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裏面史・沖縄返還交渉(3)
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古澤 襄
1969年4月1日に岸元首相は、実弟の佐藤特使としてワシントンで行われたアイクの葬儀に参列し、ニクソン大統領と会談した。儀礼的な会見というよりは、沖縄問題に絞った重要会談となった。
<各国代表とニクソンは会談した。岸はその一連の表敬会談の最期の順番を希望した。ニクソンと会談した四十五分間にうち四十分は沖縄問題を話し、おれ(岸)ですら核抜き返還であるべきだと(思うと)ニクソンにいった。
日本の国民感情にある核への大きい抵抗を強調したら、ニクソンはうーんといっていて黙ったままだった>(岸と会った末次一郎基地問題研究会事務局長の証言)
これについて楠田首席秘書官も「ニクソン大統領は、ホワイトハウスで旧知の岸さんを手厚くもてなした。沖縄返還についての、岸さんの言葉に耳をかたむけ、帰りは、わざわざ車のところまで見送る配慮をみせ、佐藤総理の訪米をお待ちしている、と語った」・・・と証言している。
基地問題研究会の末次事務局長は、木村官房長官の人選によるものだが、メンバーに若泉敬京都産業大学教授が加わった。キッシンジャー秘録で「ミスター・ヨシダ」のコード・ネームで出てくる佐藤密使。
キッシンジャーのコード・ネームは「ドクター・ジョ-ンズ」。若泉氏はニクソン政権以前から佐藤の命を受けて、屡々渡米し沖縄問題に関する米側の動きを探って佐藤に直接、報告していた。佐藤に若泉氏を紹介したのは福田赳夫氏だとする説もある。
若泉氏は楠田氏に「自分が沖縄問題に(深く)かかわったことは、生涯の秘密にしてくれないか」と頼んだ。楠田氏もこれを守った。しかし1994年になって「沖縄返還と自分のかかわりを(文藝春秋社から)出版する」と断りを入れてきた。
沖縄返還交渉で「核密約」といわれる日米合意議事録は、若泉氏の著書「他策ナキヲ信ゼムト欲ス」で明らかにされた。その内容は若泉氏によれば次のようなものである。
米国大統領「沖縄が日本に返還されるまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去する。しかし極東諸国の防衛のため、重大な緊急事態が生じた際には、日本政府と事前協議の上で核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。
事前協議では好意的回答を期待する。沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち熹手納、那覇、辺野古などの基地をいつでも使用できる状態に維持し、重大な緊急事態の際には活用できることを必要とする」
日本国総狸大臣「日本政府は、大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要を満たすであろう」
「ドクター・ジョ-ンズ」と「ミスター・ヨシダ」の裏交渉が秘密裏に
始まったのは、岸・ニクソン会談の年(1969年)の7月だったという。
両者はコード・ネームでワシントンと東京間の電話交渉も行われた。
国務省や外務省という官僚機構を使わない大統領と総理大臣のチャンネルとなった「ドクター・ジョ-ンズ」と「ミスター・ヨシダ」の裏交渉は、それなりの効果をあげたのだが、後に「ドクター・ジョーンズ」ことキッシンジャーの不信を招き、佐藤・ニクソンの関係にも影響を及ぼした。
沖縄返還交渉は「縄と糸」の関係にあった。ニクソンの選挙地盤は人件費が安い日本の繊維製品の輸出で打撃を受けていた。日米繊維摩擦が政治問題化していたので、キッシンジャーは沖縄の核貯蔵権利に固執しない見返りに繊維問題で日本が譲歩することを迫った。
「ミスター・ヨシダ」こと若泉氏は、佐藤にそれを伝えたが、日本国内では輸出抑制で打撃を受ける繊維産業の救済という大きな政治解決が必要になる。繊維業界のみならず大蔵省や通産省の官僚機構、業界関連の自民党議員を巻き込んだ解決策がおいそれと出る筈がない。
若泉氏は「秘密交渉の場で繊維問題を解決するわけにいかない」とキッシンジャーの申し入れを蹴る結果となった。これによって難航していた日米繊維交渉はさらにこじれてしまった。大平通産相、宮沢通産相で解決できなかった日米繊維交渉は、田中(角)通産相が登場して、二千三百億円の政府救済資金を決めて解決するまで難航を重ねている。
1971年7月15日、ニクソンは電撃的な北京訪問をした。米政府から日本政府に通告してきたのは、発表の15分前。ニクソン・ショックは佐藤政権を直撃している。
これに先立ってキッシンジャーは、ひそかに北京入りして、ニクソン訪中のお膳立てとなる米中秘密交渉を行っているが、周恩来に日本のことを「ジャップ」と呼んでみせたり、日米安保条約は日本に核を持たせない条約だと説明したという。江戸の敵を長崎で討ったのかもしれない。
渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針 第752号
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平成19(2007)年03月27日(火)