昨日(4月12日)午前、静岡県地震防災センターで行われた、
前大分県社協ボランティアセンターのMさんをお招きしてのミニミニ研究会での議論、
その続きをご紹介しておきたい。
今後の活動について問われたMさんは、
障害者防災を追い続けて、それを形にすることが出来れば、それは、
障害者のみならず、「すべての人たちが安心・安全なまちづくりになるのだ」ということ、
まずはそのことを一般市民の方々に理解してもらえるような、
座談会やタウンミーティングのようなことをやっていきたいと思っている。
と、述べて下さった。
「地侍」であればこそ出来る話なのだろうが、やはり「ひざ詰めで」議論してこそ、
新しい動きを作り出すことが出来るのだろうなぁ、とは思った。
大分には、障害者、健常者を越えて、いろいろな立場の方々が集まり、
障害者の防災を考える場があるのだそうな。
行政の職員も、個人的に関わっている、とのこと。
だからこそ、共通の目標を達成するためのチームが出来た、という話であり、
そういうチームがあればこそ、行政との間が非常に近くなっている、とのことでもあった。
考えさせられるところ、大であった。
0から始めるのはなかなか大変だろうが、幸いにも母体となる場があったのだそうな。
で、その場にMさんが加わり、さらに、変わった職員やセンスの良い職員を連れて行くと、
彼ら彼女らが「はまってくれて」「楽しくなるとどんどんやってくる」とのこと。
Mさんはあっさりと言ってくれるが、そしてやってのけたが、
そういう好循環をどうやって作っていけばよいのだろうか。
西宮のIさんは、何回か大分に通い、Mさんと一緒に活動したとのことだが、
このようなMさんの話を聞き、自らの訪問体験も含めて、
「いろいろな人を巻き込んでいく場」「広く他職種にきてもらう場」「お披露目の場」
「コアメンバーによる問題検討の場」等々、多層的な活動が展開されていたことを、
大分の特長ではないか、と説明してくれた。
有識者も、人格者も、市民社会を支える方々も、
「自分ごと」の「社会課題」として考えてくれていた、という。
それだけの場を、また人間関係を、どうすれば、
作り、維持し、発展させていくことが出来るのだろうか。
そもそも論を言えば、
「(障害者であれ誰であれ)地域で共に生きる」ということ、
この「共に生きる」にあたり課題があること。そのことに取り組まなくてはならない、ということ、
「旅の坊主」はそれらのことを、どこまで、「自分ごと」として受け止めているのだろうか。
「自分ごと」として受け止めていなければ、
その辺りにころがっている有識者と何ら変わらない訳で……。
我が身を振り返るに……。
静岡県立富士特別支援学校高等部や、同じく御殿場特別支援学校高等部、
静岡県立富士見学園という知的障害者の入所施設、
そして、幾つもの当事者団体……。
これらから、防災について話をしてほしいと頼まれ、実際に赴いたこともある。
しかしそれらの訪問も、というより「共に生きる」にあたっての課題を見せられても、
静岡県東部では地侍であるはずの「旅の坊主」であるはずなのに、
「チーム○○」の一員として、自分に出来ることを提供しよう、とは
なっていなかったようであった。
大学教員にとって、知恵を提供するのは生活の延長であって特別なことではない。
ましてやテーマは防災。一般市民の防災リテラシーですらかなり危ういのに、
当事者の防災リテラシーが平均的にどの水準にあるのかは十分理解しているはず。
とすれば……。
本当に質の良い話し手は、己の経験を語りつつも、聞いている者に対して、
「あなたはどうですか?」との問いかけを、それと語らずに、問い続けられるものらしい。
というので、Mさんのお話しは、「旅の坊主」が果たすべき役割を果たしていないではないか、
ということを、それと語らずとも問いかけるものでありました。
まだまだ書き足らないところ。
というので、もう数回、このネタでお付き合いいただくことになるみたいです。
前大分県社協ボランティアセンターのMさんをお招きしてのミニミニ研究会での議論、
その続きをご紹介しておきたい。
今後の活動について問われたMさんは、
障害者防災を追い続けて、それを形にすることが出来れば、それは、
障害者のみならず、「すべての人たちが安心・安全なまちづくりになるのだ」ということ、
まずはそのことを一般市民の方々に理解してもらえるような、
座談会やタウンミーティングのようなことをやっていきたいと思っている。
と、述べて下さった。
「地侍」であればこそ出来る話なのだろうが、やはり「ひざ詰めで」議論してこそ、
新しい動きを作り出すことが出来るのだろうなぁ、とは思った。
大分には、障害者、健常者を越えて、いろいろな立場の方々が集まり、
障害者の防災を考える場があるのだそうな。
行政の職員も、個人的に関わっている、とのこと。
だからこそ、共通の目標を達成するためのチームが出来た、という話であり、
そういうチームがあればこそ、行政との間が非常に近くなっている、とのことでもあった。
考えさせられるところ、大であった。
0から始めるのはなかなか大変だろうが、幸いにも母体となる場があったのだそうな。
で、その場にMさんが加わり、さらに、変わった職員やセンスの良い職員を連れて行くと、
彼ら彼女らが「はまってくれて」「楽しくなるとどんどんやってくる」とのこと。
Mさんはあっさりと言ってくれるが、そしてやってのけたが、
そういう好循環をどうやって作っていけばよいのだろうか。
西宮のIさんは、何回か大分に通い、Mさんと一緒に活動したとのことだが、
このようなMさんの話を聞き、自らの訪問体験も含めて、
「いろいろな人を巻き込んでいく場」「広く他職種にきてもらう場」「お披露目の場」
「コアメンバーによる問題検討の場」等々、多層的な活動が展開されていたことを、
大分の特長ではないか、と説明してくれた。
有識者も、人格者も、市民社会を支える方々も、
「自分ごと」の「社会課題」として考えてくれていた、という。
それだけの場を、また人間関係を、どうすれば、
作り、維持し、発展させていくことが出来るのだろうか。
そもそも論を言えば、
「(障害者であれ誰であれ)地域で共に生きる」ということ、
この「共に生きる」にあたり課題があること。そのことに取り組まなくてはならない、ということ、
「旅の坊主」はそれらのことを、どこまで、「自分ごと」として受け止めているのだろうか。
「自分ごと」として受け止めていなければ、
その辺りにころがっている有識者と何ら変わらない訳で……。
我が身を振り返るに……。
静岡県立富士特別支援学校高等部や、同じく御殿場特別支援学校高等部、
静岡県立富士見学園という知的障害者の入所施設、
そして、幾つもの当事者団体……。
これらから、防災について話をしてほしいと頼まれ、実際に赴いたこともある。
しかしそれらの訪問も、というより「共に生きる」にあたっての課題を見せられても、
静岡県東部では地侍であるはずの「旅の坊主」であるはずなのに、
「チーム○○」の一員として、自分に出来ることを提供しよう、とは
なっていなかったようであった。
大学教員にとって、知恵を提供するのは生活の延長であって特別なことではない。
ましてやテーマは防災。一般市民の防災リテラシーですらかなり危ういのに、
当事者の防災リテラシーが平均的にどの水準にあるのかは十分理解しているはず。
とすれば……。
本当に質の良い話し手は、己の経験を語りつつも、聞いている者に対して、
「あなたはどうですか?」との問いかけを、それと語らずに、問い続けられるものらしい。
というので、Mさんのお話しは、「旅の坊主」が果たすべき役割を果たしていないではないか、
ということを、それと語らずとも問いかけるものでありました。
まだまだ書き足らないところ。
というので、もう数回、このネタでお付き合いいただくことになるみたいです。
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