たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

「ヤ」と「八」

2018-02-13 09:38:13 | 剣山・イスラエル

<奥祖谷二重かずら橋>

 

国生みの神として知られる、

イザナギ・イザナミの2神の名称は、

実はヘブライ語だという説があります。

古代ユダヤの人々を日本へと導いた、

預言者イザヤの「イザ」は、

イザ(救い)ヤ(神)の意味であり、

2神とのつながりを示しているのだとか。

また、剣山の西側に位置する

祖谷地方の「イヤ」という呼び名や、

同地区の観光名所・かずら橋の「カズラ」も、

ヘブライ語由来の名称だと言われています。

 

ユダヤの神を示す「ヤ」の文字を、

数字に置き換えると「八」となりますが、

四国八十八か所の「八」、

そして八幡神の「八」など、

この地の至る所に「八」、

つまり「ヤ」が隠れているのです。

そして、この後訪れる

「日本のある古代氏族」

との関りをうかがわせる場所でも、

あちこちで「八」という数字を

目にすることになりました。

【参考サイト】

日本とユダヤのハーモニー


負の記憶

2018-02-12 09:33:54 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

古代イスラエルの各部族に伝わる神宝は、

ヤハウェに選ばれた民の証であり、

神宝を手放すことは相手への恭順を意味します。

仮に、イザヤに象徴される新鋭のユダヤ一族が、

古いユダヤ一族が住む剣山を訪れたとするなら、

剣山山上に王国を築いていた同郷の末裔に対し、

この地を明け渡すよう交渉したのでしょうか……。

 

恐らく、ナガスネヒコや名草戸畔、

そして吉野の豪族たちとの争いなど、

記紀に記された「神武東征」の各場面には、

当時、日本全国で勃発していた、

土着の民と渡来の民との紛争や、

それに伴う神宝のやり取り等を、

総括した内容が含まれているのだと思われます。

 

イザヤ一行が神宝を奪い山に火を放ったのか……。

あるいは、イザヤ一行の到着を知った人々が、

神宝を隠し王朝の痕跡を焼き尽くしたのか……。

それらを証明する術は残されていませんが、

剣山という場所には、決して史実には記せない、

つらい負の記憶が潜んでいるのは確かなのです。


アークの所在

2018-02-11 09:24:50 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

ユダヤの神が、不敬な人間や風紀の乱れた町を、

「火」などを用いて根絶やしにするという逸話は、

聖書などにも多々見受けられるストーリーです。

生き残った善良な民は、大切な神宝を守るため、

故郷を失うごとに次なる聖地を目指しました。

もし剣山山頂が、古代イスラエルの町々と

同じような理由で焼き払われたとするなら、

すでに剣山に「アークは存在しない」

という結論が導き出されます。

剣山の地下から持ち出されたユダヤの神宝は、

いったいどこに移されたのでしょうか……。

 

ちなみに、剣山のお膝元の祖谷地方には、

「伊勢から神宝が運ばれてきた」と

読み取れるような古い民謡が

伝えられているのだそうです。

また、「伊勢で祀られた三種の神器は、

その後剣山へと移動した……」

「剣山の秘宝を守るために、

わざと伊勢へと運んだ伝説を残した……」

などの話もあり、失われたアーク、

そして三種の神器の所在は、

未だ深い霧に包まれています。


火の戒め

2018-02-10 09:17:06 | 剣山・イスラエル

<美馬市・木屋平>

 

日本人なら誰もが知る童謡「かごめ歌」は、

「剣山山頂が焼き払われた場面」

を暗示しているという話があります。

何でも、剣山にユダヤの秘宝

(アーク)が持ち込まれてから、

長年にわたり不信心な行いが蔓延した結果、

「神宝を取り出して火を放て」

という神のお告げが降りたのだとか。

 

この話を聞いてまず思い浮かんだのは、

阿波で行われていた「山焼き」の風習でした。

一般的に、害虫駆除や土壌の改善

といった名目で行われることが多い、

この「山焼き」という行事ですが、

「東大寺と興福寺の争いを仲裁するために、

山を焼き払った(諸説あり)」とされる、

奈良・若草山の山焼きの起源から考えても、

山焼きには「戒め」の側面があることを感じます。

 

つまり、人間同士の争いが限界に達し、

国家を揺るがすほどの危機的状況になった場合、

神様は「火」という道具を使って、

人間の思い上がりを諫めることがあるのでしょう。

ちなみに、剣山山頂が丸焼けになった後、

持ち出したアークは新たな場所へと移され、

燃え尽きてしまった剣山(阿波王朝)は、

「見捨てられた地」となったのだそうです。

【参考サイト】

日本とユダヤのハーモニー


アークに準ずる宝

2018-02-09 10:12:41 | 剣山・イスラエル

西祖谷山村

 

古代ユダヤの神宝と聞きますと、

「契約の箱」や「モーゼの十戒石」

ばかりに目が行きがちですが、

恐らくは存在したユダヤ部族の数だけ、

各々の家系に伝わる「神宝」が存在し、

たくさんの「アークに準ずる宝」が、

日本国内に持ち込まれたはずです。

 

記紀の中で、神武天皇とニギハヤヒ

(に委託されたナガスネヒコ)が、

お互いの「神器」を見せ合ったように、

イスラエル氏族の血統を守る者の証として、

それぞれの家系ごとに「秘宝」が

受け継がれていたのだと思われます。

 

ある家系は「鏡」、ある家系は「剣」、

ある家系は「壺」など、天皇家が所有する

三種の神器を模したであろうそれらの宝は、

実物を提示しただけで、

すぐに身元がわかるような

由緒ある一品だったのかもしれません。

 

剣山に隠されたのは、

世界中の人々が捜し求めている

「失われたアーク」という名の

ユダヤの秘宝なのでしょうか……。

もしかすると、それらの埋蔵品は、

ある氏族の末裔たちが先祖代々守ってきた、

神器のレプリカだった可能性もありそうです。


ミカドの伝承

2018-02-08 10:22:05 | 剣山・イスラエル

<栗枝渡八幡神社 くりしどはちまんじんじゃ>

 

もし、古代ユダヤの契約の箱(失われたアーク)が、

日本の皇室に伝わる三種の神器だったとすれば、

誰の手によって日本に持ち込まれたか……など、

それらの詳細がたいへん気になるところです。

剣山の謎について書かれた本を読みますと、

「アークはイザヤ一行が剣山に運んだ」と

記されているケースがほとんどですが、

イザヤはあくまで神官家系の出身であり、

天皇につながる系統ではなかったと思われます。

 

基本的に、三種の神器という「証」は、

特別な神官しか触れることは許されず、

また天皇のそばを離れることもありません。

仮にイザヤ一行の中に、神武天皇の

先祖である「ミカド」が含まれており、

契約の箱を携えたイザヤとともに、

剣山の山頂に皇居を構えたとすれば、

この一帯に「ミカド」に関する伝説が、

ほとんど残されていないことに違和感を覚えます。


二人の預言者

2018-02-07 10:04:43 | 剣山・イスラエル

<西祖谷山村>

 

モーゼとイザヤという二人の人物は、

「東方の地」を目指したユダヤ人たちを、

日本へと導いた代表的な「預言者」です。

はっきりした年代はわからないものの、

モーゼとイザヤが登場した時代には、

およそ数百年以上もの開きがあり、

必然的に両者が日本を訪れた時期も異なります。

 

ちなみに、ユダヤの契約の箱の中身は、

「マナを納めた金の壺」「アロンの杖」

「十戒を記した石板」だとされますが、

ソロモン王が活躍した時代

(モーゼ時代とイザヤ時代の間)には、

すでに契約の箱の中には、

十戒石板しか残されていなかったのだとか。

 

また、モーゼがシナイ山で授かった

十戒石板は、モーゼ自身の手によって、

日本へと運ばれたという話もあり、

イザヤが生きていた時代には、

恐らく石板は存在していなかったか、

もしくは「別の石板」が入っていた、

という可能性も否定できません。

いずれにせよ、剣山に埋められたとされる

「アーク」が何を指しているのか、

非常に興味深いところではあります。


複雑な図式

2018-02-06 10:00:55 | 剣山・イスラエル

<東祖谷名頃・かかしの里>

 

ひと口に「古代イスラエル」

「失われた十支族」と申しましても、

彼らのすべてを一緒くたにして語るのは、

少々無理があるような気がします。

数千年前、イスラエルを出発した人々が、

様々な部族と姻戚関係を結びながら、

長い時間をかけて日本へと到着したように、

「生まれた時代」「来日した時期」等は

バラバラであり、また彼らのすべてが、

最後まで同じ志を持ち、同じ目的に向かって、

協力し合っていたわけではないのでしょう。

 

ちなみに、剣山周辺で聞かれる

古代ユダヤの痕跡のほとんどは、

「イザヤ」という預言者に関わる伝承です。

イザヤが表舞台に現れるのは、

モーゼの出現よりさらに数百年後のこと。

イザヤの到着時にはすでに、日本人と同化し、

「国津神」となっていたユダヤ人もいたはずです。

いずれにせよ、日本人=国津神、

ユダヤ人=天津神といった、

単純な図式には収められないのが、

古代の日本という国なのかもしれません。


神宝の行方

2018-02-05 09:55:55 | 剣山・イスラエル

<剣山・見ノ越>

 

剣山のどこかに、「ユダヤに関する何か」が

隠されていたのは恐らく事実だと思われます。

ただし、それが世界中の人々が探し求めている

「契約の箱(ソロモンの聖櫃・失われたアーク

・三種の神器……等々)」なのかと問われると、

何とも言えないというのが正直なところです。

いずれにせよ、当時持ち込まれた宝物は、

現段階ではすでに別の場所に移動したか、

朽ちてしまった可能性も高いのでしょう。

 

一説によりますと、最初にこの阿波の地へと

古代イスラエル人がやってきたのは、

モーゼの時代だったという話があります。

そして、モーゼ一行が来日したあとも、

故郷を追われた古代ユダヤ人たちが、

およそ千年以上もの長い月日をかけ、

次々と日本各地に移住してきたのです。

 

古い時代にたどり着いた部族の末裔は、

すでに日本人として土着化していたため、

新たにやってきた同郷の渡来人との間で、

様々な軋轢が発生したことでしょう。

恐らく、その過程のどこかでは、

各々の部族のシンボルである「神宝」を、

隠したり移動したり、あるいは

奪ったり奪われたりといった場面が、

繰り広げられたのかもしれません。


移動する宝

2018-02-04 09:50:43 | 剣山・イスラエル

<剣神社 つるぎじんじゃ>

 

剣山山頂へと伸びる登山道の玄関口、

見ノ越にある剣神社の一帯には、

「修験」の匂いが強く漂っておりました。

もし仮に、契約の箱(ソロモンの聖櫃)が、

山頂付近に埋められていたとするなら、

聖域を守る修験者たちは、ここを拠点とし、

山へと侵入する許可を得たのでしょうか……。

 

イスラエルの地を離れてから、

日本へとたどり着くまでの間、

古代ユダヤの人々は、立ち寄った土地々で、

幕屋と呼ばれる移動式の神殿を建てながら、

ひとつの場所に長期間留まることなく、

東方へ向け旅を続けました。

 

もちろん、長旅の途中であったため、

固定式の神殿を作ることが難しかった、

という理由もあるのでしょうが、

その裏には「神を一か所に留めるな」という、

「戒め」が含まれていたと感じるもの。

日本という安住の地にたどり着いてからも、

神の依り代であるユダヤの神宝(主に剣)は、

常に移動を繰り返していた可能性もあります。


修験者の役目

2018-02-03 09:44:27 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

剣山登山口の剣神社以外にも、

剣山の山頂周辺には、

大剣神社や宝蔵石神社など、

大小さまざまな社が鎮座し、

巨大な磐座や深い洞窟の類も、

数多く存在すると聞きます。

また、「修験の山」でもある剣山は、

修行のための行場があちこちに作られており、

調べてみたところそのコース内には、

小さなお社や祠が点々と置かれていました。

 

これだけ限られたエリアに、

複数の神域があるのには、

何か特別な理由がありそうです。

もしかすると「秘宝の埋蔵場所」から、

人々の目を逸らすために、

たくさんの「入り口」を設けたのでしょうか……。

ちなみに、修験者独特のいで立ちは、

古代イスラエルとの共通点を示唆する、

よく知られた比較対象でもあります。

 

仮に、日本とユダヤとのつながりを示す証が、

剣山や修験の山に隠されていると想像すれば、

古代神官の身なりを模した修験者は、

「修行」の名目で山々を駆け回りながら、

不審者の侵入に目を光らせていたのでしょうか……。

もしかすると複数の行場を作ることで、

ユダヤの秘宝を守ろうとしたのかもしれません。

「剣」「修験者」そして「古代イスラエル」 との間には、

やはり深いつながりがあるようです。


鶴と亀

2018-02-02 10:13:22 | 剣山・イスラエル

<つるぎ町・一宇>

 

剣山(つるぎさん)という名称は、

もともと鶴亀山と表記したそうです。

現在も、剣山山頂付近には、

鶴と亀を模した自然石があり、

その下には明らかに人為的な形跡を残す、

謎の鍾乳洞が広がっているのだとか。

有名な童謡「かごめ歌」の一節である

「鶴と亀がすべった」という箇所も

実は剣山(鶴亀山)のことを指し、

「夜明けの晩に剣山の封印が解ける」

という意味が込められていると聞きました。

 

ちなみに、かごめ歌やさくらさくらなど、

日本に古くから伝わる「歌」の多くは、

ヘブライ語での解釈が可能だとされ、

その意訳を読むと、非常に意味深な内容が

多々含まれていることに驚きます。

もしかすると、鶴と亀という形象は、

古代イスラエルの人々が、目的地である

日本へとたどり着いた喜びの証なのでしょうか……。

それとも、大切な宝物の在処を示す、

重要な暗号として残されたのでしょうか……。


ユダヤの剣

2018-02-01 09:55:37 | 剣山・イスラエル

<剣山・見ノ越>

 

剣山の登山口に鎮座する剣神社には、

「剣」にまつわる伝承が残っています。

また、近隣の祖谷のあたりでは、

「壇ノ浦の戦いで入水したとされる

安徳天皇が、実はこの地にまで落ち延び、

平家の再興を願って剣を奉納した」という、

古くからの言い伝えがあるのだとか。

この山に「剣」の文字が使われた背景には、

それなりの歴史的根拠があったのでしょう。

 

ちなみに、全国の「剣」に関連する神社を

あれこれと調べてみますと、

その多くに「古代イスラエル」の陰が、

見え隠れしていることに気づきます。

よく知られたところでは、

石上神宮、熱田神宮、諏訪大社など、

すべて渡来人との縁が深い場所です。

剣山という名称が指し示しているのは、

いったいどんな「剣」だったのでしょうか……。