今朝の新聞各紙はWBC報道一色で埋まった。
スポーツ紙は勿論、一般紙も全国5紙は、経済専門紙の日経を除いて、全て一面トップをカラー写真入りで飾った。
新聞社の姿勢を示す社説・コラムでは日経も含めて全紙がWBCを熱意を込めて取り扱った。
全国紙だけではない。 北の「河北新報」も南の「南日本新聞」も夫々の朝刊コラム、「河北春秋」と「南風録」でWBC戦士の活躍を熱っぽく語っている。
各紙、執筆記者の熱気と感動が読者に伝わる。
しかし、これも朝刊の記事までが賞味期限だ。
同じ感動の記事が、更に遅れて翌日の夕刊に載るとなると読者の興味は半減する。
記者が熱っぽく健筆を振るえば振るうほどほど、読者は泡の抜けたビールを飲まされた感を免れない。
◆2006年3月21日と22日の両日。 その日沖縄のマスコミは死んだ。
沖縄の全テレビと全ラジオは、WBC実況を放送しなかった。
報道の真空状態が沖縄列島を襲った。
日本列島が世紀の決戦で興奮に沸き返っていると言うのに。
調査によると、「ジャパン世界一、その瞬間」のテレビ視聴率は56%を記録したと言う。
日本テレビ系の番組平均視聴率は関東地区で43・4%を記録した。
実に二人に一人の割合で日本人がテレビに声援を送ったことになる。
但し、沖縄を除いて。
テレビ系列局の放送権のことは素人には良くわからない。
・・・が、沖縄県民が知りたい事をメディア側の都合で報道封殺した事は厳然たる事実だ。
一歩譲ってテレビ、ラジオは我慢しよう。
地元二紙は当日の夕刊も、一夜明けた今朝の朝刊も休刊であった。春分の日を理由に。
まさか「しゅんぶんの日」と「しんぶんの日」とを間違えた訳では有るまい。
地方紙だから仕方が無いって?
そんな言い訳は通用しない。
仙台の河北新報も鹿児島の南日本新聞も、今朝の朝刊コラムは感動を伝えている。
しかも、この地域はテレビ、ラジオは放送されていた。
昨日と今日で沖縄の放送各社と新聞ニ紙は集団自殺をしたのだ。
◆先ほど件の琉球新報の夕刊が配達された。
一面トップのカラー写真入りの「WBC感動報道」が何か虚しい。
全10面のうち5面をWBCの感動報道を伝えているが、こうなると新聞は報道の使命を自ら放棄したようなものだ。
いくら新聞が速報性に劣るとはいえ、その日の夕刊にも載らず、翌日の朝刊にも乗らないニュースを翌日の夕刊で「熱っぽく」報じては琉球新報ではなく琉球旧報であろう。
再び言おう。
沖縄の全マスメディアは二度と「知る権利、報道の自由」を口にしてはいけない。
◇ ◇ ◇
◆産経新聞 平成18(2006)年3月22日[水]
王ジャパン、世界を制覇 WBC「初代王者」に
【サンディエゴ(米カリフォルニア州)=奥山次郎】初めて大リーグ選手らが参加した野球の国別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は二十日、サンディエゴのペトコ・パークで決勝を行い、日本代表はアマチュア最強のキューバ代表に10-6で勝ち「初代王者」に就いた。
大会は北中米や東アジア、欧州、アフリカなどから十六カ国・地域が参加。一次リーグから決勝までの全三十九試合を行い、七十三万七千百十二人の観衆を集めた。大リーグ機構によると、大会が放送されたか、今後放送予定の国・地域は二百五に上る。
王貞治監督率いる日本は二次リーグで米国、韓国に敗れながら辛くも準決勝に進出。韓国に雪辱して進んだ決勝では投手力や機動力を生かした“日本野球”で栄冠を勝ち取った。野球が五輪正式競技となった一九九二年バルセロナ大会以降、四大会で優勝がなかった。WBCの次回大会は三年後の二〇〇九年に開催され、その後は四年に一度、開催される見通し。
◇
≪王さんだからこそ≫
「ニッポンコール」渦巻くペトコ・パークで王監督が宙に舞う。一回、二回、そして三回。笑顔がくしゃくしゃになっていく。「絶対世界一になる」。宣言通り、野球発祥の地で味わう頂点。「最高だよ」。目を潤ませた。
代表監督は、楽な役回りではなかった。三月二十五日には日本のプロ野球も開幕する。ソフトバンクの練習を見たのは、代表合宿に合流した二月二十日が最後。ほとんど留守にしたまま、開幕を迎える。
出場辞退も相次いだ。主砲に期待したヤンキースの松井秀に、教え子であるホワイトソックスの井口も大リーグを優先。救援型投手の構成も「右腕五人、左腕一人」と、いかにもいびつになった。十二日の米国戦では、タッチアップした西岡の離塁をめぐる疑惑の判定に見舞われ、抗議するとスタンドから屈辱的な大ブーイングも浴びた。
それでも、王監督でなければ、日本が世界の頂点に駆け上がることはなかっただろう。
「王さん、そして王さんの率いる日本チームと同じグラウンドに立てるのは特別な気分だ」と話したのは米国のマルティネス監督。八百六十八本という世界最多本塁打記録を持つ王監督には外国メディアも「ミスター・オー」ではなく、尊敬の念を込め日本語で「王さん」と呼び掛けた。ロドリゲスやグリフィーといった大リーグのスーパースターたちも次々にあいさつに訪れる。日本の大きな戦力となったイチローも、そんなスーパースターの一人。こんな話を明かした。
「『打撃は簡単でしたか』と伺ったら『簡単だったことはないよ』と答えてくれた。僕も、そう思ってきた。偉大な打者に言ってもらって勇気付けられた」。世界の尊敬を集める王監督だからこそ、チームは一つになれた。
WBCでの成績が閉塞(へいそく)感漂うプロ野球の今後を左右するという思いもあった。しかも野球は二〇〇八年北京大会を最後に五輪から消える。
「野球発展のために、できることがあれば何でもしたい」。その思いは、アテネ五輪にかけた元五輪代表監督の長嶋茂雄氏と重なる。米国に乗り込んだ王監督のジャケットの胸には、「着けていってほしい」と長嶋元監督が託した日の丸のバッジも光っていた。
「王監督率いる日本の野球が、世界の野球に変わったことを意味する価値ある勝利」。長嶋元監督は優勝をわがこととして喜び、王監督も「野球の素晴らしさを世界に伝えられた」と、同じ言葉で、喜びを表現した。
二人が紡いだ日本球界の悲願達成。「でも、これで、終わりじゃないんだ」と王監督は付け加えた。尽きることのない野球への情熱が日本代表の魂だった。(奥山次郎)
【WBC】ジャパン世界一、その瞬間56%
21日に行われたWBC決勝日本-キューバ戦を中継した日本テレビ系の番組平均視聴率が関東地区で43・4%(関西地区40・3%、名古屋地区35・6%)を記録したことが22日、ビデオリサーチの調査で分かった。瞬間最高視聴率は、王監督が胴上げされた場面で56・0%だった。
関東地区の瞬間最高視聴率は、キューバの最後のバッターが三振に倒れ、日本の優勝が伝えられた午後2時58分の56・0%。関西地区は同59分に52・8%、名古屋地区は同58分に46・8%を記録した。
プロ野球関連の関東地区の記録としては、現在の調査方法となった1977年以降、3番目の高さ。今年放送された各局の全番組の中で最高だった。
[2006年3月22日10時7分]
◆河北春秋 2006年3月22日
あらためて野球って面白いと思った。ワールド・ベースボール・クラシック決勝のキューバ戦。先行し、追い上げられ、また突き放して王ジャパンが優勝を飾った▼正直言うと当初、この大会にさほど期待はなかった。お祭り的なものに終わるのではの先入観。しかし、イチロー選手の言葉で変わった。「僕の野球人生で最も屈辱的な日」。韓国に2度目の黒星を喫したときのことだ
▼いつも冷静な彼にして、この発言とは―と驚いた。敗れて、腹の内までもさらさざるを得ないほどの苦々しさに満ちていた。ひたむきにプレーする者でなければ、出て来るはずのない言葉だろう▼戦うほかの国々も真剣勝負だった。「向こう30年、日本には手を出せないと思わせたい」と言ったイチロー選手に反発し、意地でも日本を倒そうとした韓国が印象深い。大差でも勝負を捨てないキューバにも拍手を送る
▼3度目に負けた韓国・金寅植監督のフェアプレーは気持ちがよかった。「日本はよくまとまっていたし、パワフルだった。うちより能力的に上なのでは」。負けては、なかなか言えない台詞(せりふ)だろう▼初の試みだけに、運営面で課題は山積する。なぜ日本と韓国は3度も戦ったのか。誤審問題。収益分配が米に偏りすぎていないか…。次は3年後。大会はどう育つだろうか。
◆3月22日付・よみうり寸評
〈終わりよければすべてよし〉――シェークスピア劇の題名で言えば、〈All's well that ends well〉◆王JAPANの世界一でそう思った。1次、2次リーグで韓国の後塵(こうじん)を拝し、審判の誤審もあるなど、準決勝進出さえほとんど絶望的だった状況からはい上がっての優勝◆それだけに歓喜もひとしおだった。野球とはこんなに面白いスポーツだったか、それを改めて思わせた。とんでもない審判の誤審で野球ファン以外の人たちまでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に目を向けた◆〈審判員の名前をファンが知りたがるのはジャッジを間違ったときだけ〉(大リーグの格言)――逆説的に言えば、ボブ・デビッドソン審判員は功労者かも知れない◆彼は多々ある大会運営の問題点を象徴した。直すべきは直してWBCが大きな大会に育つように望む。「どれほどのもんじゃい」とWBCを軽く見た人も終盤の熱い盛り上がりに目を見張った◆野球そのものの素晴らしさと、初代世界一・日本ナインの熱と意気と結束に喝采(かっさい)!
(2006年3月22日14時6分 読売新聞)
◆毎日新聞 2006年3月22日 0時26分
余録
野球への夢が再び大きく
「体健ならば 心また健 金言千古 空(あだ)ならず 阿修羅(あしゅら)の腕! 韋駄天(いだてん)の脚! 正義に鳴り 正路を走る……万里の波涛(はとう)打ち渡り 世界に覇たらん 血気の一団」。やたら勇ましいが、1905年、日本で初めて米国に遠征した早稲田大学チームへ作家の巌谷小波が寄せた「遠征野球団の歌」である▲何と日露戦争のさなかだった。一行は「米国は雨が多い」という誰かの言葉を真に受け、そろってコウモリ傘を抱えていた。一向に雨の降らぬ米西海岸で、大学やクラブチームを相手に転戦したその戦績は7勝19敗だ。「世界に覇」からはほど遠かった▲それから101年の歳月が流れた。球場も米西海岸サンディエゴのペトコパークである。国・地域別対抗のWBC決勝戦で王ジャパンがみごとキューバを降し、初の世界の頂点の座を勝ち取った。かけ値なし、正真正銘の「世界に覇」である▲一時は2次リーグ突破も絶望的と思われた死地を通り抜けての栄冠だった。とくに準決勝、決勝は持てる力を存分に発揮しての快勝となった。日本のファンにとっては思わぬ展開の連続で、最後は胸のすくようなハッピーエンドだからこたえられない▲もともと米大リーグの選手を国別に対抗させて野球人気を盛り上げようという発想が出発点だったというWBCだ。だが、決勝に進出したのは大リーグのスター選手軍団ではなく、大リーガーわずか2人の日本とゼロのキューバだったのが皮肉である▲野球の祖国を舞台にした初の世界大会で、野球の神様はチームワークがその基本であることを改めて示してくれた。「正義」はともかく、「正路」を走り抜けての王ジャパンの世界一である。最近ちょっとしぼみがちだった人々の野球への夢が再び大きく膨らんだ。
◆南日本新聞 南風録 2006年3月22日
マリナーズのイチロー選手といえば、試合後のインタビューにあまり出ず、無表情で愛想もよくないという印象がある。サービス精神おう盛なヤンキースの松井秀喜選手とは対照的だ。
ところが、今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では別人のように表情豊かで、はつらつとしていた。チームもイチロー選手を中心に一丸となった。イチロー観を変えた野球ファンも多いのではないか。
試合前や試合後も冗舌だった。「きょう負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」、「初めて日の丸を背負っているのが、自分のモチベーションを高めている」など、時には挑発的だったり、すごみを利かせた。
イチロー選手の言動に後押しされるように、「王ジャパン」がWBCの初代王者に輝いた。MVPの松坂大輔選手や福留孝介選手、川崎宗則選手らが全員野球で、アマチュア最強のキューバの追い上げを振り切った。
頂点に立つまでの展開は、波乱含みだった。米国戦では誤審騒ぎがあり、韓国に連敗するなど、4強は一時遠ざかった。九死に一生を得ての栄冠には、テレビ観戦のファンも快さいを叫んだことだろう。
あすから甲子園でセンバツ高校野球が始まり、32校が出場する。世界を極めた日本選手の歴史的偉業を、球児はしっかりと目に焼き付けたに違いない。日本、世界の舞台に立つ夢実現へ、大きな励みになったはずだ。
スポーツ紙は勿論、一般紙も全国5紙は、経済専門紙の日経を除いて、全て一面トップをカラー写真入りで飾った。
新聞社の姿勢を示す社説・コラムでは日経も含めて全紙がWBCを熱意を込めて取り扱った。
全国紙だけではない。 北の「河北新報」も南の「南日本新聞」も夫々の朝刊コラム、「河北春秋」と「南風録」でWBC戦士の活躍を熱っぽく語っている。
各紙、執筆記者の熱気と感動が読者に伝わる。
しかし、これも朝刊の記事までが賞味期限だ。
同じ感動の記事が、更に遅れて翌日の夕刊に載るとなると読者の興味は半減する。
記者が熱っぽく健筆を振るえば振るうほどほど、読者は泡の抜けたビールを飲まされた感を免れない。
◆2006年3月21日と22日の両日。 その日沖縄のマスコミは死んだ。
沖縄の全テレビと全ラジオは、WBC実況を放送しなかった。
報道の真空状態が沖縄列島を襲った。
日本列島が世紀の決戦で興奮に沸き返っていると言うのに。
調査によると、「ジャパン世界一、その瞬間」のテレビ視聴率は56%を記録したと言う。
日本テレビ系の番組平均視聴率は関東地区で43・4%を記録した。
実に二人に一人の割合で日本人がテレビに声援を送ったことになる。
但し、沖縄を除いて。
テレビ系列局の放送権のことは素人には良くわからない。
・・・が、沖縄県民が知りたい事をメディア側の都合で報道封殺した事は厳然たる事実だ。
一歩譲ってテレビ、ラジオは我慢しよう。
地元二紙は当日の夕刊も、一夜明けた今朝の朝刊も休刊であった。春分の日を理由に。
まさか「しゅんぶんの日」と「しんぶんの日」とを間違えた訳では有るまい。
地方紙だから仕方が無いって?
そんな言い訳は通用しない。
仙台の河北新報も鹿児島の南日本新聞も、今朝の朝刊コラムは感動を伝えている。
しかも、この地域はテレビ、ラジオは放送されていた。
昨日と今日で沖縄の放送各社と新聞ニ紙は集団自殺をしたのだ。
◆先ほど件の琉球新報の夕刊が配達された。
一面トップのカラー写真入りの「WBC感動報道」が何か虚しい。
全10面のうち5面をWBCの感動報道を伝えているが、こうなると新聞は報道の使命を自ら放棄したようなものだ。
いくら新聞が速報性に劣るとはいえ、その日の夕刊にも載らず、翌日の朝刊にも乗らないニュースを翌日の夕刊で「熱っぽく」報じては琉球新報ではなく琉球旧報であろう。
再び言おう。
沖縄の全マスメディアは二度と「知る権利、報道の自由」を口にしてはいけない。
◇ ◇ ◇
◆産経新聞 平成18(2006)年3月22日[水]
王ジャパン、世界を制覇 WBC「初代王者」に
【サンディエゴ(米カリフォルニア州)=奥山次郎】初めて大リーグ選手らが参加した野球の国別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は二十日、サンディエゴのペトコ・パークで決勝を行い、日本代表はアマチュア最強のキューバ代表に10-6で勝ち「初代王者」に就いた。
大会は北中米や東アジア、欧州、アフリカなどから十六カ国・地域が参加。一次リーグから決勝までの全三十九試合を行い、七十三万七千百十二人の観衆を集めた。大リーグ機構によると、大会が放送されたか、今後放送予定の国・地域は二百五に上る。
王貞治監督率いる日本は二次リーグで米国、韓国に敗れながら辛くも準決勝に進出。韓国に雪辱して進んだ決勝では投手力や機動力を生かした“日本野球”で栄冠を勝ち取った。野球が五輪正式競技となった一九九二年バルセロナ大会以降、四大会で優勝がなかった。WBCの次回大会は三年後の二〇〇九年に開催され、その後は四年に一度、開催される見通し。
◇
≪王さんだからこそ≫
「ニッポンコール」渦巻くペトコ・パークで王監督が宙に舞う。一回、二回、そして三回。笑顔がくしゃくしゃになっていく。「絶対世界一になる」。宣言通り、野球発祥の地で味わう頂点。「最高だよ」。目を潤ませた。
代表監督は、楽な役回りではなかった。三月二十五日には日本のプロ野球も開幕する。ソフトバンクの練習を見たのは、代表合宿に合流した二月二十日が最後。ほとんど留守にしたまま、開幕を迎える。
出場辞退も相次いだ。主砲に期待したヤンキースの松井秀に、教え子であるホワイトソックスの井口も大リーグを優先。救援型投手の構成も「右腕五人、左腕一人」と、いかにもいびつになった。十二日の米国戦では、タッチアップした西岡の離塁をめぐる疑惑の判定に見舞われ、抗議するとスタンドから屈辱的な大ブーイングも浴びた。
それでも、王監督でなければ、日本が世界の頂点に駆け上がることはなかっただろう。
「王さん、そして王さんの率いる日本チームと同じグラウンドに立てるのは特別な気分だ」と話したのは米国のマルティネス監督。八百六十八本という世界最多本塁打記録を持つ王監督には外国メディアも「ミスター・オー」ではなく、尊敬の念を込め日本語で「王さん」と呼び掛けた。ロドリゲスやグリフィーといった大リーグのスーパースターたちも次々にあいさつに訪れる。日本の大きな戦力となったイチローも、そんなスーパースターの一人。こんな話を明かした。
「『打撃は簡単でしたか』と伺ったら『簡単だったことはないよ』と答えてくれた。僕も、そう思ってきた。偉大な打者に言ってもらって勇気付けられた」。世界の尊敬を集める王監督だからこそ、チームは一つになれた。
WBCでの成績が閉塞(へいそく)感漂うプロ野球の今後を左右するという思いもあった。しかも野球は二〇〇八年北京大会を最後に五輪から消える。
「野球発展のために、できることがあれば何でもしたい」。その思いは、アテネ五輪にかけた元五輪代表監督の長嶋茂雄氏と重なる。米国に乗り込んだ王監督のジャケットの胸には、「着けていってほしい」と長嶋元監督が託した日の丸のバッジも光っていた。
「王監督率いる日本の野球が、世界の野球に変わったことを意味する価値ある勝利」。長嶋元監督は優勝をわがこととして喜び、王監督も「野球の素晴らしさを世界に伝えられた」と、同じ言葉で、喜びを表現した。
二人が紡いだ日本球界の悲願達成。「でも、これで、終わりじゃないんだ」と王監督は付け加えた。尽きることのない野球への情熱が日本代表の魂だった。(奥山次郎)
【WBC】ジャパン世界一、その瞬間56%
21日に行われたWBC決勝日本-キューバ戦を中継した日本テレビ系の番組平均視聴率が関東地区で43・4%(関西地区40・3%、名古屋地区35・6%)を記録したことが22日、ビデオリサーチの調査で分かった。瞬間最高視聴率は、王監督が胴上げされた場面で56・0%だった。
関東地区の瞬間最高視聴率は、キューバの最後のバッターが三振に倒れ、日本の優勝が伝えられた午後2時58分の56・0%。関西地区は同59分に52・8%、名古屋地区は同58分に46・8%を記録した。
プロ野球関連の関東地区の記録としては、現在の調査方法となった1977年以降、3番目の高さ。今年放送された各局の全番組の中で最高だった。
[2006年3月22日10時7分]
◆河北春秋 2006年3月22日
あらためて野球って面白いと思った。ワールド・ベースボール・クラシック決勝のキューバ戦。先行し、追い上げられ、また突き放して王ジャパンが優勝を飾った▼正直言うと当初、この大会にさほど期待はなかった。お祭り的なものに終わるのではの先入観。しかし、イチロー選手の言葉で変わった。「僕の野球人生で最も屈辱的な日」。韓国に2度目の黒星を喫したときのことだ
▼いつも冷静な彼にして、この発言とは―と驚いた。敗れて、腹の内までもさらさざるを得ないほどの苦々しさに満ちていた。ひたむきにプレーする者でなければ、出て来るはずのない言葉だろう▼戦うほかの国々も真剣勝負だった。「向こう30年、日本には手を出せないと思わせたい」と言ったイチロー選手に反発し、意地でも日本を倒そうとした韓国が印象深い。大差でも勝負を捨てないキューバにも拍手を送る
▼3度目に負けた韓国・金寅植監督のフェアプレーは気持ちがよかった。「日本はよくまとまっていたし、パワフルだった。うちより能力的に上なのでは」。負けては、なかなか言えない台詞(せりふ)だろう▼初の試みだけに、運営面で課題は山積する。なぜ日本と韓国は3度も戦ったのか。誤審問題。収益分配が米に偏りすぎていないか…。次は3年後。大会はどう育つだろうか。
◆3月22日付・よみうり寸評
〈終わりよければすべてよし〉――シェークスピア劇の題名で言えば、〈All's well that ends well〉◆王JAPANの世界一でそう思った。1次、2次リーグで韓国の後塵(こうじん)を拝し、審判の誤審もあるなど、準決勝進出さえほとんど絶望的だった状況からはい上がっての優勝◆それだけに歓喜もひとしおだった。野球とはこんなに面白いスポーツだったか、それを改めて思わせた。とんでもない審判の誤審で野球ファン以外の人たちまでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に目を向けた◆〈審判員の名前をファンが知りたがるのはジャッジを間違ったときだけ〉(大リーグの格言)――逆説的に言えば、ボブ・デビッドソン審判員は功労者かも知れない◆彼は多々ある大会運営の問題点を象徴した。直すべきは直してWBCが大きな大会に育つように望む。「どれほどのもんじゃい」とWBCを軽く見た人も終盤の熱い盛り上がりに目を見張った◆野球そのものの素晴らしさと、初代世界一・日本ナインの熱と意気と結束に喝采(かっさい)!
(2006年3月22日14時6分 読売新聞)
◆毎日新聞 2006年3月22日 0時26分
余録
野球への夢が再び大きく
「体健ならば 心また健 金言千古 空(あだ)ならず 阿修羅(あしゅら)の腕! 韋駄天(いだてん)の脚! 正義に鳴り 正路を走る……万里の波涛(はとう)打ち渡り 世界に覇たらん 血気の一団」。やたら勇ましいが、1905年、日本で初めて米国に遠征した早稲田大学チームへ作家の巌谷小波が寄せた「遠征野球団の歌」である▲何と日露戦争のさなかだった。一行は「米国は雨が多い」という誰かの言葉を真に受け、そろってコウモリ傘を抱えていた。一向に雨の降らぬ米西海岸で、大学やクラブチームを相手に転戦したその戦績は7勝19敗だ。「世界に覇」からはほど遠かった▲それから101年の歳月が流れた。球場も米西海岸サンディエゴのペトコパークである。国・地域別対抗のWBC決勝戦で王ジャパンがみごとキューバを降し、初の世界の頂点の座を勝ち取った。かけ値なし、正真正銘の「世界に覇」である▲一時は2次リーグ突破も絶望的と思われた死地を通り抜けての栄冠だった。とくに準決勝、決勝は持てる力を存分に発揮しての快勝となった。日本のファンにとっては思わぬ展開の連続で、最後は胸のすくようなハッピーエンドだからこたえられない▲もともと米大リーグの選手を国別に対抗させて野球人気を盛り上げようという発想が出発点だったというWBCだ。だが、決勝に進出したのは大リーグのスター選手軍団ではなく、大リーガーわずか2人の日本とゼロのキューバだったのが皮肉である▲野球の祖国を舞台にした初の世界大会で、野球の神様はチームワークがその基本であることを改めて示してくれた。「正義」はともかく、「正路」を走り抜けての王ジャパンの世界一である。最近ちょっとしぼみがちだった人々の野球への夢が再び大きく膨らんだ。
◆南日本新聞 南風録 2006年3月22日
マリナーズのイチロー選手といえば、試合後のインタビューにあまり出ず、無表情で愛想もよくないという印象がある。サービス精神おう盛なヤンキースの松井秀喜選手とは対照的だ。
ところが、今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では別人のように表情豊かで、はつらつとしていた。チームもイチロー選手を中心に一丸となった。イチロー観を変えた野球ファンも多いのではないか。
試合前や試合後も冗舌だった。「きょう負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」、「初めて日の丸を背負っているのが、自分のモチベーションを高めている」など、時には挑発的だったり、すごみを利かせた。
イチロー選手の言動に後押しされるように、「王ジャパン」がWBCの初代王者に輝いた。MVPの松坂大輔選手や福留孝介選手、川崎宗則選手らが全員野球で、アマチュア最強のキューバの追い上げを振り切った。
頂点に立つまでの展開は、波乱含みだった。米国戦では誤審騒ぎがあり、韓国に連敗するなど、4強は一時遠ざかった。九死に一生を得ての栄冠には、テレビ観戦のファンも快さいを叫んだことだろう。
あすから甲子園でセンバツ高校野球が始まり、32校が出場する。世界を極めた日本選手の歴史的偉業を、球児はしっかりと目に焼き付けたに違いない。日本、世界の舞台に立つ夢実現へ、大きな励みになったはずだ。