「光華寮」訴訟、最高裁が差し戻し…台湾が実質敗訴
台湾が、京都市の中国人留学生寮「光華寮」の寮生8人に建物明け渡しを求めた訴訟の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であった。
藤田宙靖(ときやす)裁判長は「訴訟は中華民国(台湾)が中国国家を代表して起こしたが、1972年の日中共同声明で中華人民共和国が中国国家となり、台湾の代表権は消滅した」と判断、台湾を原告としたこれまでの訴訟手続きを違法・無効として4件の下級審判決をすべて取り消し、審理を1審・京都地裁に差し戻した。
最高裁が台湾を訴訟当事者として認めなかったことで、提訴から40年続いた訴訟は事実上の台湾敗訴となった。今後、京都地裁が原告を台湾から中国に切り替える手続きをとるが、中国が訴訟継続を望まなければ、取り下げで決着することになる。ただ、この日の判決は、「中華民国」名義になっている寮の所有権の帰属を判断していないため、所有権を巡る新たな訴訟になる可能性もある。
この訴訟では、台湾勝訴とした87年の大阪高裁判決に、中国政府が「二つの中国を認めたもの」と反発するなど政治問題化。上告審は棚上げ状態のまま20年に及び、最高裁に係属中の民事訴訟では最も古いものとなっていた。
台湾は戦後まもない52年、寮を購入したが、その管理を巡るトラブルを理由に、67年、寮生に明け渡しを求めて提訴。1審の審理中、日中共同声明で日本が中国を「唯一の合法政府」として承認したため、〈1〉台湾が訴訟当事者になれるか〈2〉寮の所有権は台湾から中国に移るかが争点となった。
この日の最高裁判決は、訴訟の前提として「原告は国家としての中国」と判断。「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断したのに、下級審がその手続きを行わなかったのは違法」として、72年時点に戻って訴訟手続きをやり直すべきだとした。
京都地裁は77年、「声明で寮の所有権は台湾から中国に移った」として台湾敗訴を言い渡したが、2審・大阪高裁が同地裁に差し戻し、差し戻し後の1、2審は、「政府承認が切り替わっても寮の所有権は中国には移らない」と、台湾勝訴としていた。
(2007年3月27日23時46分 読売新聞)
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分り難いと言うのがこの記事を読んでの第一の感想。
分りにくくしている原因は勿論「二つの中国」。
台湾海峡を挟む「大陸中国」と「台湾中国」だ。
最高裁は「大陸中国」(中華人民共和国)が中国の代表権を持つと認定した。
その結果、それまで原告として立ち退き訴訟を起こしていた「台湾中国」が1972年の時点で突然消滅して「大陸・中国」に替わってしまうというマジックのような判断をしたことになる。
被告が自分(被告)を提訴し続けるはずはない。
当然提訴の取り下げとなるだろう。
結局「台湾中国」の全面敗訴と言う結果になったわけだ。
最高裁判断は「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断した」と言う事。
ならばここでもう一つの疑念がもちあがる。
果たして72年まで「中華民国」と主張してきた「台湾中国」は正統な「中華民国」の後継者たり得たのか。
第二次大戦後、国共内戦により台湾に逃れた蒋介石は台湾を称して「中華民国」と名乗った。
これは蒋介石が一方的に主張するだけで国際法、国際条例上の法的根拠は唯一「カイロ宣言」なる幻の文書だけである。
最近の研究によると「カイロ宣言」はその原本は当事者たる「中華民国」にも存在せず、そのコピーとされる文書にもサインはない。
カイロ宣言の有効性に対し、最近研究者の間から疑問の声が上がっている。
文書の正式名称は Cairo Communiqué であり、外交的な宣言などではなく、プレスリリースにとどまっているため、各国代表による署名も行われていない。
従って、何の法的効果も持たない。
ということは蒋介石の中華民国が台湾を自国に編入する事には何の法的根拠も無い事になる。
そもそも、カイロ宣言なるものの原本自体も存在していない事実から、 「カイロ公報」という訳語のほうが適切でないか、との指摘もある。
カイロ宣言が無効である場合、1952年のサンフランシスコ平和条約による日本の領有権放棄以降、台湾の領有権は定まっていないことになる。
話は巡り巡って「光華寮」訴訟に戻るが、原告が中華民国を名乗る事事態がおかしなことになる。
中華民国は蒋介石が台湾に作った亡命政府と言うことになる。
だとしたら中華民国が中国としての代表権をなくしたので原告が中華人民共和国に入れ替わると言う最高裁の離れ業にも矛盾が生じて来る。
最高裁の判断はともかく台湾が光華寮を購入した事は動かせない事実だ。
日本が法治国家であるなら「光華寮」の所有権は中華民国ではなく台湾にあるの。
従って、原告はあくまで台湾で無ければ整合性は破綻する。
話を一歩も二歩も譲歩して仮に台湾=中華民国だと認めたとしても最高裁判断には疑問が残る。
1972年の日中共同声明では、日本政府は、
台湾を中華人民共和国の不可分の領土とする同政府の立場を「十分理解し、尊重」するとしたが、
「台湾の帰属に関しては判断する立場にない」というのが日本政府の公式見解である。
「台湾の帰属に関しては判断する立場にない」筈の日本の司法がが、台湾を中華民国と同一に判断し、その中国としての代表権を剥奪する判断を下す事は政治的判断である。
これは「大陸中国」に配慮した過剰な「理解と尊重」ではないのか。
台湾は現在も過去にも「大陸中国」の領土であった事はない。
▼1945年の第二次世界大戦終結後、中華民国(蒋介石)は、連合国軍の委託を受けて駐台湾日本軍の武装解除を行うために台湾へ軍を進駐させた。
日本が明け渡した台湾は中華民国の前身である清が「化外の地」と言い放った台湾に戻っていた。
中華民国軍の台湾進駐は自国への里帰りではなく、あくまでも他国・台湾への進駐に過ぎなかった。
いわばイラク戦争後にイラクに進駐した自衛隊と同じく、本来ならいずれは大陸の母国へ帰る一時的進駐のはずだった。
だがそのまま台湾に居座り、1945年10月に台湾を「正式な」中華民国の領土に編入した。
その「正式」の法的根拠を、1943年のカイロ会談における取り決めに求めた。
そして、その後に国共内戦によって中華人民共和国が成立し、かつ中華民国政府が一旦崩壊した上で“台湾国民政府”として再始動をはじめた。
◆参考:産経新聞と「台湾の声」との「カイロ宣言」論争。
(2006-12-21 22:14:34 )
≪中国が台湾の領有権を主張する根拠を、1952年のサンフランシスコ平和条約による日本の領有権放棄に求める。
だが同条約では日本は台湾の領有権は放棄しているが、中国に譲ったと明記されているわけではない。
日本降伏の根拠となる「ポツダム宣言」にも日本が放棄した後の台湾の地位については触れられていない。
だが中国はポツダム宣言の「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される」と言う八条に目をつける。
そこで中国は戦時中の1943年11月、米、英、中三カ国で行われたカイロ会談で発せられたとされる「カイロ宣言」に台湾領有の根拠を求めた。
「カイロ宣言」とはアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズヴェルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国主席の蒋介石によってカイロ会談が行われ、その内容を踏まえて11月27日に署名、12月1日に発表された声明文。
主要な内容は以下の通り。
①米英中の対日戦争継続表明
②日本の無条件降伏を目指す
③日本への将来的な軍事行動を協定
④満洲、台湾、澎湖諸島を中華民国に返還
⑤奴隷状態に置かれている朝鮮の独立
⑥第一次世界大戦後に日本が獲得した海外領土の剥奪
ここに示された日本の領土に関する取り決めは、1945年のポツダム宣言に受け継がれる。
そしてそれがそのままサンフランシスコ条約に引き継がれていると言うのが中国の台湾領有の根拠である。(上記④条項)≫
◆参考:
「カイロ宣言」は幻か |
「一つの中国」という虚構の始まり |