寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宋八家文 韓愈 伯夷頌

2014-02-06 16:30:04 | 唐宋八家文
伯夷頌
士之特立獨行、適於義而已、不顧人之是非、皆豪傑の士、信道篤而自知明者也。一家非之、力行而不惑者寡矣。至於一國一州非之、力行而不惑者、蓋天下一人而已。若至於擧世非之、力行而不惑者、則千百年乃一人而已耳。
若伯夷者、窮天地亘萬世、而不顧者也。昭乎日月不足爲明。崒乎泰山不足爲高。巍乎天地不足爲容也。當殷之亡周之興、微子賢也。抱祭器而去之。武王・周公聖也。從天下之賢士與天下之諸侯、而往攻之。未嘗聞有非之者也。彼伯夷・叔齊者、乃獨以爲不可。殷既滅矣、天下宗周。彼二子乃獨恥食其粟、餓死而不顧。繇是而言、夫豈有求而爲哉。信道篤而自知明也。
今世之所謂士者、一凡人擧之、則自以爲有餘、一凡人沮之、則自以爲不足。彼獨非聖人、而自是如此。夫聖人乃萬世之標準也。余故曰、若伯夷者、特立獨行、窮天地亘萬世、而不顧者也。雖然微二子、亂臣賊子、接跡於後世矣。

士の特立独行、義に敵(かな)うのみにして、人の是非を顧みざるは、皆豪傑の士、道を信ずること篤くして、自ら知ること明らかなる者なり。
一家これを非とするに、力行して惑わざる者は寡(すくな)し。一国一州これを非とするに、力行して惑わざる者に至っては、蓋(けだ)し天下に一人のみ。若(も)し世を挙げてこれを非とするに、力行して惑わざる者に至っては、則ち千百年にして乃(すなわ)ち一人なるのみ。
伯夷の若(ごと)き者は、天地を窮め、万世に亘って、顧みざる者なり。昭乎(しょうこ)たる日月も明るしと為すに足らず。崒乎(しゅっこ)たる泰山も高しと為すに足らず。巍乎(ぎこ)たる天地も容るると為すに足らざるなり。
殷の亡び周の興るに当って、微子賢なり。祭器を抱いてこれを去る。武王・周公は聖なり。天下の賢士と天下の諸侯を従えて、往きてこれを攻む。未だ嘗てこれを非とする者有るを聞かざるなり。
彼(か)の伯夷・叔斉は、乃ち独り以って不可と為す。殷既に滅びて、天下周を宗(そう)とす。彼の二子は独りその粟(ぞく)を食らうを恥じ、餓死して顧みず。是に繇(よ)って言えば、夫(そ)れ豈(あに)求むること有って為さんや。道を信ずること篤くして、自ら知ること明らかなるなり。
今、世のいわゆる士は、一凡人これを誉むれば、則ち自ら以って余り有りと為し、一凡人これを沮(はば)めば、則ち自ら以って足らずと為す。
彼独り聖人を非として、自ら是とすること此の如し。夫れ聖人は乃ち万世の標準なり。余故に曰く「伯夷の若(ごと)き者は、特立独行、天地を窮め、万世に亘って、顧みざる者なり」と。
然りと雖も二子微(な)かりせば、乱臣賊子、跡を後世に接せん。


特立独行 衆に抜きんでて立ち、自分の信じることを行うこと。 豪傑 才知優れた人。 崒乎 山の高く険しいさま。 巍乎 高大なさま。 微子 紂王の諸兄微子敬のこと、しばしば紂王を諌めたが聞き入れられず亡命した。武王 周建国の王。 周公 武王の弟、旦。 粟 穀物。 繇(ゆう) 由に通じて、よって。 標準 あるべき形。接 続く。

世に抜きんでて信じるところを貫こうとするとき、義に適うことのみ考えて他人の評価などを顧慮しない人は、皆才知優れた立派な人物で、道理を深く信じて自身をはっきり知っている人である。
家中の人から非難されても、力を尽して邁進し、迷わない人は少ない。国中の人が非難しても力を尽して信じることを貫く人となると、おそらく天下にただ一人であろう。もし世の中全ての人が非としても、力を尽して行い迷うことのない者となると、百年、千年待ってようやく一人出るだけであろう。
伯夷と叔斉の如き人物は、天地の間、万世の永きにわたってみてもたずねあたらぬ人物である。輝く日月の光も及ばず、高々と聳える泰山も、高大な天地も伯夷の偉大な器量を容れるには足らないのである。
殷が亡び周王朝が興るにあたって、殷の賢人微子敬は宗廟の祭器を持ち出して亡命した。武王と周公は共に聖人であった。天下の賢人と諸侯を糾合して殷を攻めた。これを悪い事だと批判した人が居たとは聞かないのである。ところがあの伯夷と叔斉だけが、良くないことだと思い、死を賭して武王を諌めた。すでに天下は周を君主とした。二人は周の穀物を食うことを潔しとせず、餓死してもよしとした。是によって言うなら、名利か何かを求めてしたことではなく、道理の正しさを信じ自分自身を良く知っていたからである。
今の世の中で人物といわれる人は、ある人から誉められると、誉めすぎだと自身を戒め、ある人が貶すと、自分でも反省する。ところが伯夷独りは武王を非とし、自分は間違っていないと言って譲らないのである。聖人たる武王は永遠に人々の規範である。だから私韓愈は「伯夷のような人は、世俗に抜きんでて立ち、信ずるところに従って道を行くので、天地を窮め、万世を見渡してもたずねあたらぬ人物である」といったのである。
とは言えもし伯夷と叔斉が居なかったら、国を乱す臣、反逆の輩がぞろぞろと続けて出て来たことであろう。


制作年不詳。伯夷と叔斉の烈しい生き方に共感を寄せる韓愈は「特立独行」という言葉でとらえ、信ずるところの義を貫徹するために、死を賭けた二人を称揚したのである。韓愈自信も「仏骨を論ずる表」によりあやうく死罪になりかけた経験を有する。


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1 コメント

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Unknown (A.K)
2021-01-24 06:09:27
すみませんがこちらのツィートの訳文として引用させて頂きました。ありがとうございました。https://twitter.com/Nanshu_ikun/status/1353078713592635395?s=19
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