本稿は昨日の「産経新聞と「台湾の声」との「カイロ宣言」論争。」の続編です。
カイロ会談に出席したのは米、英、中だが、中国とは言っても現在の共産・中国ではなく蒋介石の中華民国の当時の三カ国である。
その意味では台湾はカイロ会談、「カイロ宣言」の当事国であり、その実情を一番知る立場にある。
その実情を知る「台湾の声」と「カイロ宣言」について論争する産経は全国紙の面子のためか記事訂正を拒否したが戦況不利な様子は否めない。
そんな中「台湾の声」次のような配信をした。
産経新聞は当事国に確認を
台湾の声編集部
これはアメリカ政府のこれまでの公式見解と全く同じだ。
歴史再評価、台湾で一歩 教科書刷新
【台北=長谷川周人】台湾の高校歴史教科書が、今年9月から使われている改訂版で様変わりした。古代王朝に始まる「大中国主義」の歴史観を貫くこれまでに対し、改訂版では台湾史を中国史から切り離し、系統的に学ぶ。日本の台湾統治が「章」として初めて取り上げられ、インフラ整備などプラスの側面にも言及されている。史実を客観視しようとする姿勢は、台湾の歴史再評価を促す一歩となりそうだ。
改訂版は台湾の独自性を強調する陳水扁政権の教育指針を反映している。最大野党・中国国民党は「中華民国が中国全土の正統政権」という建前から教科書の改訂について「祖国の歴史を分断するものだ」と反発してきた。
しかし、民主化と「台湾化」が進む中、李登輝前総統は1997年、中学1年の教育課程に「認識台湾(台湾を知る)」という科目を導入。実質的に初めて授業で台湾史が取り上げられた。この第二弾として陳政権は高校生が必修科目で使う歴史教科書の抜本改定に踏み切った。
新しい教科書は8冊が当局検定を通過し、うち5冊が実用化されたが、国民党政権下ではタブー視されてきた軍による住民弾圧の「二・二八事件」(1947年)や民主化活動家が弾圧された美麗島事件(1979年)などを詳述。一方で台湾独立の根拠となる「地位未確定論」にも言及している。
台湾の主権は一般に「満州、台湾、澎湖諸島は中華民国に返還される」とした「カイロ宣言」(43年)を踏まえ、この履行を日本が受諾した「ポツダム宣言」(45年)、さらに領有権放棄を明言したサンフランシスコ講和条約(52年)などにより、確定的になったと認識されている。
この解釈が中国が台湾領有権を主張する根拠ともなるが、台湾の研究者による調査では、カイロでの合意は法的拘束力に欠ける「プレス・コミュニケ(公報)」であって「宣言」でなく、台湾の帰属は講和条約以降、「未確定」という主張が台湾で広がっている。実際、署名された「宣言文」の存在は確認されていない。
日本統治時代も「章」に
これを踏まえ、龍騰文化が出版した教科書は「カイロ宣言は署名がなく、国際法上の効力を具有しない」と記し、他の4冊も主権帰属にかかわる論争の存在を明記するようになった。
日本統治時代(1895~1945年)を扱う章は、5教科書ともB5版で30ページから54ページのスペースを割き、史実としての植民地時代を直視しようとしている。翰林の教科書が「50年の植民統治で台湾は同時に植民地化と近代化を経験をした」が書き出すように、評価は肯定、否定の両論併記だ。
公式教材となった新高校歴史教科書の出版社は次の通り。()内は日本統治時代を扱うページ数。三民書局(30)、南一書局(47)、泰宇出版(48)、翰林出版(54)、龍騰文化(53)。画数順。
≪戴宝村・政治大学専任教授(教育部教科書検定委員会主任委員≫
教育原理にかなう
歴史教育の原理とは、ある人々のその土地における生活の累積と体験を教えることだ。にもかかわらず、われわれが行ってきた教育は、政治的な理由から中国大陸の歴史ばかりを教え、教育原理に背を向けてきた。しかし、こうして台湾史が正式に教科書に編入された結果、教育原理にかなうよう変わった。
さらに新しい教科書では、学生に台湾史を理解させることにより、台湾のアイデンティティーと歴史を比較できるようになった。世界的にみても最大脅威であり、密接な関係がある中華人民共和国の歴史はとても重要だが、台湾人が台湾史を理解することも重要なのだ。
例えば、国民党政権下の台湾では、一貫して「カイロ宣言」をもって台湾は「中国に回帰した」と強調されてきた。だが、多くの研究はあれは宣言ではなく、一種の備忘録であったと指摘している。国民党教育を受けた成人は今だに「カイロ宣言」というが、(新しい教科書を使う)将来の学生は、これはのようなもので、サンフランシスコ講和条約によって台湾の帰属が日本から離れたことがより明確に理解できる。
日本統治時代に関しても、中国的な民族主義の立場に立てば、日本の台湾統治は搾取と解釈されるが、台湾人からみる日本時代は違う。日本が行った建設は台湾に大きな影響を与え、進歩につながったことは肯定するに値する。これも動員された台湾人による建設であり、台湾人の努力の結果でもあるからだ。
確かに(日本統治時代をめぐる)評価のあり方はそれぞれだが、審査する側から言えば、極端に感情的(な表現)でない限り、受け入れられる。したがって著者は、台湾という自由社会を代表し、一定の個人的な観念を盛り込むことにもなっている。
(2006/12/21 08:01)
この内容を読むと、これは「台湾の声」との論争での産経の一種の敗北宣言とも取れる。
これが中国との波風を立たしたくない日本メディアの精一杯の「訂正記事」なのか。
◇
以下「台湾の声」より。
台湾研究フォーラム会長 永山英樹
産経新聞(11月27日付)は「20世紀のきょう」の欄で、昭和18年11月27日の「カイロ宣言」を取り上げ、「第二次大戦連合国側のルーズベルト大統領、チャーチル首相、蒋介石主席の米英中首脳がカイロで会談。この日、日本に対して無条件降伏を要求するなどの方針を決めた文書に署名した」と解説しているが、ここには大きな間違いがある。
この「文書」が所謂「カイロ宣言」だが、実際には三国首脳による署名は行われていないのである。
実は「署名された」との説明は今回の記事だけに限らず、多くの日本の書籍も行ってきたもので、「カイロ宣言」の説明文における決まり文句のようになっている。ではなぜそのような歴史誤認が定着してしまったのだろうか。これには「中国捏造宣伝」説がある。
戦後60余年経つ今日なお、さかんに「カイロ宣言」を持ち出す国と言えば、それは中国だ。「カイロ宣言」の文中には「日本は満洲、台湾、澎湖列島などを含む中国から盗取したすべての地域を中国に返還しなければならない」とあり、中国はこれを台湾領有権の法的根拠としているからだ。
終戦時の中国政権である蒋介石の国府は「カイロ宣言」を根拠に、台湾における日本軍の降服受け入れのついでに、台湾の領土組み入れを勝手に宣言し、今日なおこの島は、中華民国の国名を名乗っている。一方その後樹立された中共政権もやはり「カイロ宣言」を持ち出し、国共内戦で消滅した中華民国の継承国として、台湾の領有権を国際社会に向けて喧伝しているのだ。「カイロ宣言に基づき、日本は台湾を中国に返還した」と言うのがこれら中国人の主張である。
実際日本でも、こうした「台湾返還」説は常識になっており、学校の教科書にもそう書かれている。だがそれはすべて中国人の歴史改竄、法理捏造を受け入れたものに過ぎない。なぜなら「カイロ宣言」は、日本による中国への領土(台湾)割譲の条約などではなかったからである。日本が正式に台湾と言う領土を処分したのは昭和26年に調印のサンフランシスコ媾和条約によってであり、そこで日本は台湾に関する主権は放棄したものの、その新たな帰属先については、何の取り決めも行われなかったのである。それは国府自身も、翌年調印した日華平和条
約で追認していることだ。
しかしこの法的事実を否定しない限り、国府は台湾を統治できなくなるし、中共も台湾を占領できなくなる。そこで「カイロ宣言」こそ、台湾の戦後の帰属先を
決定した条約だと主張しなければならなくなった。だからこそそれを正式に署名された条約だと強調するのである。
だが「カイロ宣言」は、名こそ「宣言」と呼び、あたかも条約のような印象が持たれるが、実際には公表されたその文書には「声明」の二文字しか書かれておらず、言わば名無しの文書である。それだけ見ても、これが決して条約などではなかったことがわかるだろう。要するにそれは単なる三首脳の会談内容(対日戦略目標)を示すプレスリリースにしか過ぎなかったのだ(この「声明」が何ら法的効果を持たないことは、チャーチル自身が後年認めている)。だからもちろん、三首脳の署名もそこにはなかった。台湾の学者、沈建徳氏が数年前、アメリカ、イギリス、中華民国(台湾)の三国政府に、「カイロ宣言」なるものの署名入り原本の在り処を問い合わせたところ、署名はおろか、原本自体が存在していないことまで判明していた。
米英政府がこの「声明」に法的効果を認め、「台湾返還」が合法的に行われたと認めていたなら、サンフランシスコ媾和条約で、わざわざ日本に対し、すでに主権を失っている台湾を放棄させるようなことをさせるはずがない。
このような経緯があるから、上述の「中国捏造宣伝」説が浮上するわけだ。
「カイロ宣言」は当事国によって調印(署名)すらされていない代物であることは、「台湾は中国の一部」であるとする中国の主張を根底から覆すものであり、この事実は国際社会でも広く認識されなければならないだろう。
産経新聞には、誤った歴史記述を行った以上は、ぜひとも訂正記事を書いてほしい。そしてこれを機会に、中国人の宣伝によってもたらされた「常識」を打ち破ってもらいたいのだ。(18.11.27)