<西祖谷山村>
古代イスラエルの各部族に伝わる神宝は、
ヤハウェに選ばれた民の証であり、
神宝を手放すことは相手への恭順を意味します。
仮に、イザヤに象徴される新鋭のユダヤ一族が、
古いユダヤ一族が住む剣山を訪れたとするなら、
剣山山上に王国を築いていた同郷の末裔に対し、
この地を明け渡すよう交渉したのでしょうか……。
恐らく、ナガスネヒコや名草戸畔、
そして吉野の豪族たちとの争いなど、
記紀に記された「神武東征」の各場面には、
当時、日本全国で勃発していた、
土着の民と渡来の民との紛争や、
それに伴う神宝のやり取り等を、
総括した内容が含まれているのだと思われます。
イザヤ一行が神宝を奪い山に火を放ったのか……。
あるいは、イザヤ一行の到着を知った人々が、
神宝を隠し王朝の痕跡を焼き尽くしたのか……。
それらを証明する術は残されていませんが、
剣山という場所には、決して史実には記せない、
つらい負の記憶が潜んでいるのは確かなのです。