無辜なるも尚不可なり況や皇曾孫をや
孝宣皇帝初名病已。後改名詢。武帝之曾孫也。初戻太子據、納史良娣、生史皇孫進。進生病已。數月遭巫蠱事、皆繋獄。望氣者言。長安獄中、有天子氣。武帝遣使、令盡殺獄中人。丙吉時治獄。拒不納。曰、侘人無辜尚不可。況皇曾孫乎。使者還報。武帝曰、天也。
孝宣皇帝、初め名は病已(へいい)。後名を詢(じゅん)と改む。武帝の曾孫(そうそん)なり。初め戻太子拠(きょ)、史良娣(りょうてい)を納れ、史皇孫進を生む。進、病已を生む。数月にして巫蠱(ふこ)の事に遭い、皆獄に繋がる。気を望む者言う、「長安の獄中に、天子の気有り」と。武帝、使を遣わして、尽く獄中の人を殺さしむ。丙吉、時に獄を治む。拒んで納れず。曰く、「侘人(たにん)の無辜(むこ)なるも尚不可なり。況(いわん)や皇曾孫をや」と。使者還り報ず。武帝曰く、「天なり」と。
孝宣皇帝、もとの名は病已、後に詢と改めた。武帝のひ孫である。かつて武帝の太子であった戻太子拠が史氏のむすめを良娣として納れて、皇孫史進を生ませた。その子が病已である。病已の生後数ヶ月に巫蠱の事件に出遭い、連坐して係累すべて牢獄に繋がれた。
雲気を眺めて吉凶を占う者が、「長安の獄中に天子の雲気が見えます」と言った。武帝は使者を遣わして、獄中の者をことごとく殺させようとした。この時丙吉という者が牢獄を取り締まっていたが、使者を拒んで聞き入れず、「たとい誰であろうと、無実の人を殺すことはできません。まして帝の曾孫などもってのほかです」と言った。使者が還ってこの事を告げると武帝は「天命というべきか」と言っただけであった。
良娣 女官の官名、太子妃に次ぐ側室。 戻太子 宣帝が即位後に贈った諡(おくりな)
侘人 他人に同じ。 無辜 辜は罪。
孝宣皇帝初名病已。後改名詢。武帝之曾孫也。初戻太子據、納史良娣、生史皇孫進。進生病已。數月遭巫蠱事、皆繋獄。望氣者言。長安獄中、有天子氣。武帝遣使、令盡殺獄中人。丙吉時治獄。拒不納。曰、侘人無辜尚不可。況皇曾孫乎。使者還報。武帝曰、天也。
孝宣皇帝、初め名は病已(へいい)。後名を詢(じゅん)と改む。武帝の曾孫(そうそん)なり。初め戻太子拠(きょ)、史良娣(りょうてい)を納れ、史皇孫進を生む。進、病已を生む。数月にして巫蠱(ふこ)の事に遭い、皆獄に繋がる。気を望む者言う、「長安の獄中に、天子の気有り」と。武帝、使を遣わして、尽く獄中の人を殺さしむ。丙吉、時に獄を治む。拒んで納れず。曰く、「侘人(たにん)の無辜(むこ)なるも尚不可なり。況(いわん)や皇曾孫をや」と。使者還り報ず。武帝曰く、「天なり」と。
孝宣皇帝、もとの名は病已、後に詢と改めた。武帝のひ孫である。かつて武帝の太子であった戻太子拠が史氏のむすめを良娣として納れて、皇孫史進を生ませた。その子が病已である。病已の生後数ヶ月に巫蠱の事件に出遭い、連坐して係累すべて牢獄に繋がれた。
雲気を眺めて吉凶を占う者が、「長安の獄中に天子の雲気が見えます」と言った。武帝は使者を遣わして、獄中の者をことごとく殺させようとした。この時丙吉という者が牢獄を取り締まっていたが、使者を拒んで聞き入れず、「たとい誰であろうと、無実の人を殺すことはできません。まして帝の曾孫などもってのほかです」と言った。使者が還ってこの事を告げると武帝は「天命というべきか」と言っただけであった。
良娣 女官の官名、太子妃に次ぐ側室。 戻太子 宣帝が即位後に贈った諡(おくりな)
侘人 他人に同じ。 無辜 辜は罪。