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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 一抔の土未だ乾かず、六尺之孤安くにか在る

2012-12-22 11:46:09 | 十八史略
駱賓王の檄文
在高宗之世、后自殺子弘廢子賢。高宗既崩、子哲即位。廢爲廬陵王、而立子旦。后臨朝稱制、立武氏七廟。英公李敬業起兵討之。檄曰、一抔之土未乾、六尺之孤安在。又曰、試觀今日之域中。竟是誰家之天下。太后遣將撃殺之。越王貞又擧兵匡復、不克而死。太后遂大殺唐宗室、自名曌、稱皇帝、國號周、以旦爲皇嗣、改姓武。時曌年六十七矣。

高宗の世に在って、后自ら子弘を殺し、子賢を廃す。高宗既に崩じ、子哲位に即く。廃して廬陵王と為し、而して子旦を立つ。后、朝に臨んで制を称し、武氏の七廟を立つ。英公李敬業、兵を起して之を討つ。檄に曰く「一抔(いっぽう)の土未だ乾かず、六尺(りくせき)の孤安(いづ)くにか在る」と。又曰く、「試みに今日の域中を観よ。竟(つい)に是れ誰が家の天下ぞ」と。太后、将を遣わして撃って之を殺す。越王貞、又兵を挙げて匡復せんとし、克たずして死す。太后遂に大いに唐の宗室を殺し、自ら曌(しょう)と名づけ、皇帝と称し、国を周と号し、旦を以って皇嗣となし、姓を武と改めしむ。時に曌、年六十七なり。

制を称し 天子に代って詔勅を出すこと。 七廟 天子のみに行われた先祖の祀り。 李敬業 李勣の孫、元の徐姓に直され、徐敬業とした。檄 出兵の召し文、駱賓王が起草した。 一抔の土 一すくいの土、高宗の陵墓の土。 六尺の孤 高宗の遺児、尺は二歳半。 匡復 不正をただす。

高宗の在世中に武后は自分の手で我が子の、弘を殺し賢を廃嫡して後に殺した。高宗が崩じて、次に哲を位に即けるとすぐさま廃して廬陵王に追いやって子の旦を即位させた。また武氏の廟を天子と同じ七廟にした。
李勣の孫の英公李敬業が武后討伐の兵を挙げた。駱賓王が書いた檄文には「陵墓の土が乾ききらない今、先帝の遺児は何処に行ったのか」また「この国のありさまをよく見よ、はたして誰の天下であるか」とあった。皇太后となった武后は将を派遣して敬業を攻め殺した。越王の貞がまた挙兵し、武后の過ちを正そうとしたが、勝たずに死んだ。武后はここで唐の一族のほとんどを殺し、自らを曌と名づけ、皇帝と称し、国号を周に変え、旦を皇帝の世嗣とし、武姓に改めさせた。時に曌六十七歳であった。


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