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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

唐宋八家文 韓愈 柳子厚墓誌銘 (四ノ三) 

2014-04-10 10:09:54 | 唐宋八家文
柳子厚墓誌銘 (四ノ三)
 嗚呼、士窮乃見節義。今夫平居里巷相慕悦、酒食游戲相徴逐、詡詡強笑語以相取下、握手出肺肝相示、指天日涕泣、誓生死不相背負。眞若可信、一旦臨小利害僅如毛髪比、反眼若不相識、落陥穽、不一引手救。反擠之、又下石焉者、皆是也。此宜禽獣・夷狄所不忍爲。而其人自視以爲得計。聞子厚之風、亦可以少媿矣。
 子厚前時少年、勇於爲人、不自貴重顧藉、謂功業可立就。故坐廢退。既退、又無相知有氣力得位者推挽。故卒死於窮裔、材不爲世用、道不行於時也。使子厚在臺省時、自持其身、已能如司馬・刺史時亦自不斥。斥時有人力能擧之、且必復用不窮。然子厚斥不久、窮不極、雖有出於人、其文學辭章、必不能自力以致必傳於後、如今無疑也。雖使子厚得所願、爲將相於一時、以彼易此、孰得孰失、必有能辨之者。

嗚呼(ああ)、士は窮して乃ち節義を見(あらわ)す。今夫(そ)れ里巷(りこう)に平居して相慕悦(ぼえつ)し、酒食游戯して相徴逐(ちょうちく)し、詡詡(くく)として強いて笑語し以って相取り下り、手を握り肺肝を出して相示し、天日(てんじつ)を指さして涕泣(ていきゅう)し、生死相背負(はいふ)せざるを誓う。真(まこと)に信ずべきが若(ごと)けれども、一旦小利害の僅かに毛髪の比の如きに臨めば、反眼して相識らざるが若く、陥穽(かんせい)に落つるも、一たびも手を引きて救わず。反ってこれを擠(おと)して、また石を下(おと)すもの皆是なり。此れ宜しく禽獣・夷狄の為すに忍びざる所なるべし。而もその人自ら視て以って計を得たりと為す。子厚の風(ふう)を聞かば、亦た以って少しく媿(は)ずべし。
 子厚は前時少年にして人の為にするに勇あり、自らは貴重顧藉(こせき)せず、功業立ちどころに就(な)るべしと謂(おも)えり。故に坐して廃退す。既に退き、また相知(そうち)の気力有りて位をを得し者の推挽する無し。故に卒(つい)に窮裔(きゅうえい)に死し、材は世の用を為さず、道は時に行われざるなり。
子厚をして台省(だいせい)に在りし時、自らその身を持すること、已に能く司馬・刺史の時の如くならしめば、亦た自ら斥(しりぞ)けられじ。斥けられし時も人の力能くこれを挙ぐるもの有らば、且つ必ずや復た用いられて窮せざらん。
 然れども子厚の斥けらるること久しからず、窮すること極まらざれば、人に出ずること有りと雖も、その文学辞章、必ずや自ら力(つと)めて以って必ず後に伝うるを致すこと、今の疑い無きが如くなる能わじ。子厚をして願うところを得て、一時に将相たらしむと雖も、彼を以って此れに易(か)うるは、孰(いずれ)が失、必ず能くこれを弁ずる者有らん。


慕悦 慕いよろこぶ。 徴逐 親しく行き来する。 詡詡 媚びへつらう。 背負 裏切る。 擠 落す。 媿ず 愧じる。 貴重顧藉 自分の身を大切に守ること。 相知 知り合い相識。 坐 罪に問われる、連坐。 廃退 官職を取りあげる。 推挽 推は推す挽は引く、推薦と引き立て。 窮裔 裔は着物のすそ、片田舎。 台省 尚書省・門下省・中書省の三省、中央政府。 

ああ、士は窮地に立ってはじめて節義を現わすものだ。ところが今の士は巷に安穏と暮して、仲よくおつきあいをし、酒を飲んだり遊びをしたりと互いに往き来して調子を合わせて愛想笑いをし合い、謙遜して手を握り胸の内をさらけ出して、太陽を指さし、涙を流していつまでも裏切るまいと誓いあい、まことに信用できそうに見えるけれど、一旦毛筋ほどの小さい利害にぶつかると、目をいからして、相手が落とし穴に落ちても、手を差しのべて助けようとしないばかりか、かえって押し返して石を投げ込む。このような有り様なのだ。これは獣や野蛮人にもできない行為であろう。しかし当人は上手くやったと思っている。この連中が子厚の態度を知れば、少しは恥ずかしく思うだろう。
 子厚は以前若い時分、他人のために働くことに躍起となって、自分の身を大切に守ろうとせず、功績はすぐにでも立てられると思っていた。だから連坐して官職奪われ、退けられたのである。退いた後にも推薦し、引き上げてくれる気概と地位のある友人が無く、遂に片田舎で死に、その才能は発揮することができず、その徳も時代に行われることは無かったのである。
 もし、子厚が朝廷にいた時に、自分の身をつつしむことが、後に司馬や刺史になった時のようであったらならば、朝廷を追われることは無かっただろう。排斥されたときも、彼を推挙する有力者がいたなら、きっと再び登用されて、困窮することは無かったに違いない。しかしながら、子厚が斥けられた期間が短く、困窮もひどくなかったならば、人に優れていると雖も、その学問や詩文は自分からつとめて後世に伝えたいと努力しても、今のように必ず後世に伝わるものには達しなかったであろう。
 子厚の願う通りになって一時は将軍や宰相になったとしても、彼の文学を以って将軍宰相に代えることは、果して良かったかどうか。これは後の人が判断する事である。


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Unknown (Unknown)
2020-07-19 09:16:48
彼を以って此れに易(か)うるは、孰(いずれ)が失

彼を以って此れに易(か)うるは、孰(いずれ)が得、孰が失
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