武承嗣・三思、營求爲太子。仁桀從容言於曌曰、太宗櫛風沐雨、親冒鋒鏑、以定天下、傳之子孫。太帝以二子托陛下。今乃欲移之他族。無乃非天意乎。姑姪與母子孰親。陛下立子、則千秋萬歳後、配食太廟。立姪、則未聞姪爲天子、而祔姑於廟者也。曌、稍悟。已而又力勸之。遂自房州召廬陵王還都、立爲皇太子、以子旦爲相王。仁桀最見信重、好面折廷爭、曌常屈從。稱爲國老、而不名。仁桀卒。曌泣歎。
武承嗣・三思、太子と為らんことを栄求(えいきゅう)す。仁傑、従容として曌(しょう)に言って曰く、「太宗、風に櫛(くしけず)り、雨に沐(ゆあみ)し、親(みず)から鋒鏑(ほうてき)を冒して以って天下を定め、之を子孫に伝う。太帝、二子を以って陛下に託せり。今乃ち之を他族に移さんと欲す。乃ち天意に非ざること無からんや。姑姪(こてつ)と母子と孰(いづ)れか親しき。陛下、子を立てば、則ち千秋万歳の後、太廟に配食せん。姪を立てば、則ち未だ姪(てつ)天子となって、姑(こ)を廟に祔(ふ)する者を聞かざるなり」と。曌、やや悟る。已にして又力(つと)めて之を勧む。遂に房州より廬陵王を召して都に還らしめ、立てて皇太子となし、子旦を以って相王(しょうおう)となす。仁傑最も信重(しんちょう)せられ、好んで面折廷争(めんせつていそう)す。曌常に屈従す。称して国老となして、名いわず。仁傑卒す。曌、泣いて歎ず。
栄求 栄達を求めること。 鋒鏑 ほこと矢じり。 姑姪 おばとおい。姪はめいと甥に共用する。 千秋万歳 千年万年。 配食 祭祀をうける。 祔 あわせ祀る。 面折廷争 面と向かって朝廷で諌める。
武后の甥の承嗣と三思が、皇太子の地位を求めて画策した。武后の気持ちが傾きかけたとき、仁傑は落ち着きはらって武后に言った。「太宗皇帝は風雨に身を曝し、自ら敵のほこと対峙し矢面に立って天下を平定して、これを子孫に伝えられました。また高宗皇帝は二人のお子を陛下に託されました。陛下はそれを他の族に移そうとなさっています。これは天意にそむくことに他ならないことでございます。甥ご様とお子様とどちらが縁が親いと思われますか、陛下がお子さまをお立てになれば、未来永劫太廟に合祀せられるでありましょう。甥が天子になっておばを廟に合祀した者があると聞いたことがありません」と申し上げた。武后もやや悟られた様子であった。その後もつとめて勧めたので遂に房州より廬陵王哲を都に召還して立てて皇太子とし、子の旦を相王とした。
狄仁傑は最も信頼篤く重用せられて、しばしば諌め論争したが、武后が屈することが常だった。そして名を呼ばず国老と呼んだ。仁傑が世を去るとき(700年)涙を流して悲しんだ。