気の重くなる話題は昨日で止そうと思ったが今朝のテレビワイドショーはこの話題で持ちっきり。
今まで「臭いものにはフタ」で通してきたが、高齢化社会では避けて通れぬ問題だ。
「暗い日曜日」は「groomy sunday」というらしいが、今日は「blue monday」、憂鬱な月曜日は憂鬱な話題をもう一度・・。
日本では「安楽死」についても「尊厳死」についても未だに法の整備が出来ていないとう。
日本は契約社会ではない。
それでも手術の前の同意書への署名捺印にはそれほど抵抗はない。
家族は手術によって患者が回復する希望をもっているからだ。
それが、終末医療現場での人工呼吸器外しとなると問題は手術同意書のように簡単ではない。 患者の回復は絶望的だからだ。
死はすでに確定している。(・・と思われている) 後は時間の問題だ。
これ以上患者を無駄に苦しめてよいのか。
家族の気持ちも乱れ、大きく揺れ動くだろう。
本人の尊厳死の意思にもかかわらず、家族と医師が延命治療を続行したため、食事を拒否して自ら死に至った98歳の老女の話を聞いた。
凡人にはこの老女のような鉄の意志は持てないだろう。
現場の家族としては、例え患者本人の尊厳死の意思を判っていても、呼吸器取り外しの同意書に平常心で署名はできないであろう。
件の医師は倫理観の一かけらもない「殺人医者」なのか、それとも患者の苦痛、家族心の痛みが判る「赤ひげ医者」なのか。
沖縄の方言でウヮーバグトゥと言う言葉がある。 いらぬお節介という意味で使われる。
もしも件の医師が患者の苦痛も、家族の苦しみにも鈍感な医師だったらそんな患者は薬漬けにして放置すればよい。 どうせそのうち勝手に死んでくれる。
何もウヮーバグトゥをして呼吸器を取り外して「殺人医師」の汚名を被るリスクを犯す必要はあったのか。
「冷血殺人医者」か「人情赤ひげ医者」かの判断は捜査当局、或いは司法が決める。
*
◆朝日新聞 2006年03月27日06時06分
呼吸器に拒否反応 「外して」頼んだ事例も 富山の病院
「人工呼吸器をつけたら(高齢の)父が拒否反応を示したので、頼んで外してもらいました」
数年前、射水市民病院に父親が入院、今回、延命治療を中止した行為が問題視された外科部長らの診療を受けたという男性は、当時を振り返り、そう言った。
人工呼吸器を装着したところ、父親はすぐに拒否反応を示した。負担を軽くしたいと、酸素マスクに付け替えてもらったという。
少しでも長く生きていてほしい。でも、それで本人が苦しい思いをするのでは……。「年も年だったので、家族で話し、全員で合意して管はやめて欲しいと頼んだ」
数カ月後、父親は亡くなった。
終末期を巡る医療現場で、患者、家族、医師、看護師らは、常に厳しい判断を迫られ、複雑な思いを抱く。
容体が悪化し、呼吸管理のために気管に管を入れて酸素を送り込む人工呼吸器。回復の見込み、余命、そして苦痛。患者や家族が延命治療の中止を判断する理由は様々だ。医師はどこまで、どんな気持ちでその思いに応えたらいいのか。
約200床の同病院は、県内では地域医療を担う中小病院だ。過疎地にあり、急性期医療に特化する都市部の大病院と違って、お年寄りの入院が多く、常にがんや老衰などで看取(みと)られる患者を抱えている。
麻野井英次院長は25日の会見で、延命治療に対する今後の対応を問われ、「(終末期医療のあり方を検討する)ターミナル委員会を設けて対応を検討しなければならない」と答えた。だが、直後に「私は内科医。心臓が止まるまでは診ていく、という立場です」とも語った。新たな委員会が治療中止を決めたとしても、疑問は残る。そんな揺れが、言葉の端々ににじんだ。
■産経新聞 【主張】 平成18(2006)年3月27日[月]
延命中止措置 早急に指針づくりをせよ
富山県の市民病院で、外科部長が人工呼吸器を外したため、五年間に七人もの末期患者が相次いで死亡していた。外科部長は「患者のためにやった」「尊厳死だ」と病院に説明しているが、日本には安楽死や尊厳死の法律もなければ、指針やルールもない。
安楽死とは、終末期医療のなかで患者の苦痛を取り除くため、医師が死期を早める行為だ。東海大病院の安楽死事件で横浜地裁判決(殺人で有罪確定)は、安楽死を薬物で意図的に死を早める「積極的安楽死」と、人工呼吸器を外すなどして延命治療を中止する「消極的安楽死」に分類した。患者が事前に治療を拒否する尊厳死も消極的安楽死に入るとされる。
問題の外科部長は人工呼吸器を外して治療行為をやめ、「尊厳死だ」と言っていることから、消極的安楽死とみられる。この消極的安楽死がやむを得ない要件として、横浜地裁判決は(1)患者の病気が治癒不可能で死が避けられない(2)患者本人か家族の意思表示がある-など三つの要件をあげている。
外科部長の行為はこれらの要件をどこまで満たしていたのか。外科部長は「同意を得ている」と話しているというが、患者や家族の意思表示は、死の切迫という特殊な状況下で、担当医と患者、家族という限られた中で示され、判断や確認は難しい。
それに外科部長は部下や病院側に何の相談や報告もなく、単独で患者の生命をつなぐ人工呼吸器を外している。富山県警が殺人容疑で捜査に乗り出しているが、チーム医療が重視される現在の医療の観点からは許されない。
オランダやベルギーでは四年前に、米国オレゴン州では九年前に、安楽死法が施行されている。日本では安楽死させた医者は殺人罪や嘱託殺人に問われてしまう。
厚生労働省の研究班は、平成十九年度をめどに終末期医療における患者の意思の確認方法や延命治療の在り方についての報告書を作成中だ。尊厳死の法制化では昨年、超党派の国会議員連盟が結成されている。
だが、いずれも活動が緩慢で具体策に乏しい。医師が末期患者をその苦痛から救うためには殺人罪と明確に区別できる新たな法律の制定や指針、ルールづくりが急務であろう。
今まで「臭いものにはフタ」で通してきたが、高齢化社会では避けて通れぬ問題だ。
「暗い日曜日」は「groomy sunday」というらしいが、今日は「blue monday」、憂鬱な月曜日は憂鬱な話題をもう一度・・。
日本では「安楽死」についても「尊厳死」についても未だに法の整備が出来ていないとう。
日本は契約社会ではない。
それでも手術の前の同意書への署名捺印にはそれほど抵抗はない。
家族は手術によって患者が回復する希望をもっているからだ。
それが、終末医療現場での人工呼吸器外しとなると問題は手術同意書のように簡単ではない。 患者の回復は絶望的だからだ。
死はすでに確定している。(・・と思われている) 後は時間の問題だ。
これ以上患者を無駄に苦しめてよいのか。
家族の気持ちも乱れ、大きく揺れ動くだろう。
本人の尊厳死の意思にもかかわらず、家族と医師が延命治療を続行したため、食事を拒否して自ら死に至った98歳の老女の話を聞いた。
凡人にはこの老女のような鉄の意志は持てないだろう。
現場の家族としては、例え患者本人の尊厳死の意思を判っていても、呼吸器取り外しの同意書に平常心で署名はできないであろう。
件の医師は倫理観の一かけらもない「殺人医者」なのか、それとも患者の苦痛、家族心の痛みが判る「赤ひげ医者」なのか。
沖縄の方言でウヮーバグトゥと言う言葉がある。 いらぬお節介という意味で使われる。
もしも件の医師が患者の苦痛も、家族の苦しみにも鈍感な医師だったらそんな患者は薬漬けにして放置すればよい。 どうせそのうち勝手に死んでくれる。
何もウヮーバグトゥをして呼吸器を取り外して「殺人医師」の汚名を被るリスクを犯す必要はあったのか。
「冷血殺人医者」か「人情赤ひげ医者」かの判断は捜査当局、或いは司法が決める。
*
◆朝日新聞 2006年03月27日06時06分
呼吸器に拒否反応 「外して」頼んだ事例も 富山の病院
「人工呼吸器をつけたら(高齢の)父が拒否反応を示したので、頼んで外してもらいました」
数年前、射水市民病院に父親が入院、今回、延命治療を中止した行為が問題視された外科部長らの診療を受けたという男性は、当時を振り返り、そう言った。
人工呼吸器を装着したところ、父親はすぐに拒否反応を示した。負担を軽くしたいと、酸素マスクに付け替えてもらったという。
少しでも長く生きていてほしい。でも、それで本人が苦しい思いをするのでは……。「年も年だったので、家族で話し、全員で合意して管はやめて欲しいと頼んだ」
数カ月後、父親は亡くなった。
終末期を巡る医療現場で、患者、家族、医師、看護師らは、常に厳しい判断を迫られ、複雑な思いを抱く。
容体が悪化し、呼吸管理のために気管に管を入れて酸素を送り込む人工呼吸器。回復の見込み、余命、そして苦痛。患者や家族が延命治療の中止を判断する理由は様々だ。医師はどこまで、どんな気持ちでその思いに応えたらいいのか。
約200床の同病院は、県内では地域医療を担う中小病院だ。過疎地にあり、急性期医療に特化する都市部の大病院と違って、お年寄りの入院が多く、常にがんや老衰などで看取(みと)られる患者を抱えている。
麻野井英次院長は25日の会見で、延命治療に対する今後の対応を問われ、「(終末期医療のあり方を検討する)ターミナル委員会を設けて対応を検討しなければならない」と答えた。だが、直後に「私は内科医。心臓が止まるまでは診ていく、という立場です」とも語った。新たな委員会が治療中止を決めたとしても、疑問は残る。そんな揺れが、言葉の端々ににじんだ。
■産経新聞 【主張】 平成18(2006)年3月27日[月]
延命中止措置 早急に指針づくりをせよ
富山県の市民病院で、外科部長が人工呼吸器を外したため、五年間に七人もの末期患者が相次いで死亡していた。外科部長は「患者のためにやった」「尊厳死だ」と病院に説明しているが、日本には安楽死や尊厳死の法律もなければ、指針やルールもない。
安楽死とは、終末期医療のなかで患者の苦痛を取り除くため、医師が死期を早める行為だ。東海大病院の安楽死事件で横浜地裁判決(殺人で有罪確定)は、安楽死を薬物で意図的に死を早める「積極的安楽死」と、人工呼吸器を外すなどして延命治療を中止する「消極的安楽死」に分類した。患者が事前に治療を拒否する尊厳死も消極的安楽死に入るとされる。
問題の外科部長は人工呼吸器を外して治療行為をやめ、「尊厳死だ」と言っていることから、消極的安楽死とみられる。この消極的安楽死がやむを得ない要件として、横浜地裁判決は(1)患者の病気が治癒不可能で死が避けられない(2)患者本人か家族の意思表示がある-など三つの要件をあげている。
外科部長の行為はこれらの要件をどこまで満たしていたのか。外科部長は「同意を得ている」と話しているというが、患者や家族の意思表示は、死の切迫という特殊な状況下で、担当医と患者、家族という限られた中で示され、判断や確認は難しい。
それに外科部長は部下や病院側に何の相談や報告もなく、単独で患者の生命をつなぐ人工呼吸器を外している。富山県警が殺人容疑で捜査に乗り出しているが、チーム医療が重視される現在の医療の観点からは許されない。
オランダやベルギーでは四年前に、米国オレゴン州では九年前に、安楽死法が施行されている。日本では安楽死させた医者は殺人罪や嘱託殺人に問われてしまう。
厚生労働省の研究班は、平成十九年度をめどに終末期医療における患者の意思の確認方法や延命治療の在り方についての報告書を作成中だ。尊厳死の法制化では昨年、超党派の国会議員連盟が結成されている。
だが、いずれも活動が緩慢で具体策に乏しい。医師が末期患者をその苦痛から救うためには殺人罪と明確に区別できる新たな法律の制定や指針、ルールづくりが急務であろう。