たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

参道の歩き方

2015-02-13 13:53:53 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

神社の入り口からお宮へと続く参道は、

神社の善し悪しを見極める大事なポイントです。

参道がきれいに掃き清めらている神社、

参道の周りが木々に囲まれている神社、

参道の途中に余計な人工物がない神社…など、

参道の佇まいを観るだけでも、

祀られている神様の神格や、

神社をお守りする人の価値観がわかります。

 

また、参道を歩くこと自体が、

神前に立つ前の大切なお祓いでもあり、

「どのような態度でお参りするのか」を、

神様に見られているものです。

家族や友人と賑やかに参拝するのも、

それはそれで楽しい思い出ですが、

せっかく神社に来たのに、

おしゃべりばかりしているのはもったいない話。

ときには、玉砂利の音に耳を澄ませながら、

心静かに参道を進んでみるのもよいかもしれませんね。


神様の子孫

2015-02-12 20:36:03 | 皇室・海人族・ユダヤ

<皇居 こうきょ>

 

皇室の歴史を遡っていきますと、

初代天皇である神武天皇を経て、

最終的には神話の神様にたどり着きます。

神様の子孫とされている方々が今も存在し、

実際にその姿を拝見できるという日本は、

海外の人からみれば信じられない国でしょう。

 

ちなみに皇居では、

365日休むことなく「ご神事」が執り行われ、

天皇陛下が国民の無事を祈られているそうです。

私たちが平和に暮らしている裏では、

私たちが平和に暮らせるよう、

取り計らってくれている人たちがいます。


当たり前の責務

2015-02-11 14:44:11 | 皇室・海人族・ユダヤ

<橿原神宮 かしはらじんぐう>

 

もともと紀元節と呼ばれていた建国記念の日は、

初代天皇である神武天皇が即位したとされる日です。

戦後の一時期、「紀元節を認めることで、

天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、

再び米国の脅威となるのではないか」

との理由で紀元節は廃止されましたが、

1966年に「建国記念の日」と名称を変更し、

国民の祝日として復活しました。

 

ちなみに2015年は、

神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)2675年にあたり、

今上天皇は神武天皇から数えて125代目の天皇です。

2000年以上もの長きに渡り、ひとつの家系を頂点とし、

「同じ国名」を継続している国は日本ただ一国のみ。

どんなにゆがんだ思想も、どんなに稚拙な屁理屈も、

日本が積み上げてきた歴史を否定する根拠にはなりません。

国の起源に思いを馳せ、国に対する意識を深めることは、

その国で生きる人間の当たり前の責務なのだと思いますよ。

 

【神武天皇即位紀元とは】

神武天皇が即位した年を元年(紀元)とする日本の紀年法。


お参りできる幸運

2015-02-10 22:32:02 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

伊勢神宮におみくじがない理由は、

「神宮にお参りできること自体が幸運」だからだそうです。

私たちはせっかく神社を訪れても、

あれこれとお願い事をするだけで、

そこにたどり着くまでの経緯は忘れているもの。

考えてみれば「お金」「時間」「健康」が揃ってこそ、

神社参拝が可能になるわけですから、

祈願云々の前にその事実を思い出す必要があるのでしょう。

 

どんなに神宮に行きたくても行けない人もいれば、

どんなに近くても行かない人がいるのが世の中です。

伊勢神宮などの神社を参拝したいと思い、

そして実際に参拝できる人というのは、

本当に幸運以外の何物でもありません。

神前に立ったらまずは、

無事その場所に来られた幸運に感謝し、

参拝できない人の分まで、

丁寧に手を合わせる気持ちが大切なのだと思います。


鎮守の「杜」

2015-02-09 01:31:00 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

たとえ神社の周りが人工林であったとしても、

多くの人の感謝の思いが投影されれば、

そこには立派な鎮守の「杜」が出現します。

皇居の杜がいつも神気で満ちているのも、

日々欠かさずご神事が執り行われているからです。 

伊勢神宮の山も一時期伐採が繰り返され、

はげ山同然の状態になっていたそうですが、

関係者の努力により今の豊かな自然を取り戻しました。

 

残念ながら都会には、鎮守の森だけでなく、

ご神木さえ持たない神社も目立ちます。

ただ、私たちの感謝の思いは、

神前にお供えする榊や水を通して、

周囲の自然へと投影され、

生活環境を整えるもの。

日本全国各地どこでも、

自然(神様)を敬う人の周りには、

神社と同等のパワースポットが出現するのですね。


和歌のおみくじ

2015-02-08 16:16:16 | 東日本・三陸の神社

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

明治神宮のおみくじは、

明治天皇および昭憲皇太后の和歌が

書かれている一風変わったおみくじです。

通常のおみくじのように吉凶の占いではなく、

和歌の内容を通し、ご神託を得るという体裁で、

もちろん「●●運」といった項目もありません。

 

初めて明治神宮のおみくじを引いたときは、

どう解釈していいのかわからず、

戸惑った思い出がありますが、

今では明治神宮を参拝するたびに、

おみくじをいただき、生活の指針にしております。

 

明治天皇の御歌のすばらしいところは、

「現代人の心に強く訴える」という点でして、

あえて解釈文を読まなくても、

大事な要点がスッと頭に入ってくるもの。

何度も読み返すことで、普通のおみくじとは、

また違った味わいがあることに気づくでしょう。


噂の真偽

2015-02-07 15:43:25 | 東日本・三陸の神社

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

数年前、明治神宮の御苑の中にある

清正井(きよまさのいど)が話題になりました。

何でも、ここの写真を待ち受け画面にすると、

運気が上がるという噂が広まり、

休日には数時間待ちの行列ができる(た)のだとか。

さすがに最近はブームも落ち着いたようですが、

それでも井戸に向かう思われる人たちが、

時折庭園内に入っていくのを見かけます。

 

明治神宮だけでなくどこの神社にも、

「パワースポット」と呼ばれる場所が存在します。

ただ、神社という「神様を遥拝するための場所」で、

祈願をしたりパワーをもらおうとしたりすれば、

せっかくのご神気を台無しにするだけです。

私たちはもっと賢く冷静になって、

噂の真偽を見極めるべきなのでしょう。


明治神宮の森

2015-02-06 22:21:22 | 東日本・三陸の神社

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

明治神宮の大きな特徴のひとつが、

「人工的に鎮守の森が作られた」という点です。

一般的に神社の社殿というのは、

神様の宿る「自然」や「森」を守り、

遥拝するための目印として建てられますが、

明治神宮の神域はもともと畑や草地や荒れ野で、

森らしい森があったのはほんの一部だったそう。

計画決定後は、入念に地質調査や樹木選定を行い、

「100年後の森の姿」を頭に描きつつ、

今の環境を作り上げたと聞きます。

 

また、一見平らな土地のように見える境内も、

実際に歩いてみると、参道の入り口から本殿までが、

ゆるやかな上り坂になっていることに気づきます。

大都会の真ん中にこれだけ広い緑地がある場所は、

全国的にも珍しいですし、

海外だけでなく地方から訪れた観光客も、

まずはその森の豊かさに驚くのだとか。

首都直下地震を始めとする災害が懸念される現在、

現実的な避難場所としても、

大きな役割を果たすのかもしれません。


特殊な神社

2015-02-05 21:25:35 | 東日本・三陸の神社

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

ひとくちに「神社」と申しましても、

創建の由来やご祭神の系統には様々な流れがございます。

伊勢内宮のように皇祖神(皇室の祖先)を祀る場所もあれば、

大神神社のように皇祖神とは一線を画すような場所もあり。

天満宮や東照宮は神霊ではなく人霊(人間の霊)をお祀りし、

稲荷神社、八幡神社、日吉神社、八坂神社、弁天社などには、

神仏習合(しんぶつしゅうごう)の名残が色濃く見られます。

* さらにそれぞれの中で細かく系統が分派します

 

その中でも大正9年に創建された明治神宮は、

創建の経緯や立地等を踏まえると少々特殊な場所です。

本来天皇の御霊は御陵にお祀りするのが通常ですが、

明治天皇(と昭憲皇太后)の崩御後、

「ぜひ神社を」という国民の熱い要望により、

代々木の地に明治神宮が創建されたのだとか。

また、明治神宮の近くには、乃木神社や東郷神社など、

日本の近代史に深く関わる人物を祀った神社が点在します。


大事な節目

2015-02-04 09:02:00 | 歴史・神話・旅・風景

<鶴岡八幡宮 つるがおかはちまんぐう>

 

節分や立春に行う伝統行事というのは、

基本的に「鬼」を払うためのものですが、

一説によると、鬼という存在自体が、

「陰から陽への転換」

を意味するのではないかといわれています。

 

日本人が季節の節目ごとに、

邪気(鬼)払いのイベントを行うのも、

鬼という仮想の敵を仕立て、

それを断ち切る所作をすることで、

運気の切り替えがよりスムーズになる、

という側面があるのでしょう。

 

私たちが慣れ親しんできた季節の行事には、

実は重要な秘儀がたくさん隠されています。

特に冬から春にかけてのこの季節は、

今後の運気に影響を与えるような、

大事な節目が目白押しです。

立春の日の今日、

過去の出来事はきれいに断ち切り、

新たな気持ちで一年を始めたいですね。


追儺の儀式

2015-02-03 15:25:52 | 歴史・神話・旅・風景

<氏神 うじがみ>

 

旧暦の大晦日に相当する節分は、

年の節目と季節の変わり目とが重なる特別な一日です。

一説によると本当の新年は、

節分の翌日(立春)から始まり、

人々の運気も節分を境に、

新たなサイクルに入るといわれています。

 

日本では古くから、

季節の変わり目には「鬼」が生じるとされ、

各地で様々な邪気払いの行事が執り行われてきました。

邪気払いの代表的な行事のひとつである豆まきは、

陰陽道の追儺(ついな)の儀式が原型にあるそうです。

追儺は「鬼やらい」とも呼ばれ、

古くは方相氏(ほうそうし)という役人が、

鬼を払うための掛け声をかけながら、

宮中の大内裏の中を走り回ったのだとか。

 

私たちの身近には、このような「陰陽道の思想」を

取り入れた日本の行事や神道の祭祀がたくさんあり、

「鬼」という存在とともに、

日本人の生活に深く入り込んでいます。

 


鬼の善悪

2015-02-02 16:27:47 | 歴史・神話・旅・風景

<福知山市・鬼の交流博物館>

 

一般的に「鬼」という字は「おに」と読みますが、

古くは「かみ」あるいは「もの」と読ぶこともあったそうです。

その理由は「鬼」という存在が、

ある人にとっては敵に、

ある人にとっては味方に、

またある人にとっては、

得体の知れない「もの」だったからなのだと。

つまり「鬼」という存在は、

その立場や視点により善悪が逆転するのですね。

 

京都北部の大江山周辺に伝わる言い伝えの中に、

「酒呑童子(しゅてんどうじ)」と呼ばれる鬼が登場します。

都の人々にとって、この酒呑童子は自分たちに危害を加え、

生活を脅かす悪の存在でしかありませんでした。

ただ、酒呑童子の側にすれば、

昔から住んでいた土地を奪い、

仲間たちを征伐した都人こそが悪人です。

 

鬼=悪という図式は、

強力な呪力と技術を持った渡来人が、

大和を制圧した時代にまで遡ることができます。

今なお「鬼」は、日本国土の隅々に影響を及ぼしているのでしょう。


狐と祟り神

2015-02-01 13:02:33 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<伏見稲荷大社 ふしみいなりたいしゃ>

 

稲荷神社と聞きますと、

「狐」の姿を思い浮かべる方も多いと思います。

ただ、狐はもともと神様の御用をする「眷属」でして、

お狐さんが人間の願いを叶るわけではありません。

よく「狐憑き」などという言葉があるように、

間違った稲荷信仰をし続けると、

まずは眷属の狐に取り憑かれ、

次第に運気を削がれるのだとか…。

 

また、稲荷神の別系列であるダキニ天は、

ヒンドゥー教のダーキニーに由来する真言密教の神で、

後に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と習合し、

寺院系の稲荷神社に多く祀られています。

ダキニ天は悪鬼とも祟り神とも称され、

本来の稲荷神とはかなり様相が異なるもの。

残念ながら今の日本人は、

狐にも祟り神にも、

お構いなしに祈願しているのが現状なのでしょう。