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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ヘンタイ教師を半年も野放しにしたあきれた校長

2006-12-04 15:41:53 | 教科書

子供の写真HP掲載の教諭、立件後も教壇に

 東京都羽村市の市立小学校に勤める男性教諭が、交通事故死した6人の子どもたちの写真などを、自らのホームページ(HP)に無断で掲載していた問題で、愛知県警が今年6月、著作権法違反容疑で教諭の自宅を捜索、8月には教諭から事情聴取していたことがわかった。

 羽村市教委もこの事実を把握していたが、HPが既に閉鎖されていたことなどから、「日常の勤務態度や指導に特段の問題は見られない」として、先月末まで小学校でそのまま勤務させていた。市教委は「結果的に追及が甘かった」としている。

 一方、この教諭が、ほかの子どもの裸の写真などもHPに掲載していたとして、6人の遺族が4日、児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で警視庁に告発状を提出した。

 この教諭は渡辺敏郎教諭(33)。名古屋市に住む遺族のケースについて愛知県警が捜査に乗り出し、今年9月、著作権法違反の疑いで名古屋地検に書類送検している。

 この事実を知った市教委の調査に、渡辺教諭は「他人の事故などの写真を無断でHPに3~4枚転載した」と説明。渡辺教諭が「パソコンを押収され、HPは削除された」と言ったことから、市教委は、それ以上はHPの内容を確認しなかったという。

 市教委は、一部報道機関の取材を受け12月1日付で自宅待機とするまで、通常通り勤務させていた。

 都教委も6月、市教委から、「教諭が写真を無断掲載した」という報告を受けたが、市教委に対しては、立件されるかどうかを確認し報告するよう指示したという。わいせつ写真などの掲載は11月28日に市教委が報告するまで把握できなかったとしている。

 角野征大(すみの・ゆきた)・同市教育長は、「書類送検された段階では内容までは分からなかった。教師としての適性を欠く内容なので今後は厳しく対処したい」と話す。また渡辺教諭が所属する小学校の校長は、「今年4月に赴任して来たが、一生懸命で、おかしいと思うようなところはなかった」などと話している。

 都教育庁職員課の江藤巧課長は「詳細が分からず、警察が立件するかどうかを見守っていたので、処分に該当するかを判断できなかった」としている。

(2006年12月4日14時43分  読売新聞)

                       ◇ 

教職にあるものが、このような恥知らずのことをしでかして、・・・けしからん。

・・・と言った論調は、この事件の本筋ではない。

先ず、このような特殊な趣味の狂師、じゃない、教師に同僚教師は気がつかなかったのか、という疑問が沸く。  見てみぬ振りは無かったのか。

この教諭の氏名は渡辺敏郎教諭(33)。

一番問題にすべきは、愛知県警が6月には著作権法違反容疑で教諭の家宅捜索を、8月には事情聴取していたことがわかっていながら、このヘンタイ狂師は半年間も授業を続けていたということである。

そして今年9月、県警は著作権法違反の疑いでこの男を名古屋地検に書類送検もしているのだ。

それにもかかわらず、驚くことにマスコミが騒ぎ出す前まで平然と授業を続けており、12月1日になって初めて、校長が自宅待機を命じたと言う。

警察の家宅捜索や事情聴取、それに書類送検までされたヘンタイ男を学校側や教育委員会が知らなかったでは通らないだろう。

学校側は犯罪者に半年間も授業をさせていたことになる。

ここでは犯罪の種類による罪の軽重を述べるつもりは無いが、この男万引きや詐欺の罪を犯した教師ではない。

「児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑」のヘンタイ男に子供たちの授業をさせていたのだ。

これでは狼に子羊の世話をさせるようなものだ。

警察による6月の調査以来、何も知らされていない保護者はヘンタイ狂師に大事な子供たちを預けていたことになる。

この2,3日マスコミが事件を嗅ぎ付けて騒ぎ出したので校長は12月1日になって初めて自宅待機を命じたというのだ。 

いや、自宅待機を命じたと言うよりマスコミの騒動で学校には事実上登校できなくなったと言うのが真相だろう。

マスコミが嗅ぎ付けなかったら、何食わぬ顔でこのヘンタイ狂師に授業をさせ続けていたのだろう。

勿論、真っ先に責任追求すべきはこのヘンタイ狂師だが、これを見て見ぬ振りして授業をさせ続けた学校側、そして拱手傍観した教育委員会も同罪だ。

早めに教育基本法を改正して、このような「教育者不適正狂師」は校長権限で首にするようにすべきだ。

首にも出来ず「自宅待機」といった、ゆる~い処分しか出来ず、被害者の告訴、告発を待たなければ何も出来ない現在の制度が間違っている。

問題ののHPが今年の11月までオープンしていたことを教育委員会は見逃していたと言うからあいた口が塞がらない。

ん? 見逃していたのは警察も同罪だ!

 


 

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元スパイが残したプーチンへの「遺書」

2006-12-04 11:06:56 | 県知事選

 

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琉球新報 金口木舌 2000年9月5日(火) 朝刊

プーチン・ロシア大統領

 プーチン・ロシア大統領が三日、来日した。初の公式訪問だが、県民には七月の沖縄サミット歓迎行事で、中学生に一本背負いで投げられた笑顔の大統領が忘れられない。

 かつて「鉄のカーテン」と呼ばれ、国情がよく理解できないところもあったが、柔道交流の一幕はそうした印象をぬぐうのに十分。「新聞を逆さまにしてみたが、大統領の表情はやはり和やかだった」「少年に夢と希望を与えてくださいました」など、反響が投書欄に寄せられた。

 当時、「柔道を愛する人は家族だと思っている」と述べたが、一本背負いで大統領を投げた具志川中の志喜屋周君を今回、東京へ招待した。志喜屋君も「チャンスがあったら、一緒に練習しませんかというつもり」と大喜びだ。

 一方、今回の公式訪問では、焦点の平和条約締結問題について多くの時間が割かれた。大統領にはゆっくり好きな日本食や柔道を楽しむ時間がとれたのかどうか。北方領土など日ロの戦後処理は、一挙に前進しそうにないからだ。

 今年五月に就任後、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への電撃訪問や上院改革など、内外政策に手腕を発揮。最近の原潜事故では批判されたが、なお六割という高い支持率だ。「強い国家」づくりが目標という。

 大統領には、具志川市でみせたようにさらに多くの日本国民と触れ合い、日ロの懸案解決へ強い指導力を期待したい。


6年前の沖縄サミットの時,沖縄を訪れたロシアのプーチン大統領と沖縄の柔道少年の柔道を通じたほのぼのとした交流を書いたコラムである。

記者は、滅多に笑顔を見せたことの無いプーチンの笑顔に、独裁国家ソ連から選挙で選ばれた大統領を持つ民主国家ロシアを重ねて見たのだろう。

プーチン大統領と柔道少年の交流は当時地元テレビでも大々的に報じられ、ロシアはスターリン、ブレジネフの暗い時代からプーチンの民主国家に変わったのかと印象を県民に与えた。

「中学生に一本背負いで投げられた笑顔の大統領が忘れられない」と書いたコラム記者の気持ちはよく分かる。

だが、このコラムを書く一ヶ月前の8月12日の原子力潜水艦事故で示したプーチンの氷のような冷たい決断をこの記者が知らなかったはずは無い。

そして事故潜水艦で死亡した乗組員の遺族が泣き叫んでプーチンに詰め寄る後ろから迫り、注射を首筋に打って黙らせた衝撃の報道を知らなかったはずは無い。

事故は2000年8月12日起きた。

プーチン大統領は乗組員の生命より潜水艦に潜む軍事機密保持を優先させた。

 

米には救助協力要請なし ロシア原潜事故
2000.08.17(16:24)asahi.com

 米ホワイトハウスによると、クリントン米大統領が16日、プーチン・ロシア大統領と約25分間、電話で協議し、沈没したロシアの原子力潜水艦クルスクの乗組員救助への協力を申し出たが、深海潜水艦救助艇2隻を持つ米国は、支援の要請をまだ受けていないという。
 
 米政府は事故発生直後から、大統領補佐官、国防長官などのチャンネルで救助活動への協力を呼びかけてきた。ロシア側がこれまで、外国の支援に頼ることを避けてきた事情について、クロウ元統合参謀本部議長は「ロシア海軍のプライドが許さなかったこと、冷戦時代から続いている秘密保持の本能が働いたこと」を挙げた。米政府当局者はこれに加え、救助活動がこれほど難しいとは思っていなかった可能性がある、と指摘した。
 
 一方、ロイター通信によると、米情報当局者は16日、「事故原潜に生存者がいることを物語る証拠は見ても聞いてもいない。乗組員が無線で通信を送ったり、内部で船体をたたいてSOS信号を送ったりしていることを示す情報は何もなく、状況は悪い」と語った。米海軍はクルスクの沈没直後から通信などの傍受を続けている。情報当局者は、米国の潜水艦が事故当時、クルスクからの爆発音を探知したのは2回で、2回目がはるかに大音量だった、と語った。
 

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抗議の遺族黙らせるため鎮痛剤?注射 原潜事故でロシア
2000.08.24(22:48)asahi.com

 抗議する遺族の背後に注射器を手にした若い女性がそっと近づき、その直後に遺族は意識を失う――英仏メディアは24日までに、沈没したロシアの原潜クルスクの乗組員遺族と政府高官の対面の場で繰り広げられた光景を相次いで報じ
、「反体制派の口を封じるKGB(旧ソ連国家保安委員会)の手法が今も使われている」などと伝えた。
 
 問題の場面は、フランス2テレビが放映した映像に含まれていた。乗組員の家族らが住むビジャエボ村で開かれた遺族と政府高官の対面の席で、遺族の女性がクレバノフ副首相に非難を浴びせ始めた。海軍職員が遺族をなだめている間に、看護婦とみられる女性が背後に近づき、その直後に遺族は意識を失って崩れ落ちた。英タイムズが載せた写真では女性の左手に注射器が写っていた。
 
 タイムズは「遺族らには鎮静剤を投与した」という海軍当局のコメントを伝えている。

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原潜事故でロシア大統領が内外の批判に反論
2000.08.24(10:59)asahi.com

 ロシアのプーチン大統領は23日夜、ロシア・テレビとのインタビュー番組で、原子力潜水艦クルスクの沈没事故で乗組員118人全員の死亡が確認された後初めて、事故に対する見解を明らかにした。大統領は「事故に大きな責任と罪を感じている」としつつも、事故の公表や国際救援受け入れに遅れはなかったとし、事故への対応のまずさに対する内外からの批判に反論した。
 
 大統領は、事故の責任からセルゲーエフ国防相が21日、クロエドフ海軍総司令官とポポフ北方艦隊司令官が22日、それぞれ辞表を提出したことも明らかにした。しかし、大統領は「だれかに責任を押しつけて苦境を逃れるのは大きな誤りだ」とし、事故原因が明確になるまでは辞表の扱いを保留する方針を示した。
 
 インタビューによると、大統領は12日の事故発生の後で、国防相から「クルスクとの通信が途絶えた」との連絡を受けた。だが、「これは軍事演習中のできごとだった」とし、14日まで公表を避けたことを正当化した。さらに「船体が発見されて4時間半後には救援活動に入った」と指摘。「海軍当局は、外国からの救援支援提案が15日に公式に届いた時点で同意した」とも語り、「対応能力がないと軍人たちを批判する根拠はない」と強調した。
 
 米国や英国は14日に救援支援を申し入れたとしており、ロシア政府が英国とノルウェーの支援を公式に受け入れたのも16日だったため、この大統領の発言は今後論議を呼ぶ可能性もある。
 
 一方で大統領は、外国の協力を得ながら、クルスクからの全乗組員の遺体収容や、艦体の引き揚げの検討も続ける方針を示した。「クルスクと共にロシアの誇りも沈んでしまったという言い方には賛成できない」とも述べ、「軍改革を実現して、現代的で、予算が十分に投入された軍隊をつくる」との意欲も見せた。
 
 また、「今は水兵を救えと叫ぶ最前列にいながら、実際は軍、国家の破壊者だった連中がいる。彼らは我々を批判するより、フランスやスペインに持つ別荘を売った方が良い」とも述べた。 

ロシア原潜沈没、「まだ死を信じない」遺族が大半
2000.08.24(00:10)asahi.com
 
                        ◇

連日メディアを賑わしている「元ロシア・スパイ毒殺事件」。

事件に絡むといわれるプーチンとはどのような男なのか。

◆反プーチン派暗殺疑惑(ウイキペゲィアより抜粋)

2006年10月、反プーチンのロシア人女性ジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤが何者かに射殺された。ロシア情報公開擁護財団によるとロシアでは1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡・もしくは行方不明となっており、プーチン政権がこれらの事件に関わっているのではないかとの疑惑も浮上している。2006年11月にはプーチンを批判してイギリスに亡命し写真が公開されたアレクサンドル・リトビネンコが死亡した。死亡原因として、多量の放射能物質ポロニウムを食事などに混合され摂取した為とイギリス警察が発表し、トニー・ブレア首相がロシア政府に対し協議したいと要望した。ロシア連邦保安庁(FSB)による暗殺だとする説も浮上している。これに対し、プーチンはこの疑惑には根拠が無いとして否定している。

彼は元情報部員でありその過去についても不明な点が多い。大統領就任時は謎に包まれた経歴から名前の「プーチン」を帝政ロシア末期の怪僧「ラスプーチン」に引っかけられて揶揄された事がある。

その経歴から「冷酷な性格」や「粗野」という批評を受けているが、むしろ国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールしており、国民からの人気もきわめて高い。

また、11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ロシア大学選手権に優勝。1976年には柔道のレニングラード市大会で優勝したこともある実力者である。
                        *

日本のいじめられっ子は自殺しても遺書に特定のいじめた子の名前を明記しないと言う。

ところが毒殺された元スパイの遺書には毒殺を指示したと言われるプーチン大統領の名前が明記されていると言う。
 
◆毒殺された元ロシア・スパイーリトビネンコの遺書の原文(「にゃごにゃ小学校」さんhttp://questkpax.blog51.fc2.com/blog-entry-630.htmlよりの転載)

STATEMENT BY ALEXANDER LITVINENKO

I would like to thank many people. My doctors, nurses and hospital staff who are doing all they can for me, the British police who are pursuing my case with rigour and professionalism and are watching over me and my family. I would like to thank the British Government for taking me under their care. I am honoured to be a British citizen.

I would like to thank the British public for their messages of support and for the interest they have shown in my plight.

I thank my wife, Marina, who has stood by me. My love for her and our son knows no bounds.

But as I lie here I can distinctly hear the beating of wings of the angel of death. I may be able to give him the slip but I have to say my legs do not run as fast as I would like. I think, therefore, that is may be the last time to say one or two things to the person responsible for my present condition.

You may succeed in silencing me but that silence comes at a price. You have shown yourself to be as barbaric and ruthless as your most hostile critics have claimed.

You have shown yourself to have no respect for life, liberty or any civilized value.

You have shown yourself to be unworthy of your office, to be unworthy of the trust of civilised men and women.
You may succeed in silencing one man but the howl of protest from around the world will reverberate, Mr Putin, in your ears for the rest of your life. May God forgive you for what you have done, not only to me but to beloved Russia and its people.

Alexander Litvinenko November 21, 2006

「アレクサンドル・リトビネンコの声明文」
 
 私は多くの人々に感謝したい。私のために手を尽くしてくれた医師、看護婦、そして病院のスタッフたち、この事件を厳格かつプロ意識を持って捜査し、また私とその家族を保護してくれている英国警察に。私を世話してくれた英国政府にも感謝したい。私は英国市民となれたことを誇りに思う。

 私は、支援のメッセージをくれ、また私のおかれた苦境に理解を示してくれた英国市民に感謝したい。

 私はそばにいてくれる妻マリナに感謝する。妻と息子への私の愛には際限はない。

 しかし、こうして横たわっていると、死の天使の羽ばたく音がはっきりと聞こえる。彼から逃れられるかも知れないが、私の脚は思うように速く走ることができないと認めざるを得ない。それゆえ、私はこれが、私を現在の状況に陥れた「人物」に対してひとつふたつのことを伝えておく最後の機会かも知れないと思う。

 君は私を沈黙させることはできるかも知れないが、その沈黙の代償は高くつくことだろう。君は、君に対して批判的な多くの人々が言うように、野蛮で冷酷非情な人間であることを自ら証明した。

 君は、人の生命に対しても自由に対しても、またいかなる文明的な価値に対しても敬意を払わない人間であることを示した。

 君は、君の官職に対しても、教養ある人々の信託に対しても、価値のない存在であると自ら知らしめた。

 君は一人の男を沈黙させることには成功するかも知れないが、世界中の抗議の声が大きく響きわたり、ミスター・プーチンよ、君の耳に生涯絶えることがないだろう。神が、君のなしたこと、私に対して行ったことだけでなく、最愛のロシアとその国民たちにしたことを、許されんことを。

アレクサンドル・リトビネンコ、2006年11月21日

                      ◇ 

 産経新聞 【主張】


露元スパイ怪死 警察国家体質が暴走許す

 「民主国家」の証しは自由な政権批判と自由な選挙だ。この点で、プーチン政権下のロシアは、民主主義の価値を共有すべきG8(主要8カ国)の成員ながら、「民主国家」とは到底言い難い。

 クレムリンは巨大な秘密警察組織だった旧ソ連・国家保安委員会(KGB)勢力が支配し、すでに全国の知事の直接選挙は葬り去られた。そして今、言論抑圧で政権に楯(たて)突く著名な人物の暗殺、怪死が相次いでいる。

 プーチン政権の特にチェチェン政策を告発していた女性ジャーナリスト、ポリトコフスカヤさんが10月にテロの銃弾に倒れ、彼女の死の真相を探っていた連邦保安局(FSB=KGBの後継機関)の元情報将校、リトビネンコ氏が亡命先のロンドンで怪死した。その翌日には、急進的な経済改革で知られたガイダル元第一副首相がアイルランドで朝食後に吐血、一時意識不明となり、療養中だ。

 リトビネンコ氏の尿からは放射性物質ポロニウム210が検出された。原子炉で生産される入手困難な猛毒で、毒殺の疑いが濃い。同氏も医師は「毒を盛られた疑い」を指摘した。

 3人ともプーチン批判の急先鋒(せんぽう)だが、プーチン政権は事件への関与を否定している。しかし、犯人が誰であれ、問題の本質は同政権の「警察国家」的な強権体質が反体制派の人権を軽くみなす風潮を蔓延(まんえん)させ、テロを許す土壌を提供していることだ。

 石油高騰による経済の活況でロシアには大国意識が復活し、2年前に北オセチアで起きた学校人質事件の渦中で発令した「国家総動員令」を錦の御旗に、強権発動にフリーハンドを得た。反ロシア的な姿勢を示すテロリストやテロ集団は外国にいても攻撃できるとした「反テロ法」が今春可決され、さらに反ロシア的な言論活動や扇動を行った者を「過激派」として懲役刑にすることも可能となった。

 米国のメディアでは、ロシアが帝政時代から「裏切り者には死を」と暗殺を国内外で多用する歴史に警鐘を鳴らし、リトビネンコ氏の怪死は英露関係を険悪化させ「新たな冷戦の開始」に導くとの論調も出始めている。

 今月はソ連崩壊15年の節目だが、現在の政治状況はペレストロイカ(再編)時代のソ連末期より息苦しい

(2006/12/04 05:23)

 

 

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裁判長の謎の死

2006-12-04 09:02:53 | 県知事選

◆朝日新聞

 住基ネット訴訟で違憲判決の大阪高裁判事、首つり自殺か
2006年12月03日21時01分

 3日午前9時5分ごろ、兵庫県宝塚市内の大阪高等裁判所第7民事部総括判事、竹中省吾(しょうご)さん(64)方2階の書斎で、竹中さんが棚にショルダーバッグのベルトを結びつけて首をつっているのを、妻(59)が見つけ、110番通報した。竹中さんはすでに窒息死していた。目立った外傷がないことなどから、宝塚署は自殺とみている。遺書は見つかっていないという。

 竹中さんは先月30日、大阪府内の住民が自治体を相手に住民基本台帳ネットワークからの個人情報削除を求めた訴訟で、「拒否している住民への運用は違憲」として、住民勝訴の判決を裁判長として言い渡していた。

 同署の調べによると、竹中さんは妻と2人暮らし。2日は夕食をとり終わった午後7時ごろ、1人で書斎に上がっていったという。深夜から3日未明にかけて死亡したとみられる。同高裁によると、1日は通常通り出勤し、4日にも裁判の期日が入っていたという。

 竹中さんは兵庫県出身で70年に判事補となり、大阪、神戸両地裁判事や広島家裁所長などを経て04年9月から現職。神戸地裁判事だった00年1月には、兵庫県尼崎市の公害病認定患者らが道路を設置・管理する国などを相手取った「尼崎公害訴訟」で、排ガスと患者の健康被害の因果関係を認め、汚染物質の排出差し止めを認める判決を言い渡した。

 大阪高裁には3日午前、兵庫県警から連絡が入った。小野憲一・同高裁事務局長は「最近の執務状況、健康状態などに変わった様子はなかったと聞いており、大変驚いている」とのコメントを出した。同高裁によると、遺族の意向で葬儀の日時・場所や自宅は公表していない。

                       ◇

 

いじめの中学生が自殺したり、校長が自殺したりだが裁判長までも自殺するとは。

だが、この裁判長、住民基本台帳ネットワークからの個人情報削除を求めた訴訟で、「拒否している住民への運用は違憲」として、住民勝訴の判決を言い渡している。

いわば住民側に立った人権派の判決を下した人でしょう。

自殺と判決とは因果関係はあったのか。

 同じ朝日新聞の半年ほど前の記事にこんなものがあった。

日本の闇と言われる朝鮮総連の内部組織・朝銀とその子会社で行われた多額の公的資金の絡む訴訟事件。

その裁判の裁判長が竹中省吾判事だった!

◆朝日新聞 

朝銀処理、公的資金100億円拡大か

2006年06月26日08時15分 朝日新聞

 在日朝鮮人系の信用組合だった朝銀関東、朝銀近畿の破綻(はたん)処理をめぐり、納税者の負担が約100億円も膨らむ恐れが出ている。両朝銀は、関係の深いノンバンクから不良債権の肩代わりを求められ、一審は敗訴。二審判決もまもなく言い渡される。この敗訴が確定すると、支払いは預金保険機構の公的資金でまかなわれ、その額は100億円前後と試算される。一方で、請求の根拠の一つとなっている保証書は、朝銀破綻が始まる直前の97年4月に全国15の朝銀で一斉に作成されていた。このため、預金保険機構は二審から異例の訴訟参加に踏み切り、「破綻を想定し、公的資金獲得を意図して形を整えたものだ」と主張し、請求棄却を求めている。(略)

                      ◇

そしてその三ヵ月後の朝日新聞は竹中省吾裁判長は朝銀の債務に公的資金を注入せよという大物政治家の圧力をものともせず朝銀側に敗訴のの判断を下していた。

公的資金投入を支持している議員http://chogin.parfait.ne.jp/supporter.html  (朝銀って何? 公的資金の投入って何?)


旧朝銀近畿の補償「無効」 預金保険機構側が逆転勝訴

 北朝鮮系の金融機関で経営破綻(はたん)した朝銀近畿信用組合が、朝銀グループ系列だったノンバンク2社から86億円余分の「債務保証」の履行を求められた訴訟で、大阪高裁(竹中省吾裁判長)は26日、一審判決を取り消し、請求を全面的に退ける判決を言い渡した。朝銀が破綻前に出した「保証書」について、高裁は「破綻を加速させるような危険な行為だ」として無効と判断した。

 朝銀近畿は00年に破綻し、公的管理の下に置かれたため、朝銀近畿の出費は公的資金でまかなわれることになっており、朝銀敗訴の一審判決が確定すると、その支払いは預金保険機構の負担となる。このため、「国民全体にとっても見過ごせない」と同機構が控訴審から訴訟に参加していた。

 原告は朝銀総合ファイナンスと共同開発の2社。2社は訴訟の中で、不動産会社などへの融資について、京都、兵庫、滋賀、和歌山の各朝銀に債務保証をしてもらったと主張。各朝銀が合併してできた朝銀近畿に履行を請求していた。

 一審・大阪地裁は「保証」を有効と判断し、朝銀近畿に44億円の支払いを命じた。これに対し、預金保険機構は「全国規模で金融破綻処理制度を悪用して公的資金獲得を意図したからくりの一環だ」と提訴そのものを批判していた。

 26日の高裁判決は「保証」について「経営状態の悪化に苦慮する朝銀京都などの利益を犠牲にして、法的根拠もないのに、原告らの利益を図って行われたと推認され、公序良俗に反し、無効というべきだ」と指摘した。

 01年に破綻した朝銀関東も同様の訴訟を起こされ、一審・東京地裁で敗訴したため、預金保険機構が東京高裁の控訴審に訴訟参加している。

 全国各地の朝銀はかつて、在日本朝鮮信用組合協会を組織し、ノンバンク2社は同協会の系列だった。同協会は、在日本朝鮮人総連合会の傘下団体の一つだったが、02年に解散した。

2006年09月26日 朝日新聞 関西版

                      ◇ 

竹中裁判長は今までタブーと言われていた日本の闇に致命的打撃を与える画期的判決を下した。

こちらの「朝銀裁判」の方が竹中裁判長の自殺の因果関係では臭うような気がする。

しかし、遺書は無いと言うが自殺と断定して闇に葬ってしまってもよい事件ではないと思うが、・・・。

 

「ヤクザの6割は、3割は在日」元公安調査部長が語る

 

 

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