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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略  董仲舒の対 4

2010-06-29 13:47:59 | 十八史略

又曰、春秋大一統者、天地之常經、古今之通誼也。今師異道、人異論。臣愚以爲、諸不在六藝之科、孔子之術者、皆絶其道、然後統紀可一、法度可明、而民知所從矣。上善其對、以爲江都相。

又曰く、春秋、一統を大にするは、天地の常経、古今の通誼(つうぎ)なり。今、師ごとに道を異にし、人ごとに論を異にす。臣愚、以為(おも)えらく、諸々の六芸(りくげい)の科、孔子の術に在らざる者は、皆其の道を絶ち、然る後に統紀一(いつ)にす可(べ)く、法度(ほうど)明らかにす可く、而して民、従う所を知らん、と。上(しょう)、其の対を善しとし、以って江都の相と為す。

また言うには、「春秋の書は、王が天下を統一することを示していますが、これは天地自然の変わりない道であり、古今を通じて変わらぬ道義であります。ところが今は、先生ごとにそれぞれ道を異にし、人ごとにそれぞれ論を異にしています。そこで愚かながら私が考えますに、六芸の科目、つまり孔子の学術でないものは、皆その道を根絶して、そこではじめて国家の規範もひとつになり、天下の法も明らかになって、そして人民も従うべき方向を知るであろうと、存じます」と。武帝はこの答えをよしとして、董仲舒を江都王の宰相にした。

春秋 孔子が魯の国の記録を書き残した。解説書に左氏、穀梁、公羊(くよう)の三伝がある。董仲舒は公羊伝に精通した。 常経 常の径(みち) 六芸 六経(りくけい)に同じ。易経・書経・詩経・春秋・礼経・楽経の六つ。江都 江蘇省にある地名。統紀 綱紀におなじ、国を治める根本原則。

十八史略 董仲舒の対 3

2010-06-26 11:52:01 | 十八史略
太學
又曰、養士莫大乎太學。太學者、賢士之所關也、教化之本原也。願興太學置明師、以養天下之士。又曰、郡守・縣令、民之師帥、所使承流而宣化也。宜使列侯・郡守、各擇其吏民之賢者、歳貢各三人。

又曰く、士を養うは太學(たいがく)より大は莫(な)し。太學は賢士の関(よ)る所なり、教化の本原なり。願わくは太學を興し明師を置いて、以って天下の士を養わん、と。
又曰く、郡守・縣令は、民の師帥(しすい)にして、流れを承け化を宣(の)べしむる所なり。宜(よろ)しく列侯・郡守をして各々其の吏民の賢なる者を択び、歳々各々三人を貢(こう)せしむべし、と。

董仲舒は又策問に対(こた)えて、「天下の士を養成するには太学より大切なものはありません。太学こそ賢士が由(よ)って輩出するところで、教化の本源であります。故にどうか太学を興し、すぐれた師を置いて天下の有能な士を養成なさるべきであります。」
又更に、「郡守、県令は民の師となり、長となるべきもので、上(しょう)の意を承(う)けて下に教化を宣布すべき重要な地位にあります。そこで諸侯、郡守たちに、それぞれの治下の役人、人民の中から優れた者を択び出して毎年三人ずつを都に送り込ませるよう定めるべきであります」と。

太学 官吏養成のための学校。 関 あずかる、よる、関与。 師帥 模範、手本。 貢 推薦すること

十八史略 董仲舒の対 2

2010-06-24 17:29:44 | 十八史略
今日、半夏生をみつけました。暦の半夏生は7月2日で夏至から11日目となっていますが、花の半夏生は葉っぱの1枚だけやっと白化粧していました。ところで暦の半夏生は半夏が生ずる季節で、半夏生はドクダミ科、半夏はサトイモ科でカラスビシャクとも言い漢方薬になるそうです。
十八史略董仲舒の続きです。
陛下行高而恩厚、知明而意美、愛民而好士。然而教化不立、萬民不正。譬琴瑟不調甚者、必解而更張之、乃可鼔也。爲政而不行甚者、必変而更化之、乃可理也。漢得天下以來、常欲治、而至今不可善治者、當更化而不更化也。

陛下、行い高くして恩厚く、智明らかにして意(い)美に、民を愛して士を好む。然而(しかる)に、教化立たず、萬民正しからず。譬(たと)えば、琴瑟の調わざること甚だしきものは、必ず解(と)いて之を更張(こうちょう)すれば、乃(すなわ)ち鼔(こ)すべきなり。政(まつりごと)を為して行われざること甚だしきものは、必ず変じて之を更化(こうか)すれば、乃ち理(おさ)む可きなり。漢、天下を得て以来、常に治を欲して、而(しか)も今に至るまで善(よ)く治む可からざるものは、当(まさ)に更化すべくして而も更化せざればなり、と。

陛下は徳行高く、恩沢厚く、英知明らかに、心意うるわしくあられる上、民を愛し、士を好まれます。でありながら教化が行われず、万民が正しいとはいえません。たとえばひどく琴の調子が合わなければ、必ず絃をほどいて張り替えます。そこではじめて、弾くことができます。政が甚だしく行われなければ、一度変えてしまい、改めて教化し直しますと、はじめてよく治めることができます。
漢が天下を得て以来、常に国家が善く治まるようにつとめて、しかも今に至るまで治めることができないのは、当然改めるべきところを、改めなかったからにほかなりません」と申し上げた。

然而 然り而してと訓じて順接に使う場合が多いが、この場合は逆接なのでこのように訓じた。 鼔 鼓はつづみ、鼔(こ)は動詞で音を奏でること。
更張 張り替えること。 更化 改め変えること。

十八史略 董仲舒の対

2010-06-22 17:56:07 | 十八史略
又曰、人君者、正心以正朝廷、正朝廷以正百官、正百官以正萬民、正萬民以正四方。正四方、遠近莫不一於正、而無邪奸其。是以陰陽調、風雨時、羣生和、萬民殖、諸福之物、可致之、莫不畢至、而王道終矣。

又曰く、人君(じんくん)は、心を正しうして以って朝廷を正しうし、朝廷を正しうして以って百官を正しうし、百官を正しうして以って万民を正しうし、万民を正しうして以って四方を正しうす。四方正しければ、遠近、正(せい)に一(いつ)ならざる莫(な)く、而(しか)して邪気の其の間に奸する無し。是(ここ)を以って、陰陽調い、風雨時あり、群生和し、万民殖し、諸福の物、致す可きの祥、畢(ことごと)く至らざる莫(な)く、而(しか)して王道終る。

また言う「人に君たる者は、まずみずから心を正しくして、それによって朝廷の重臣の心を正しくし、朝廷の重臣の心を正しくしてそれによって、天下の百官の心を正しくし、百官の心を正しくして、それによって万民の心を正くし、それによって四方の夷狄(いてき)を正しくすることができるのであります。夷狄まで正しくなりますと、遠近を問わず正道に一致しないものはなく、それゆえ邪気が侵入する余地が無くなります。そこで陰陽がよく調和し、風雨もその時々に生じ、すべての生物は相和らぎ、万民も増え栄えて、多くの福を招き寄せる瑞祥がことごとく集まってまいります。かくて王道が完全に実現するのであります。 つづく

極諫 主君に対して意見する人。 策問 策は竹の札、官吏登用試験に試問すること。 董仲舒 前漢の儒官。 対 答えること。 邪気 天候不順や天変地異。 奸する 侵し入ること。

十八史略  始めて改元して建元という

2010-06-19 08:05:52 | 十八史略
孝武皇帝、名徹。即位之元年、始改元曰建元。年有號始此。
擧賢良・方正・直言・極諫之士、親策問之。廣川董仲舒對曰、事在強勉而已矣。強勉學問、則聞見博、而智明。強勉行道、則日起、而大有功。

孝武皇帝、名は徹。即位の元年、始めて改元して建元という。年に号あるは此(ここ)に始まる。
賢良・方正・直言・極諫(きょくかん)の士を挙げ、親(みづか)ら之を策問す。広川の董仲舒(とうちゅうじょ)の対(たい)に曰く、事は強勉に在るのみ。強勉して学問すれば、則(すなは)ち聞見博(ひろ)くして、智益々明らかなり。強勉して道を行えば、則ち徳日に起こって、大いに功有り、と。

孝武皇帝、名は徹という。即位の元年、始めて年号を改めて建元と称した。年号はここに始まった。
武帝は賢良・方正・直言・極諫の四科を設け、すぐれた人物を挙げ、帝自ら試問をおこなった。広川(河北省)の董仲舒の答案にこうあった。「何事も、努め励むことが第一であります。努め励んで学問すれば、見聞が広くなり、智慧が益々明らかになります。また勉強して人の人たる道を行えば、徳が日に日に盛んになって、たいそう世に功績をあげます」と。