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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宗八家文 柳宗元 (八)小石城山記

2015-02-28 10:00:00 | 唐宋八家文
自西山道口徑北、踰黄茅嶺而下、有二道。其一西出。尋之無所得。其一少而東。不過四十丈、土斷而川分。有積石、横當其垠。其上爲睥睨梁欐之形。其旁出堡塢、有若門焉。窺之正。投以小石、洞然有水聲。其響之激越、良久乃已。環之可上。望甚遠。無土壤而生嘉樹美箭。奇而堅。其疏數偃仰、類智者所施設也。
 噫、吾疑造物者之有無久矣。及是愈以爲誠有。又怪其不爲之中州、而列是夷狄、更千百年不得一售其伎。是固勞而無用。神者儻不宜如是、則其果無乎。或曰、以慰夫賢而辱於此者。或曰、其氣之靈、不爲偉人而獨爲是物。故楚之南少人而多石。是二者、余未信之。

小石城山の記
西山の道口より北に径(みち)し、黄茅嶺(こうぼうれい)を踰(こ)えて下れば、二道有り。その一は西に出ず。これを尋ぬるに得る所無し。その一は少しく北して東す。四十丈に過ぎず、土断(た)えて川分かる。積石有り、横たわりてその垠(きし)に当たれり。その上は睥睨梁欐(へいげいりょうれい)の形を為す。その旁(かたわら)は堡塢(ほお)を出だし、門の若くなるもの有り。これを窺えば正に黒し。投ずるに小石を以ってすれば、洞然(どうぜん)として水声有り。その響きの激越なること、良(やや)久しくして乃ち已(や)む。これを環(めぐ)りて上るべし。望(なが)め甚だ遠し。土壌無くして嘉樹美箭(かじゅびせん)を生ず。益々奇にして堅し。その疏数偃仰(そさくえんぎょう)は智者の施設する所に類せり。
噫、吾造物者の有無を疑うこと久し。是(ここ)に及んで愈々以って誠に有りと為すまたそのこれを中州に為(つく)らずして、是の夷狄に列し、千百年を更(へ)て一たびもその伎(ぎ)を售(う)るを得ざりしを怪しむ。是れ固(まこと)に労して用無きなり。神なるもの儻(も)し宜しく是(かく)の如くなるべからずんば、則ちそれ果たして無きか。或る人曰く「以って夫(か)の賢にして此に辱しめらるる者を慰む」と。或る人曰く「その気の霊、偉人と為らずして独り是(こ)の物と為る。故に楚の南には人少なくして石多し」と。是の二者、余未だこれを信ぜず。


睥睨梁欐 睥睨は城の低い垣。 堡塢 砦の土塁。 洞然 穴の中から聞えてくる音。 疏数偃仰 疏数は粗雑と密接、偃仰は俯仰。 中州 中国の中央部。 伎を售る 技を売る。 儻し もし。 

 西山への入り口から北に道を辿って黄茅嶺を越えて下ると、道は二筋に分かれる。その一つは西に向かう。これを辿ってみると見るべきものが無かった。その一方は少し北に行って東に曲がる。四十丈も至らずに地面が切れて川が遮っていた。積み重なった石が横たわって川岸に沿い、その上は城の土塀か家のはりのように盛り上がっている。その傍に砦の土塁のように突き出たところがあり、門のような所もある。覗いて見ると真っ暗だ。小石を投げてみると、どぼんと水音がする。その音は激しく響き、しばらくして止んだ。この石城は廻り込んで登ることができる。そこからは遥か遠くまで眺望がきく。土が無いのに立派な樹や美しい竹が生えている。そのため益々珍しくしっかりした姿に見える。それらはまばらであったり密であったり、上を向いたり下を向いたり、さながら智慧ある人が配置したようである。
 ああ、私は久しく造物者の存在を疑っていた。しかし今この石城の奇勝を見て、造物者が居ると思うようになった。しかし一方ではこの名勝を都近くにつくらず、この辺境の地に出現させ、千年百年を経ても一度もその技を売り示すことができなかったことを不思議に思った。これでは苦労しても何の役に立たない。神妙な力を持つものがこんな無駄をするべからざるとすれば、やはり造物者は居ないのだろうか。
ある人が言った「この絶景は、賢くしてこの地に流され辱しめられている人を慰めるためだ」さた或る人は「この地の霊妙な気が、偉大な人物となって現れずに、この山水の美となって表れたのだ。だから楚の南には優れた人が少なくて名石が多いのだ」と。この二つの説を私はまだ信じない。


以上で柳宗元を終了します。韓愈と柳宗元が唐の人、他の六家は宋時代となり、およそ二百年の空白があります。

十八史略 正を以って自ら終る能わざりき

2015-02-26 10:00:00 | 十八史略
毎有大禮、旦輒以首相奉天書以行。常悒悒不樂。欲去則上遇之厚。乃薨于位、遺令削髪披緇以斂。議者謂、旦得君而不能以正自終。或比之馮道云。張詠嘗言、吾榜中得人最多。謹重有望。無如李文、深沉才、鎭服天下、無如王公、面折廷爭、素有風采、無如冦公。當方面之寄、則詠不敢辭。

大礼有る毎に旦、輒(すなわち)首相なるを以って天書を奉じて以って行く。常に悒悒(ゆうゆう)として楽しまず。去らんと欲すれば則ち上(しょう)之を遇すること厚し。位に薨(こう)ずるに及んで、遺令すらく「髪を削り緇(し)を披(き)せて以って斂(れん)せよ」と。議者謂う「旦、君を得たれども、正を以って自ら終る能わざりき」と。或いは之を馮道に比すと云う。張詠嘗て言う「吾が榜中人を得ること最も多し。謹重にして徳望有るは、李文靖に如(し)くは無く、深沉(しんちん)才徳有って、天下を鎮(しづ)め服するは、王公に如くは無く、面折廷争して、素(もと)より風采あるは、冦公に如くは無し。方面の寄に当っては、則ち詠、敢て辞せず」と。

大礼、 重大な儀式。 首相 宰相の首席。 天書 王欽若が偽って天より降ったとした紙。 悒悒 憂うるさま。 薨 貴人の死。緇 墨染の衣。斂 納棺。 議者 評論家。 馮道 後唐・後晋・後漢・後周の各朝で宰相となったが節操が無いと評された。 榜 進士及第者の掲示板。 深沉 深沈。 寄 寄託。

国家の重大な儀式のある毎に、王旦は宰相の首席であるということで天書なるものを奉じなければならず、いつも憂欝で官職を辞めようと思うと、帝が益々王旦を厚遇した。宰相の座にあるままに死を迎え遺言して「髪を剃って墨染めを着せて葬るように」と命じた。ある評論家は「王旦は君主の信任を得たけれど、正道を主張して自らを全うすることができなかった」と言った。また或る人は王旦を馮道になぞらえた。張詠が嘗て「私と同期の進士及第者の中には立派な人物が多いが、謹厳重厚で徳が高く人望のある点で李文靖に及ぶ者は無く、沈着で才能と人徳があり、天下を鎮め服すことができるのは王旦に及ぶ者は無い。君主の面前で過ちを糾し朝廷でも堂々と諌め争うことができる点で冦準に及ぶ者は居ない。もし、一方面を鎮撫せよとの寄託を受けたなら、自分とて敢て辞退はしない。

唐宗八家文 柳宗元 (七)石澗記

2015-02-24 12:40:23 | 唐宋八家文
石渠之事既窮。上由橋西北、下土山之陰、民又橋焉。其水之大、倍石渠三之。亘石爲底、達于兩涯。若床若堂、若陳筵席、若限閫奥。水平布其上、流若織文、響若操琴。掲跣而往、折竹掃陳葉、排腐木。可羅胡床十八九居之。交絡之流、觸激之音、皆在床下。翠羽之木、龍鱗之石、均蔭其上。
 古之人、其有樂乎此耶。後之來者、有能追余之踐履耶。得意之日、與石渠同。由渇而來者、先石渠後石澗、由百家瀬上而來者、先石澗後石渠。澗之可窮者、皆出石城村東南。其可樂者數焉。其上深山幽林逾峭險、道狭不可窮也。

(七)石澗の記
石渠の事既に窮まる。橋の西北より上りて土山(どざん)の陰(きた)に下れば、民また橋す。その水の大いさ、石渠を倍してこれを三にす。亘石(こうせき)を底と為し、両涯に達す。床(しょう)の若(ごと)く、堂の若く、筵席(えんせき)を陳(の)ぶるが若く、閫奥(こんおう)を限るが若し。水その上に平布(へいふ)し、流れは文(あや)を織るが若く、響きは琴を操るが若し。掲跣(けいせん)して往き、竹を折り陳葉(ちんよう)を掃(はら)い、腐木(ふぼく)を排す。胡床(こしょう)十八九を羅(つら)ねてこれに居(お)くべし。交絡(こうらく)の流れ、触激(しょくげき)の音、皆床下に在り。翠羽の木、龍鱗(りゅうりん)の石、均(ひとし)くその上を蔭(おお)う。
 古の人それ此(ここ)に楽しむ有るか。後の来る者、能く予の践履(せんり)を追うこと有るか。意を得るの日、石渠と同じ。渇よりして来たるもの、石渠を先にし、石澗を後にす。澗の窮むべきもの、皆石城村の東南に出ず。その間楽しむべきもの数あり。その上は深山幽林逾々(いよいよ)峭険(しょうけん)、道狭くして窮むべからざるなり。


窮まる 述べ尽した。 亘石 一枚岩。 両涯 両岸。 筵席 敷物。 閫奥 敷居で区切られた奥の座敷。 掲跣 裾をまくり、はだしになる。 陳葉 古い落ち葉。 胡床 床机。 交絡 交わり絡み合う。 触激 水が石に激しく当たる。 翠羽 かわせみの羽根。 践履  歩くこと。 峭険 ともにけわしい意。

 石渠の事は既に述べ尽した。その石渠の橋の西北よりのぼって土山の北側にくだると、住民がまた橋を架けている。その流れの多さは石渠の三倍ほどである。一枚岩を底にして両岸に届いている。腰かけの様であり、座敷のようであり、むしろを敷いたようであり、敷居で区切られた座敷のようである。水は石の上を平らに流れ、綾を織るように、水音は琴を奏でるようである。裾をからげてはだしで渡り、竹を折り落ち葉を掃き、朽木を除いた。椅子を十八九ほど並べて置ける。交わり絡み合う流れ、激しくぶつかり合う水音、皆その椅子の下にある。カワセミの羽根色の木、龍の鱗のような石が平らに上を覆っている。
 昔の人で此処で楽しんだ人が居ただろうか。後の人で私の足跡をたどる人が居るだろうか。ここを見つけて喜んだのは石渠の日と同じである。袁家渇からここに来る場合は石渠を先に見て石澗を後に見ることになる。百家瀬の上から来る場合は、石澗を先に見、石渠を後に見る石澗の見るべきものは皆石城村の東南に現れる。これらの間にも楽しむべきものが数々ある。ただその上は深い山や林がますます険しくなり、道も狭くなって入って行くことができない。

十八史略 李の予見

2015-02-21 10:00:00 | 十八史略
上、在位二十六年。自元年呂端罷後、張齊賢・李・呂蒙正・向敏中・畢土安・冦準・王旦相繼爲相。惟旦居位十一年。當李爲相時、旦甫參政。喜讀論語。嘗曰、爲宰相、如論語中節用而愛人、使民以時兩句、尚不能行。聖人之言、終身誦之可也。日取四方水旱・盗賊奏之。旦謂、細事、不足煩上聽。曰、人主少年、當使知人疾苦。不然、血氣方剛、不留意聲色・犬馬、則土木・甲兵・禱祠之事作矣。吾老、不及見。此參政他日之憂也。及大中符、封禪・祠祀・土木竝興。旦乃歎曰、李文眞聖人也。

上、在位二十六年。元年、呂端(りょたん)罷められてより後、張齊賢・李(りこう)・呂蒙正(りょもうせい)・向敏中(しょうびんちゅう)・畢士安(ひつしあん)・冦準・王旦相継いで相と為る。惟(ひと)り旦、位に居ること十一年。李の相たりし時に当って旦、甫(はじめ)て参政たり。、喜んで論語を読む。嘗て曰く「宰相と為って論語中の『用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす』の両句の如き、尚行う能わず。聖人の言は、終身之を誦して可なり」と。、日々に四方の水旱・盗賊を取って之を奏す。旦曰く「細事なり、上(しょう)聴を煩わすに足らず」と。曰く「人主少年なり、当(まさ)に人間(じんかん)の疾苦を知らしむべし。然らざれば血気方(まさ)に剛なり、意を声色・犬馬に留めずんば、則ち土木・甲兵・禱祠(とうし)の事作(おこ)らん。吾老いたり、見るに及ばじ。此れ参政他日の憂いならん」と。大中祥符に及んで、封禪・祠祀(しし)・土木竝(なら)び興る。旦、乃ち歎じて曰く「李文靖は真の聖人なり」と。

李 字は太初、文靖と諡された。 参政 参知政事、副宰相。 用を節して 費用を節約する。 民を使うに時を以ってす 人民を賦役に使うときは耕作の妨げにならぬようにする。 人主 君主。 人間 世間。 声色 音楽と女色。 犬馬 狩猟用の犬馬。 祷祠 神仏にいのりまつること。

真帝の在位は二十六年であった。即位の元年に呂端が罷免されて後、張齊賢・李・呂蒙正・向敏中・畢士安・冦準・王旦と相継いで宰相となった。ただ王旦だけは十一年の間宰相の位にあった。李が宰相であった時、王旦は参知政事をしていた。李は好んで論語を読んでいたが、ある時、「自分は宰相になって、論語の中の『用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす』という二句ですら実行することが難しい。聖人の言葉は生涯にわたって玩味するのがよいな」と言った。李は日々各方面の洪水、旱魃、盗賊の報告を逐一奏上した。王旦が「このように細事を奏上して陛下のお耳を煩わすには及ばないでしょう」と言うと、「いや君主は何分にも年少であらせられるから、世の苦しみをお知らせするべきである。そうでないと血気盛んになった時、音楽とか女色、狩猟犬や良馬とかに心を奪われるか、あるいは土木、戦争、祈祷など無用の事が起るであろう。わしはもう老年で、見届けることができないが、参政のそなたにとって後日憂いの種にならないか気がかりである」と言った。果たして大中祥符になると、封禅・祠祀・土木と一斉に始まった。王旦は歎息して「李文靖公はまことの聖人であった」と言った。

唐宗八家文 柳宗元 (六) 石渠記

2015-02-19 10:00:00 | 唐宋八家文
自渇西南行不能百歩、得石渠。民橋其上。有泉幽幽然。其鳴乍大乍細。渠之廣或咫尺、或倍尺、其長可十許歩。其流抵大石、伏出其下。
踰石而往、有石泓。昌蒲被之、鮮環周。又折西行、旁陥巖石下、北堕小潭。潭幅員減百尺、深多鯈魚。又北曲行紆餘、睨若無窮。然卒入于渇。其側皆詭石怪木、奇卉美箭、可列坐而庥焉。風搖其巓、韻動崖谷。視之既靜、其廳始遠。
 予從州牧得之。攬去翳朽、決疏土石。既崇而焚、既釃而盈。惜其未始有傳焉者。故累記其所屬、遣之其人。書之其陽、俾後好事者求之得以易。元和七年正月八日、蠲渠至大石。十月十九日、踰石得石泓小潭。渠之美、於是始窮也。

 渇より西南に行くこと百歩を能わずして石渠を得たり。民その上に橋す。泉(せん)有りて幽幽然たり。その鳴るは乍(たちま)ち大きく乍ち細し。渠の広さ或いは咫尺(しせき)、或いは倍尺(ばいせき)、その長さ十許歩なり。その流れ大石に抵(あた)り、伏(ふく)してそのその下に出ず。
 石を踰(こ)えて往けば、石泓(せきこう)有り。昌蒲これを被(おお)い、青鮮環周(かんしゅう)す。また折れて西行し、旁(かたわら)は巌石の下に陥(おちい)り、北のかた小潭に墜(お)つ。潭の幅員百歩に減じ、清深にして鯈魚(ゆうぎょ)多し。また北に曲行紆余(きょっこううよ)し、睨(うかが)いみるに窮まり無きが若し。然れども卒(つい)に渇に入る。その側(かたわら)皆詭石怪木(きせきかいぼく)、奇卉美箭(ききびせん)、列坐して庥(いこ)うべし。風その巓(いただき)を揺るがせば、韻(ひびき)は崖谷(がいこく)を動かす。これを視るに既に静かにして、その聴(てい)始めて遠し。
 予、州牧よりこれを得たり。翳朽(えいきゅう)を攬(と)り去り、土石を決疏(けっそ)す。既に崇(あつ)めて焚き、既に釃(わか)ちて盈(みた)す。その未だ始めより伝うるもの有らざるを惜しむ。故にその属(み)る所を累記して、これをその人に遣(おく)りこれをその陽に書せしめ、後の事を好む者をしてこれを求むるに以って易(やす)きを得しむ。元和七年正月八日、渠を蠲(きよ)めて大石に至る。十月十九日、石を踰(こ)えて石泓(せきこう)小潭を得たり。渠の美、是に於いて始めて窮まるなり。


石渠 石のみぞ。 幽幽然 奥深いさま。 咫尺 一尺。 十許歩 十歩ばかり、一歩は五尺1・5米強。 石泓 岩上の水たまり。 鯈魚 はや。 詭石 奇石。 奇卉美箭 珍しい草花と美しいしの竹。 聴 音。 州牧 州の長官。 翳朽 立ち枯れ。 決疏 決はえぐり取る、疎は水を通す。 釃 分ける。 属 (瞩)見る。 陽 北側。 蠲 蠲除、除き去る。

 袁家渇より西南に百歩(約155米)も行かないうちに石の掘割りを見つけた。住民がその上に橋を架けてある。泉が有って奥深い趣きに富んでいる。水音は大きくなったと思うと忽ち細くなる。堀の広さは一尺あるいは二尺、その長さは十歩ばかりである。その流れが大石に遮られ伏流して石の下から流れ出る。石を越えて行くと岩の上に水たまりがある。菖蒲がこれを被い、青く鮮やかに取り巻いている。さらに折れて西に流れ、一方は岩の下に落ち、北のほうは小潭に落ち込んでいる。潭の幅は百歩にせばまり、清らかで深くたくさんのはやが泳いでいる。また北に曲がりくねって、眺めると果てしないように見える。しかし終いには袁家渇に至るのである。その岸辺は皆奇石や怪木、珍しい花や美しい竹が並び休息することができる。風が梢を揺るがせばその響きが崖や谷を動かすように思える。見る間にもう静かになっており、その音も既に遠くなっている。
 私は詠州の長官からこの地を与えられた。立ち枯れた木を除き、土石を掘って水を通した。枯れ木を焚いて、流れを分けて水を満たすと、この美しさが知られていないのを残念に思い、見たことを書き連ねて、人々に遺し、これを流れの北側に書かせて、後の好事家に尋ね易くさせた。元和七年正月八日、渠を掃除して大石に至り、十月十九日に石を越えて岩の水たまりと小さな潭を見つけた。石渠の美はここに始めて窮めたのである。