・・<(_ _)>
さすが、西山邸(署長官舎)は塀(現在は柵)の下の石垣も同一に見えますので、ご指摘場所で私も良いんじゃないと思います。
ところで西山邸・・・これっきりの登板で、後年時限爆弾が仕掛けられようがセリフのみでした・・・・(^_^;)

▼お元気でしたか
人物特定されるので濁しますが、マカロニファンのあの方ツイッターを発見、お元気なようで何よりで、何かしら怪しい(^_^;)企画にも参加されているようで。
いやぁ・・・なによりです。

▼特捜最前線と太陽とその時代
ツイッターを見ていると、特命課と七曲署を比較する方が結構いらっしゃるのですが、確かにライバル視する方が居られ、特命課の方は企画時には小川英さんが参加されていたわけなので、強ち間違いではないと思いますが、辛うじて津上殉職を本放送見る事に間に合った小生(当時7歳)としては、太陽は全方位に向けたアプローチを忘れなかった「大衆的娯楽」の枠を大切にし、登場人物は身近な存在的な雰囲気を醸し出していたのとは別に、特命課は水曜の22時に疲れが溜まった大人が週の後半目がけて頑張る為の薬的な、ちょっと近寄りがたいけど一度ハマると癖になる娯楽だったという印象があります。この時間帯で脚本がつまらないのは致命的(寝てしまう)なので、やっぱり特捜隊仕込みの練った脚本が特命課の真骨頂でもあり、それを当時の通な子供達は涙して観たものです・・・・老刑事がヒーローだったかもしれない(^_^;)・・・ので、同じいわゆる「刑事モノ」に見えながらも棲み分けはあるという認識で、個人的には比較は野暮だと思っています(^_^;)
簡単にいえば、太陽のラストは「来週は誰が主役だ?」という期待感があり、特命課は十字架を聴いて物語の虚しさを昇華するというか、見る目線というかスタンスというかそれが違っていたとは思います。
特命課は1982年ごろから視聴率が上がり、1983年がピークだった記憶があります。細かい視聴率は忘れましたが、22時台のドラマとしては凄かった。
ただ、人気というのは解らないもので、特命課が視聴率のピークを迎えていたころは、すっかり刑事・探偵モノは古臭いと思われていたのは確かで、それは「殉職ブーム」で一気に増えた刑事モノが1980年を境にどんどん淘汰されていって、今はそんなこと感じませんが、『大捜査線』や『プロハンター』辺りは当時小生ですら「古く」感じたものです。
ただ、それだけ時代の流れる速度が今よりも早かったのも確かだったのですが、視聴者に「定番」という意識を芽生えさせる番組は強かった。
今は、視聴者は定番を欲しているのに、なかなかそういうドラマが無いというのも現状。これは面白いと思ってもゴールは見えてそれっきりだし。そりゃ『相棒』シリーズの再放送視聴率が高いのも頷けます。

というか、特捜隊をリバイバルさせれば・・・・出演者にお金をかけず、ホンを様々な人に書いてもらって。

と、徒然なるままに・・・(^_^;)

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