八年、曹彬圍金陵急。李遣徐鉉入貢、求緩兵。鉉言、以小事大、如子事父。其説累數百。上曰、爾謂父子、爲兩家可乎。鉉不能對還。尋復至奏言、江南無罪。辭氣。上怒按劍曰、不須多言、江南亦有何罪。但天下一家。臥榻之側、豈容他人鼾睡乎。鉉惶恐而退。金陵受圍、自春徂冬。勢愈窮蹙。彬終欲降之。累遣人告曰、某日城必破。宜早爲之所。
八年、曹彬金陵を囲むこと急なり。李(りいく)徐鉉(じょげん)をして入貢せしめ、兵を緩(ゆる)うせんことを求む。鉉言わく「、小を以て大に事(つか)えること、子の父に事うるが如し」と。其の説数百を累(かさ)ぬ。上曰く「爾(なんじ)、父子と謂う、両家を為して可ならんや」と。鉉、対(こた)える能わずして還る。尋(つ)いで復た至り奏して言わく「江南罪無し」と。辞気益々(はげ)し。上、怒って剣を按(あん)じて曰く「多言を須(もち)いず、江南亦た何の罪か有らん。但天下は一家なり。臥榻(がとう)の側(かたわら)、豈他人の鼾睡(かんすい)を容れんや」と。鉉、惶恐(こうきょう)して退く。金陵、囲みを受けて、春より冬に徂(ゆ)き、勢い愈々窮蹙(きゅうしゅく)す。彬、終(つい)に之を降さんと欲す。累(しき)りに人を遣わしに告げて曰く「某日城必ず破れん。宜しく早く之が所を為すべし」と。
臥榻 寝床。 鼾睡 いびきをかいて眠ること。 惶恐 おそれる。 窮蹙 苦しみ縮まる。
開宝八年(975年)に曹彬は金陵を囲むことますます激しくなった。江南国主の李は徐鉉を遣わして入朝させて、攻撃の手を緩めてもらいたいと申し入れた。徐鉉が言うには「わが李が小国を以って大国の宋朝につかえることは子が父につかえるよう従順でございました」と数百言を累ねて弁明に努めた。帝は「そなたは父子と言われるが、父子が両家に分かれてよいものであろうか」と切り返した。徐鉉は返事に窮して江南に還っていった。続いて再び入朝して「江南の人民に罪はありません」と語気を荒げて言ったので、帝は怒って剣の柄に手をかけながら「つべこべ言うでない。もとより江南の民に罪があろうか、ただ天下は一家でなければならない。わしの寝台の側で他人の高いびきを我慢できようか」と言い返した。徐鉉は恐れ慄いて退いた。金陵は囲まれたまま春から冬に及び、形勢はますます厳しくなった。曹彬はあくまで降伏を目指して、しきりに使いを遣って李に告げて「某日にはきっと落城するから、早々に準備をしておくがよろしかろう」申し送った。