狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

★戦争マラリアは援護金の対象、軍の強制だから

2022-04-28 14:47:27 | 資料保管庫
 

沖縄タイムス紙面掲載記事

[戦後76年]戦争マラリア 教訓継承 遺族の悲しみ癒えず 竹富犠牲者の冥福祈る

2021年6月29日 05:00有料

 【竹富島=竹富】町主催の戦没者追悼式が23日、竹富島の慰霊之塔前で行われた。西大舛高旬町長や仲田森和教育長、遺族ら約20人が出席。先の大戦の犠牲者に対して手を合わせ、祈りをささげた。西大舛町長は式辞で「戦争マラリアで多くの住民が犠牲になった。今も忘れることができない深い悲しみで、決して癒やせるものではない。戦争の教訓を風化させることなく継承し、八重山から世界へ平和を発信していくことが私たちの責務だ」と訴えた。

 県遺族連合会女性部長の大山幸子さん(79)=石垣市=は、喜友名盛允同会八重山支部長の「追悼のことば」を代読。「二度と私たちのような戦没者遺族を出さないために、平和のありがたさを後世にわたり語り継いでいかなければならない」と語った。

 大山さんは台湾で郵便局員として働いていた父を亡くした。通信兵として軍に従事していた南洋諸島で戦死したという。「ただ、どうして死んだのか、最期にみとった人がいたのかなどは一切分からない。この年になっても親は親。手掛かりが知りたい」と唇をかんだ。

 一般参加の島仲彌喜さん(75)=竹富島=は「伯父が犠牲になった。当たり前のことだが戦争のない平和な社会が望ましい」と話した。

(写図説明)慰霊碑に手を合わせ犠牲者の冥福を祈る遺族の女性=23日、竹富島

                ★

沖縄2紙は、「残虐非道の日本軍」の印象付けとして教科書に「集団自決」に加えて「戦争マラリア」の記述を次のターゲットに持ち出している。

軍の命令は「集団自決」のみならず「戦争マラリヤ」も、軍の強制連行の結果だというのだ。

ということは「戦争マラリア」も軍の命令で在り、結局「援護法」の対象になるということ。

戦時中に病死した県民は全て軍への協力で衰弱死したので「援護法」の対象になるということか。

第一部 風は南から⑥ 戦争マラリア

「島に“亡霊” いれぬ」

≪八重山地域の中学校でこち氏4月から使われる公民教科書採択をめぐっては、竹富町教委だけが「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社版の採用を拒み続けている。
戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。
慶田盛教育長は波照間島出身。 4歳のとき由布島に疎開し故郷に戻ってマラリヤに罹患(りかん)した
親族が犠牲になり、ムシロでくるまれた遺体を運ぶ光景や腐臭は今も記憶から消えない。
「スポンジのように吸収する子どもには、尖閣で国防や愛国心をあおるのではなく、八重山であった悲しい悲しい歴史を通し、平和を考える教育が必要だ」。 慶田盛教育長は「二度と子どもたちを犠牲にしない」という思いと戦争への怒りを何度も口にした。
波照間島で教科書問題について尋ねると、慶田盛教育長の姿勢を支持する人がほとんどだった。 元波照間公民館長の浦仲博さん(88)もその1人だ。
浦仲さんは、今回の教科書問題と、31年前の苦い記憶を重ねる。 1981年8月7日、太平洋戦争末期に島民を日本刀で脅し、マラリヤの汚染地域に強制的に疎開させた山下虎郎(本名・筒井清)軍曹が、ひっそり島を訪れていた。
・・・戦前の軍国主義の亡霊を呼び戻すように来島したことについて、全住民は満身の怒りをこめて抗議する」。 島の代表として本人に付き付けたた抗議書。 両親と親戚9人を失った妻の苦しみを思うと、今も怒りに震える。
「島民の傷は一生消えない。 戦争につながるものは島に入れさせない」。 浦仲さんは八重山の今を思い、言葉に力をこめた。(復帰40年取材班・吉川毅)≫(沖縄タイムス 2012年1月11日)

               ☆

沖縄県民でさえ「戦争マラリア」という言葉そのものを詳しく知っている人は、非常に少ない。

かく言う筆者も若いころ初めてこの言葉に接したとき、次のように誤解した。

「残虐非道の日本軍」は沖縄人虐殺のため「死亡率の高い特殊なマラリア」を研究し、多くの八重山住民がその犠牲になったことを指す、と。

さて、沖縄タイムの沖縄戦シリーズの第6回だが、先ず目に付くのは記事の冒頭から相変わらずのデタラメを撒き散らしていることだ。

>戦争マラリヤに関する記述がない出版社の公民教科書を拒否する同町の慶田盛安三教育長(70)の毅然とした姿勢の背景には、自身の戦争体験がある。

「戦争マラリア」とは沖縄戦の問題であり、記述するとしたら歴史教科書が適当である。

だが、八重山地区協議会は戦争マラリアの記述のある帝国書院版歴史教科書を選定しており、これには慶田盛竹富町教育長も、当然事ながら、何の反対も示していない。

「戦争マラリアに関する記述がない出版社の公民教科書は拒否する」とは、これこそヤクザの言いがかりだ。

では、そもそも戦争マラリアとは一体何なのか。

沖縄タイムス上記シリーズの悪意に満ちた「解説記事」によるとこうなっている。

 ▼[ことば]

戦争マラリア

太平洋戦争末期、八重山の住民が旧日本軍の命令でマラリアの有病地帯の西表島屋石垣島の山岳部などに強制疎開させられ、多くの人々が亡くなった。 八重山平和祈念館によると、犠牲者は3647人。 波照間島では、スパイ養成機関の陸軍仲の学校を卒業した人物が偽名で島に忍び込み、全党住民1600人を日本刀で脅し、マラリア汚染地域に疎開させた。 島民のほとんどが感染、477人が犠牲になった。

            ☆

事実誤認と「残虐非道な日本軍」の印象操作に必死の悪意に満ちた「解説記事」だが、ここで明らかのなのは戦争マラリアと言っても、日本軍が特殊なマラリア菌を培養したわけではない。

戦前は八重山地区のみならず沖縄県全域、いや、日本全国で見られた一般的マラリアのことである。

八重山地区の離島の山岳地帯には特にマラリアを媒介する蚊の群生が見られ、戦時中米軍の攻撃から避難するため離島の山岳地帯への疎開を誘導した日本軍への恨みつらみを込めて「戦争マラリア」と特別に呼称しているのだ。

これを「軍の強制」と性格付けすることにより「集団自決」と同じように「援護法」の対象にしようというのが「ゆすりたかり」を生業(なりわい)とするサヨク集団の主張なのである。

従って、喧伝されるされるように、日本軍が八重山住民を「マラリア非発生地域」から「マラリア発生地域」に強制連行したわけではない。

それは波照間島出身の慶田盛氏が疎開地の由布島では罹患せずに、故郷の波照間島に帰郷してからマラリアに罹患した事実を見ても明らかである。

筆者の小学校時代は、夏の蚊のシーズンになると「蚊に刺されるとマラリアになる」とはごく普通の会話で語られていた。

戦前からマラリアに悩まされていた沖縄がマラリアに決別を告げるのは、結局は沖縄を占領した米軍の殺虫剤の大量散布などのマラリア撲滅活動の賜物である。

八重山のマラリア撲滅運動は大正時代から始まるが成功せず、戦後、米軍の圧倒的なマラリア撲滅活動により、最後の患者が出たのは1963年であるとのこと。

ドキュメンタリー作家上原正稔さんが検証した米軍側の資料によると、マラリアの罹患者は八重山地区より沖縄本島の方が多く、沖縄全体がマラリア撲滅に成功するのは祖国復帰後、沖縄県公衆衛生大会において沖縄から風土病としてのマラリアがなくなったことが宣言される1978年のことである。

さらに疎開という言葉さえ死語になりつつある現在「日本刀を突きつけてマラリア汚染地域に強制疎開させた」という「解説」は、まるで「空気の清浄な地域の住民を放射能汚染地域に強制移住させた」といった極めて悪質な印象操作を感じる。

結局、沖縄タイムスが言いたいことは、こうだ。

「戦争マラリアは軍の強制!援護金の対象」と、

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★タイムマシンか?平和な時代に「防空演習!」の亡霊が小学校に出現

2022-04-28 08:27:00 | ●●沖縄の黒歴史

 

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本書を読まずして、今後の日米関係は一切語れない。

過去ブログを編集の上再掲します。

民間救急の軽飛行機が墜落 2人死亡 沖縄・伊江島空港で訓練中2022-03-13

 

人間が何か行動を起こすとき、「決死の~」とか「命がけの~」などと命を賭す表現がよく用いられる。 だが実際に命のやり取りをする戦場ならともかく、米軍基地問題などで抗議活動をする活動家が、実際に命を賭して抗議することはほとんどないだろう。
ましてや、自分の可愛い子や孫の生命に危険が及ぶような抗議活動など実際にはあり得ない話だ。

ところが、その危険な話が沖縄では実在するのだ。可愛い子や孫が通う小学校が現在「防空演習」を実施している危険な小学校がある。

しかもPTAが子や孫の「危険」を承知しながら、転校させるわけでもなければ、学校移転の運動をするのでもなく、30年余の長期間拱手傍観しているというのだ。


そんな全国でも稀有な例が宜野湾市普天間にある。ちなみに、今では死語になりつつある「防空演習」とは、日米戦争当時米軍機の空襲による被害を防ぐため、実際の状況を想定して行った実施訓練の事。


その防空演習が実際行われて小学校とは、普天間基地に隣接する普天間第二小学校のことだ。

その普天間基地が、「世界一危険な米軍基地」と沖縄メディアが報じる普天間飛行場であることは周知のこと。

まるでタイムマシーンで戦時中に舞い戻ったような「防空演習」の模様を誇らしげに報じる琉球新報。

避難所完成後初めて訓練 普天間第二小の窓落下事故 全児童が参加し、避難の行動順序確認

 
米軍機が上空を飛行したことを想定し、避難所に逃げ込む児童=12日午前8時35分、宜野湾市新城の普天間第二小学校

 【宜野湾】昨年12月に米軍普天間飛行場所属の米軍ヘリから窓が落下した宜野湾市立普天間第二小学校(桃原修校長)は12日午前、8月末に運動場の2カ所に完成した、屋根付き避難所を使った避難訓練を初めて実施した。600人以上の全校児童が参加し、米軍機が学校の真上やその付近を飛行した場合を想定し、訓練した。

 訓練は「安全朝会」として、1校時の前の午前8時15分から約20分間実施した。米軍機が上空を飛行した場合を想定し、初めに担当教員が①止まる②米軍機の音を聞いてどの方面から近づいてきているかを確認する③ゆっくり避難する―の行動順序を説明した。

 実際の訓練では、学校に配置された沖縄防衛局の誘導員が「安全確認してください」と拡声器で呼び掛け、児童が2カ所の避難所や幼稚園側の体育倉庫、プールの入り口など屋根がある場所に逃げ込んだ。これまでは防衛局職員が「避難してください」と指示を出していたが、今後は運動場にいる教員が避難の必要性をその都度判断する。

 訓練後、桃原校長は「児童は学校だけでなく、家でも公園でも道ばたでも、米軍機が上空を飛ぶことはある。将来的には、子どもたちが自分で避難の必要性を判断できるようにしたい」と説明した。

 普天間第二小では、全校児童が運動場を使う運動会が10月14日に予定されているため、その前に全校児童がいることを想定した訓練を実施した。同校は避難所の完成を受け、避難態勢の解除も検討している。【琉球新報電子版

               ★

沖縄タイムス+プラス ニュース

普天間第二小学校移転は反基地運動に妨害された?(下)【誤解だらけの沖縄基地・10】

2016年2月2日 07:01有料

 「危険と同居 仕方ない」「PTA苦渋の決断」

 1992年9月19日付の沖縄タイムス朝刊の見出しだ。米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小のPTAが18日に開いた臨時総会。これまで宜野湾市に毎年のように求めてきた校舎移転を断念し、現在地での建て替えを求めることを決めた。

 なぜ、苦渋の決断をしなければならなかったのか。建築から20年以上たち校舎は老朽化。建設費の高率補助が適用される復帰特別措置法の期限が2年後に迫り、キャンプ瑞慶覧の一部を返還させて移転するのか、現在地で建て替えるのか、決断を迫られていた。

 たとえ移転を選択しても、学校用地費は計画当初の25億円から50~60億円に高騰。市が要求してきた国の補助は認められず、移転はいつになるか分からない-。

 PTAの決議を受け、第二小は現在の場所で増改築され、96年に新校舎が完成した。

 当時、校長の比嘉岳雄さん(81)は「天井のコンクリートがはげ落ちて落下する。鉄筋はむき出し。私たちにできることは、老朽化による危険から子どもたちを守ること。米軍基地からの危険を取り払うのは政治にしかできなかった」と振り返る。

 比嘉さんは新校舎落成記念誌に、沖縄に米軍基地が集中している現状を踏まえ、国から用地費の補助が出なかったことに、こう記している。

 「当時の関係省庁は沖縄の実情を全く組み入れず、全国共通メニューで操作していて、政治的配慮に欠けていたと思う」

 さらに、学校を移転しても米軍基地の整理縮小、市全体の危険性にはどう向き合うのか。移転計画は基地あるがゆえの問題に阻まれた。

 一般質問で第二小問題を取り上げていた革新系元市議の上江洲安儀さん(80)は「第二小が移転するということは普天間飛行場が存在し続け、市に危険がそのまま残るということだ。近くにはほかの学校もあり、第二小を移転したとしても、根本的な解決につながらない。普天間飛行場こそ撤去するべきだった」と指摘する。

 報道は、歴史的背景や経緯が不明なままネット上で拡散し、オスプレイや辺野古新基地建設の反対運動への批判を誘導している。

 沖縄国際大学の佐藤学教授(政治学)は「報道を利用した反対運動への批判は、沖縄への米軍基地の集中を正当化したい心理があり、沖縄をおとしめて、罪悪感を拭いたいという気持ちがある」と指摘。その上で、「若者がネット上の虚偽の言説を受け入れてしまうのはなぜかも考える必要がある」として、歴史の知識の欠如に警鐘を鳴らした。(「沖縄基地」取材班)

沖縄タイムス 2017年1月9日

普天間小学校にフロンティア賞

防災甲子園

自然災害の教訓を生かし、防災への意識を高める活動をしている学校や団体を表彰する第12回「ぼうさい甲子園」(1・17防災未来賞)の表彰式が8日、神戸市中央区で開かれた。今回のグランプリは高知県立須崎高。 地域住民と南海トラフ巨大地震の津波に備え、避難場所までの時間を測り、危険な場所を絵や地図で示した「避難カルテ」を作成した。宜野湾市の普天間小学校は、フロンティア賞を受賞した。 飛行機墜落を想定した避難訓練を行うなどの取り組みが評価された。

 

同じ趣旨の10日付コラム「大弦小弦」

[大弦小弦]自然災害に対する優れた防災教育の…

 

 自然災害に対する優れた防災教育の取り組みを表彰する「ぼうさい甲子園」(毎日新聞社、兵庫県など主催)で、普天間小学校がフロンティア賞を受賞した(9日付26面)。内容は米軍機墜落を想定した避難訓練

▼同賞は「過去に応募がなかった地域・分野での先導的な取り組み」を顕彰するもの。受賞は喜ばしいが米軍機墜落は自然災害なのか、考えてしまった

同様の訓練は普天間飛行場に近接する普天間第二小、嘉手納基地近くの屋良小などでも幼稚園を含め、年間行事として行われる。何度か取材したがハンカチで鼻と口を押さえながら走る子どもの姿を見て、いたたまれない気持ちになった

6年前の普二小の訓練後、校長はこう児童を諭した。「墜落だけでなく時には『あれ、今のエンジンの音は変だぞ、いつもと違うぞ』と飛んでいる飛行機に注意を払うことも必要です」

▼児童にこんな注意をしなければいけない学校が、日本のどこにあるのか。墜落は、米軍に好き勝手な運用を許している政府の姿勢に起因する。天変地異ではない

▼復帰後に県内で発生した米軍機墜落は47件で、単純計算で年1回超のペースだ。だから基地周辺校は避難訓練をやらざるをえない。でも、これが異常であることを意識し続けたい。こんな避難訓練はなくさなければならない。一日も早く。(磯野直)

                                          ☆

 >飛行機墜落を想定した避難訓練を行うなどの取り組みが評価された。

最近頻発する地震や津波に備えて、小学校で防災訓練をするのなら、表彰してもおかしくない。

だが、いつ落ちるか分からない航空機に備えて、小学校で「防空演習」をするなど聞いたことがない。

これでは、子供に対するヤクザの脅しではないか。

何も知らず、踊らされる小学生が哀れである。

ちなみに沖縄の米軍基地問題に詳しい篠原章さんによると、「(沖縄では)復帰以来、米軍機の事故でけがをし、死亡した県民は一人もいない。これは偶然ではなく、パイロット、軍の努力の結果。自分は死んでも住民に被害を与えないというのが軍の姿勢だ」とのこと。

沖縄2紙が、誇大に報道する「沖国大米軍ヘリ墜落事故」も、民間人、搭乗員を含め死傷者は1人も出ていない。

 

■普天間飛行場の移設問題が話題になるたびに登場する二つの小学校がある。

普天間小学校と普天間第二小学校だ。

二つの小学校はいずれも普天間飛行場の近くに在るが、特に普天間第二小学校が普天間移設問題の象徴として新聞を賑わしている。

普天間第二小学校が建設されたのは、沖縄が米軍の統治下にあった1969年である。

しかし、普天間「第2」小学校というように「第二」が校名にが付くのは普天間小学校の分校を意味し、周辺の住民が急増したため分校の必要があった。

ただ、「分校」(普天間第二小学校)を作るのに「世界で一番危険な米軍基地」と報道される普天間飛行場に隣接する現在地に設置する必要はなかったはずだ。

自分の可愛い孫や子が通学する場所として最も不適当と思われるのが普天間第二小学校の現在地だ。

当然、心ある親族・識者から移転の話が持ち上がっていた。

沖縄県選出衆議員議員の小渡三郎氏は、復帰後の1982年(昭和57年)3月10日の衆議院(沖縄及び北方問題に関する特別委員会)で普天間第二小学校の移転問題で次のように政府に要請している。

(普天間第二小学校は)教育環境が非常に悪い、しかも飛行場の滑走路のすぐそばである。隣接しておる、運動上のすぐそばはフェンスに囲まれている。こういう状況でございますから、どうしても移転をせぬといかんということになったわけでございます。(中略)そこで今度は、今指定されている地域がまずいならば、その東側の方に第二の候補地と隣接して置いても差し支えないと市当局は言っておるのでございますが、まだ前に進んでないのです。解決しておりません。したがいまして、ぜひこれはやっていただかなくてはならないし、同時に国有地もございますから県の方の了解も取りつけなければならぬということで、の事知事の方にも要請したしましたら、知事の方からも正式な回答が出まして、55年12月12日付の宜野湾市の方から要請のあった国有地の分の返還については、国有財産第九条に基づく委任事務に係る管理財産であるから同意しますということになっているわけでございます。さらに、移転地における地主の皆さん方でございますが、五名おられますけど、その後五名の地主の皆様も学校用地であれば結構でございますということで、これも開校に同意をいたいております(略)>

小渡三郎衆院議員の移転要請に対し、政府側委員として防衛施設庁施設部長の伊藤参午氏は次のように答弁している。

(普天間第二小学校の移転要請は)自体の早期解決図りたいと思って現在努力中でございます。

普天間第二小学校の危険性に鑑みて、沖縄側は宜野湾市長、県知事そして移転候補地の地主が同意しており、その移転要請を沖縄選出の国会議員が国会で政府側に要請している。

子どもの生命と安全にかかわる緊急を要する案件である。 政府側も「早期解決を図りたい」と同意している。

沖縄県側、政府側のほとんどの関係者が移転に同意しているのだ。  

移転を妨げるものは何もない。

移転は時間の問題と思われていた。

ところが、この政府答弁から30年以上経過した現在、普天間第二小学校の移転はいまだに実現していない。

沖縄側の中心となる筈の宜野湾市長が極左思想の持ち主である伊波洋一氏に変わったのだ。

それ以来、移転の流れが大きく変わった。

普天間第二小学校は、米軍基地反対派にとって子供たちを人質にした「人間の盾」として移転されては困るといういうのだ。

産経新聞がその間の実情を伝えているので、長くなるが引用する。

平成22年1月10日『産経新聞』

【揺らぐ沖縄】
普天間隣接の小学校
移設計画2回頓挫

「反基地」の市民団体反対

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)に隣接し、ヘリ墜落など事故の危険にさらされてきた同市立普天間第二小学校(児童数708人)で、これまで2回、移転計画が持ち上がったが、基地反対運動を展開する市民団体などの抵抗で頓挫していたことが9日、当時の市関係者や地元住民への取材で分かった。市民団体などは反基地運動を展開するため、小学生を盾にしていたとの指摘もあり、反対運動のあり方が問われそうだ。(宮本雅史)

 普天間第二小は、昭和44年に普天間小から分離。南側グラウンドが同飛行場とフェンス越しに接しているため、基地の危険性の象徴的存在といわれてきた。
 移転計画が持ち上がったのは昭和57年ごろ。同小から約200メートル離れた基地内で米軍ヘリが不時着、炎上したのがきっかけだった。
 当時、宜野湾市長だった安次富(あしとみ)盛信さん(79)によると、それまでも爆音被害に悩まされていたが、炎上事故を受け、小学校に米軍機が墜落しかねないとの不安が広がり、移転を望む声が地域の人たちから沸き上がったという。
 安次富さんらは移転先を探したが確保できなかったため米軍と交渉。約1キロ離れた米軍家族用の軍用地のうち8千坪を校舎用に日本に返還することで合意。防衛施設庁とも協議して移設予算も確保した。
 ところが、市民団体などから「移転は基地の固定化につながる」などと抗議が殺到した。安次富さんは「爆音公害から少しでも遠ざけ危険性も除去したい」と説明したが、市民団体などは「命をはってでも反対する」と抵抗したため、計画は頓挫したという。
 同市関係者は「市民団体などは基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供たちを人質にした」と説明している。
 その後、昭和63年から平成元年にかけ、校舎の老朽化で天井などのコンクリート片が落下して児童に当たる危険性が出たため、基地から離れた場所に学校を移転させる意見が住民から再び持ち上がった。だが、やはり市民団体などに「移転せずに現在の場所で改築すべきだ」と反対され、移転構想はストップした。
 当時市議だった安次富修前衆院議員(53)は「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせでもいいということだった」と話す。別の市関係者も「多くの市民は基地の危険性除去のために真剣に基地移設を訴えたが、基地反対派の一部には、米軍の存在意義や県民の思いを無視し、普天間飛行場と子供たちを反米のイデオロギー闘争に利用している可能性も否定できない」と指摘している。>

 

極左思想の持主である伊波洋一元宜野湾市長(現参院議員)は、当時のメア総領事と何度も米軍基地について討論をして何れもメア氏の論理に打ち負かされている。

そこで、メア氏の著書の内容にケチをつけ、名誉棄損になるとして刑事告発した。

名誉毀損問題

ケビンメア氏の著書「決断できない日本」の中で、沖縄県宜野湾市の米軍普天間飛行場に近接する小学校の移転を巡り、「日本政府は移転しようとしているが、伊波洋一前市長が反対している。小学校の危険性を政治利用していた」と記述したことに関し、伊波から2011年10月26日、同市が1980年頃から国に移転要請してきたが国が応じず1992年に頓挫した経緯を示された上で「移転に反対したことはなく、名誉を傷つける悪意のある内容だ」として名誉毀損罪で那覇地検に告訴された。メアは「本の記述は事実で告訴は不当だ」と語った。

最終的に那覇地検は「必要な捜査を行ったが、虚偽であると断定できる証拠がない」として2012年12月20日付で嫌疑不十分による不起訴処分とした。また、民事訴訟も行われなかった。

メア元部長を嫌疑不十分で不起訴 元宜野湾市長告訴の名誉毀損
2012.12.20 17:30
 那覇地検は20日、昨年8月に出版した著書で虚偽の事実を記載したとして、沖縄県宜野湾市の伊波洋一元市長が名誉毀損容疑で告訴していた米国務省の元日本部長ケビン・メア氏(58)を、嫌疑不十分で不起訴にした。

 メア氏は著書で、米軍普天間飛行場(宜野湾市)近くにある普天間第二小学校を政府が移転しようとしたところ伊波氏が反対し、学校の危険性を政治的に利用したなどと記述。伊波氏は告訴状で「政府は移転しようとしておらず、反対の表明もしていない。事実に反し虚偽だ」としていた。

 地検は「本の記述が虚偽であると断定するだけの証拠はない。メア氏がその内容が真実だと信じたことに、相当な理由がないとも言えない」と説明した

                           ☆

地検はメア氏が著書で「米軍普天間飛行場(宜野湾市)近くにある普天間第二小学校を政府が移転しようとしたところ伊波氏が反対し、学校の危険性を政治的に利用した」という記述が虚偽かどうかを検証し、「政治的利用」は事実であったと認めたことになる。

したがって伊波氏の請求する名誉毀損は存在せず、不起訴と言うことになった。

>地検は「本の記述が虚偽であると断定するだけの証拠はない。メア氏がその内容が真実だと信じたことに、相当な理由がないとも言えない」と説明した

法律関係の文章はわかりにくい。

真実だと信じたことに、相当な理由がないとも言えない」と二重否定を含む難解な表現は地検の「沖縄左翼」への配慮かも知れぬが、わかりやすく言い換えればこうなる。

メア氏がが真実と信じたことには相当な理由がある

メア氏は、自著の中でどこぞの「米国特約記者」のように嘘八百を書き連ねた訳ではないので、「名誉毀損は成立しない」と述べている。

伊波洋一氏が、普天間第2小学校が「世界一危険な小学校」として、利用していたことは県民のみならず全国民の知る厳然たる事実である。

その証拠がこれ。

実際に決議したのはPTAだが、市職労出身の伊波洋一市長に忖度した決議であることは誰の眼にも明らか。

自分の子供の生命が「世界一危険な米軍基地」に隣接しているのだ。

PTAが宜野湾市長に移転要請をしたら、伊波市長は政府に移転要請をするだろう。 政府がこれを拒否するはずはない。

だが、伊波市長が政府に移転を要請した形跡はない。

結局、伊波市長は「移転」をPTAに丸投げし、PTAは渦中の栗を拾ったことになる。

人間の盾に小学生を!普天間移設の真相

「世界一危険な米軍基地」と、そこに隣接する小学校。

左翼勢力にとってこれほど絵になるおいしい場面はない。

普天間第二小学校はいわば「米軍基地反対運動」の象徴的存在でもある。

NHK沖縄はこのように子供を使ったやらせ番組で国民を騙し続けている。↓

【動画】普天間基地に隣接する普天間第二小学校の子供達の声

そして普天間基地の象徴ともなっている普天間第二小学校の危険性を考慮して過去に二度も移転の話が持ち上がったが、その度に移転反対をして妨害したのは、ほかならぬ「米軍基地反対派」の左翼勢力であったというから驚きである。

約30年ほど前の「事件」を沖縄タイムス、琉球新報の地元二紙が黙殺した。 それを産経新聞那覇支局にすっぱ抜かれ面目を潰した沖縄タイムスが、宜野湾市に取材し、9ヶ月ぶりに反論したのが下記記事。

産経新聞に大きく報じられては黙殺を続けるわけにもいかず、宜野湾市側がこれに反論し、沖縄タイムスがこれを大きく報じた。

それがこれ。

沖縄タイムスが反論?産経報道に

 

◆沖縄タイムス 2010年10月14日 市町村面

移転頓挫報道 市が反論

普天間第二小学校「予算確保の事実は無い」

【宜野湾】米軍普天間飛行場に隣接する市の普天間第二小学校について、「過去に移転の予算まで確保しながら基地反対運動を展開する市民団体の抵抗で頓挫した」とする全国紙の報道をめぐり、同市が8日の市議会定例会で真っ向から反論する場面があった。 
問題となった記事は、産経新聞がことし1月に掲載した。 1980年代、市は学校の移転先として軍用地の一部を返還することで米軍の合意し、防衛施設庁(当時)と協議して予算も確保したが、市民団体などが「移転は基地の固定化につながる」と抵抗したーと当時の安次富宜野湾市長らの証言を基に記述。 「基地反対運動をするために小学校を盾にし、子供達を人質にした」など関係者のコメントを紹介している。 記事はインターネットを上でも大きな話題になり、市には多数の抗議が寄せられた。
一方、同市の山内繋雄基地政策部長は答弁で、(1)用地購入には30~60億かかる上、国の補助も得られず、市の財産では対応不可能だった(2)学校の老朽化も進んでいたため、同校PTAが時間のかかる移転ではなく、現在地での前面改築を求める決議をしたーなどと反論。 移転予算予算が確保されていたということも、市民団体の反対のために移転できなかったことも事実ではない」と強調した。

同記事では、11月に予定される市長選に出馬を表明している前衆議院議員の安次修氏=盛信氏の息子で元市議=も「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせてもいいということだった」とコメントをしている

反論ならば「大手新聞の捏造記事」とでも題して、社会面のトップ扱いで掲載すればよいものを、人目につき難い【市町村面】という地味な県内のローカル紙面に掲載されたのはなぜか。

記事が反論どころか大筋では産経記事が正しかったことの証明になるからだ。

文末の「反対派は基地の危険性を訴えていたのだから真っ先に移転を考えるべきだったが、基地と隣り合わせてもいいということだった」という元市議のコメントが表しているとおり、

「世界一危険な小学校」の移転が二度にわたって頓挫したことはまぎれもない事実だし、「反論」と大上段に構える市側の「予算計上の有無」は、この問題の本筋から外れている。

問題は、本当に件の小学校が命の危険に晒されるほど危険なら、予算の都合はさておいた万難を排してでも移転すべきではないのか。

 さらに30年以上も危険のまま放置した市側の責任はどうなるか。 土地買収に金が掛かるというが、現在の敷地を売却し、「小学生の命を救うため」と募金をすれば何とかなったはずだ。 多くの子供の命にかかわることだ。

そこから浮かび上がる事実は、移転頓挫の原因は、「プロ市民」の反対運動が主な理由であり、「予算云々」は枝葉の問題に過ぎないということ。

移転運動が起きた当時、宜野湾市役所の労組も反対運動に加担していたと聞く。 

「世界一危険な基地」を売り物に次期県知事の座を狙う伊波洋一宜野湾市長は、その頃宜野湾市労組で赤旗を振って活躍中のはずである。

 伊波氏率いる当時の労組の面々は予算云々より移転そのもで「売り物」がなくなるのを危惧し反対したのではないか。

沖縄タイムスは、宜野湾市を叩いて産経新聞に反論したつもりなのだろうが、そもそも地元の新聞でありながら「危険な小学校」の移転話の「頓挫事件」を報道しなかったことは、新聞としての役目を自ら放棄していたことになる。

人目につき難い紙面に「反論のアリバイ記事」を書いたつもりだろうが、良識ある読者が読めば見事なまでの「ブーメラン記事」であることは自明である。

読者の参考までに問題の産経記事を掲載しておくが、本件に関しては当日記でも書いてあるし、テレ朝で全国放映もされており、今頃反論しても恥の上塗りをするだけである。

 

⇒ 人間の盾に小学生を!普天間移設の真相

伊波市長がテレ朝「S・フロントライン」に生出演!

 

            ☆

■小林よしのり氏が現地取材

小林よしのり氏が普天間第二小学校を訪問したときの話しである。

「世界一危険な米軍基地」と言われる普天間基地に隣接する小学校での基地被害を実際に体感する目的で、校長先生に面談した。

校長先生は、米軍用機が撒き散らす騒音被害で、授業もままならないといった苦情を切々と訴えた。 だが、その時はなぜか軍用機の飛来はなく騒音被害も体感できなかった。校長のはなしでは、「今日は偶然飛行機の飛来が少ないが、通常はもっと煩い」と説明した。

小林氏が事前に沖縄メディアで予習してきた情報とはかけ離れ、現場の状況は静かだった。

それでは取材の意味をなさない。

そこで、学校の近くの店でコーヒーを飲みながら待機。 騒音被害の実体験を試みた。

ところが午前中待機しても沖縄メディアが報じる激しい騒音被害を体験できなかったので、お店の人に聞いたら、「特に意識はしないが、時には騒々しいこともある」という程度だとのこと。

沖縄メディアが一点を切り取って誇大に報道する情報を鵜呑みにしたら、実態を見誤る。

民主党政権当時、田中防衛大臣が普天間第二小学校を視察したときも、沖縄メディアで予備知識を得たせいか、つい本音を言って沖縄2紙やしんぶん赤旗のバッシングを受けたことがある。

就任後初めて来県した田中直紀防衛相が、宜野湾市の嘉数高台から米軍普天間飛行場を視察した際、同飛行場に隣接する普天間第二小学校の安全性について、「すぐ頭上にヘリコプターが降りてくるというが、そういうケースはそんなに多いわけじゃないんでしょう?」と、真部朗沖縄防衛局長に質問する場面があった。

バカ正直丸出しの無能な田中防衛大臣は、沖縄メディアが垂れ流す下記写真などで洗脳され、普天間第二小学校のことを「空を覆う軍用機の騒音の合間合間に授業をする小学校」と想像していたのだろう。

だが、実際はカメラの角度で学校の上空を飛んでいるようにみえるが、実際は学校の上空を飛んでいるわけではない。同校は普天間飛行場に隣接はしているが、滑走路の延長線上から外れているからだ。

写真

(写真)校庭で遊ぶ子どもたちの頭上を、覆いかぶさるように着陸進入する米軍機=2010年6月22日、沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校(しんぶん赤旗)

田中氏の発言に、県幹部は「大臣が視察するときは米軍の訓練も減るとも聞く。大臣は嘉数高台から見たままを口にした可能性もある。事務方のレクも不足していたのではないか」との見方を示した上で、「県が普天間の危険性除去に取り組む中、多くの市民、県民が聞いて気持ちのよい言葉ではない」とも述べた。

ちなみに筆者は普天間基地に隣接する野嵩地区に在住するが、騒音で生活を乱されると感じたことは一度もない

ところが本音を語った田中防衛大臣に対する批判は問責決議の話が出るほど激しいものだった。

以下は田中防衛大臣の「本音」を批判する当時の新聞赤旗。

 しんぶん赤旗 2012年1月27日(金)

「世界一危険」な普天間基地

騒音 年間2万回 苦しむ宜野湾

田中防衛相の暴言に批判

 田中直紀防衛相が米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)に接する普天間第二小学校について「(頭上を飛ぶヘリは)そんなに多くない」と発言したことに、県民から強い批判の声があがっています。


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「資源インフレ」を止めるには原発再稼動が必要だ

2022-04-28 06:03:07 | 経済

 

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【マイナス成長でも軍事支出は拡大】

ウクライナ戦争で分かったことは、防衛費はその性質上、マイナス成長でも拡大する必要がある。国防こそ最大の福祉と言われるくらいだ。

■防衛費拡大に立ち塞がる財務省の壁

国際安全保障の変化に伴い、防衛省が防衛費拡大を主張した時、我が国では予算の増額を財務省に要求する。ここで防衛費拡大に伴う財務省対防衛相の対決が始まる。

だが「省庁の中で最強」と言われる財務省は、均衡財政の狂信者であり屁理屈をこねくり回す天才である。

その「優秀な財務官僚」が相手では、防衛省の敗北は目に見えている。

財務省に対決するため防衛相、外務省、デジタル省など国防関連省庁を束ねる安全保障省を設置し、首相代理の内閣官房長官を担当大臣に委ねる。

いわば「内閣省」である。アメリカで言えばペンタゴンともいえる省庁の軍団で対決すれば、いくら財務省でも内閣に逆らうのは躊躇するだろう。

財務省が防衛予算を出し渋る決まり文句は財源である。

防衛予算は将来に対する投資だと考えれば、建設国債と同じく国債発行で財源に充当することも可能だ.

だが、均衡財政狂信者の財務官僚を説得するのは困難だ。

そこで日露戦争当時、貧弱な財政基盤で大国ロシアを打倒した財務省の大先輩高橋是清の戦時国債の例で対応すべきだ。

高橋是清、戦時国債で日本を救った男、世界の軍事費 271兆円 21年 最高額更新 ロシアも拡大2022-04-26 

 

 

「資源インフレ」を止めるには原発再稼動が必要だ

岸田政権の「物価高対策」が発表された。「インフレ対策」とか「円安対策」といわないところがポイントである。3月のコアCPIでも0.8%と、日銀のインフレ目標2%に達していないのに、なぜ物価高対策なのか。

参議院選挙の前にバラマキをやるため、当初は使い残している予備費でやろうとしたが、公明党が「補正」という形を求めたので、6.2兆円の事業規模になった。経済政策としては無意味な補正予算である。

まず「資源インフレ」を止めよ

3月の企業物価上昇率は前年比9.5%。電気代は次の図のようにすでに20%上がっており、この資源インフレが今回の物価高の本質である。その最大の原因は、2021年にエネルギー価格が暴騰したことでもわかるように、脱炭素化で化石燃料への投資が削減され、供給不足に陥ったことである。

日本経済新聞より

そしてウクライナ戦争と経済制裁による原油・天然ガスの欠乏で、ヨーロッパでは40%も電気代が上昇した。日本も後を追うだろう。資源インフレを防ぐには、エネルギー供給を増やし、消費を抑制する必要がある。

ところが今回の補正予算の最大の項目は、石油元売りへの1.5兆円の補助金である。インフレの時代に、財政赤字を増やす政策はありえない。特に化石燃料の価格が上がっているとき、ガソリンの消費を促進する政策は、脱炭素化とも矛盾する。

円安と「輸入インフレ」の悪循環

物価高のもう一つの原因は、円安による輸入インフレである。アメリカの長期金利(10年物国債)2.8%に対して、日本は0.25%未満。日銀が指し値オペをやっているため、日米金利差は縮まらない。アメリカの予想インフレ率は2.8%と高いので、実質金利の差はそれほどないが、日銀が量的緩和をやめないかぎり、円安は止まらない。

財務省(時事通信より)

さらに化石燃料の値上がりで、図のように貿易赤字が拡大し、これが円安要因になっている。

資源インフレ→貿易赤字→円安→輸入インフレ

という悪循環が起こっているのだ。普通は円安になると輸出が増えて貿易赤字が減るが、今回は輸入インフレによる交易損失が大きいので、貿易赤字は今後も増えるだろう。

まず必要なのは、日銀の量的緩和をやめることだ。今月、携帯電話のマイナス1.5%がなくなったら、インフレ2%になることは明らかで、物価を抑制する局面である。指し値オペをやめるとともに、日銀当座預金のマイナス金利をやめ、金利を市場にまかせるべきだ。そうすれば為替レートは、120円台で安定するだろう。

資源インフレは脱炭素化や経済制裁による政治的現象なので、マクロ経済政策では止まらない。もっとも重要なのは供給のボトルネックの解消である。特に「特重」で止まったままの原発再稼動が緊急に必要だ。石炭火力を廃止する行政指導もやめ、火力を温存すべきだ。

重要なのは、安倍政権から続いてきたマクロ経済偏重をやめ、供給重視の経済政策に転換することだ。それはエネルギー政策や規制改革など政治的に困難なものが多いので、選挙前には無理だろうが、衰えた供給力を強化しないかぎり、インフレも円安も止まらない。

 

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