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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 冕旒目を蔽うといえども無形に視よ

2012-10-30 13:52:21 | 十八史略
張蘊古獻大寶箴。有曰、以一人治天下、不以天下奉一人。又曰、壯九重於内、所居不過容膝。彼昏不知、瑤其臺而璚其室。羅八珍於前、所食不過適口。惟狂罔念、丘其糟而池其酒。又曰、勿没没而闇。勿察察而明。雖冕旒蔽目、而視於無形。雖黈塞耳、而聽於無聲。上嘉其言。

張蘊古(ちょううんこ)大宝の箴(しん)を献ず。曰(い)える有り、「一人を以って天下を治む、天下を以って一人に奉ぜず」と。又曰く、「九重を内に壮(さかん)にすとも、居る所は膝を入るるに過ぎず。彼(か)の昏(くら)くして知らざるものは、その台を瑤(よう)にして室を璚(けい)にす。八珍(はっちん)を前に羅(つら)ぬとも、食する所は口に適(かな)うに過ぎず。惟だ狂にして念(おも)うこと罔(な)きものは、その糟(かす)を丘にしてその酒を池にす」と。
又曰く、「没没として闇(くら)きこと勿れ。察察として明らかなること勿れ。冕旒(べんりゅう)目を蔽うと雖も、而(しか)も無形に視よ。黈(とうこう)耳を塞ぐと雖も、而も無声に聴け」と。上(しょう)其の言を嘉(よみ)す。


大宝の箴 大宝は天子の位、箴はいましめ箴言。 九重 宮中。 昏 暗君、桀と紂のような君主。 瑤も璚も美しい玉石。 八珍 数々の珍味。 没没 沈み込むこと。 察察 万事に通暁すること。 冕旒 天子の冠の前後に垂れた飾り。 黈 黄綿でつくった耳覆い。

張蘊古という者が「大宝の箴」という天子の戒めを説く文を献じた。それには、「天子は一身をもって天下を治めるもので、その天下が天子一人を支えるものであってはならない。また、幾重にも甍を連ねて宮殿を壮麗にしても居るところはわずか膝を入れるに足る程度。しかしあの桀紂のような君主は高殿を瑤でちりばめ、宮室を璚で飾る。数々の美味珍味を並べても、口に入るのは限られる。ただわが身を忘れた桀や紂は酒かすで堤を築き、酒で池を満たす」。さらにこうもあった「天子たるもの沈みこんで暗くてはいけない、細かいところまで気付きすぎて口うるさくなってもいけない。冠の前飾りで目を覆っても心眼で視よ、飾りで耳を塞がれても、声無き声を聴け」と。太宗はこの箴を喜んで受け取った。

実践商業高校S38.年卒業3年C組寺島教室クラス会

2012-10-30 12:48:06 | Weblog
10月27日東中野の旧日本閣に於いて寺島先生をお迎えして49年ぶりのクラス会を催しました。1時半に母校に集合、すっかり変貌した校舎を見学した。教頭先生の説明を聞きながら、旧校舎の在り処を思い出していたが、かなり曖昧になっているのに愕然とした。
会場に戻って直行組みと合流、先生もお見えになったが80歳とも思えぬ若々しさで背筋もピンとしてお顔の色も良く、誰かが百歳までは元気そうですねと言っていた。ただ我々生徒の側に故障者がおり、すでに鬼籍に入っている仲間も居た。判明している名を読み上げて黙祷を捧げた後、先生のご挨拶をいただいた。関西から出席した松岡仁さんの乾杯の発声ののち、出席順にそれぞれ近況報告に移った。悠々自適という人も居れば母親の介護に明け暮れている人、70歳まで働くという人、さまざまとりどりである。二年後の開催を約して締めた後、先生をお送りして散会、お決まりの二次会は近所のカラオケに。二年後の再会を誓ってそれぞれの駅に向かった。幹事の杉本文彦さん、伊藤信武さん、八十島勝一さん、どうもありがとうございました。

十八史略 桀・紂は乃ちその身を忘れたり

2012-10-27 10:43:16 | 十八史略
又嘗謂侍臣曰、聞西域賈胡得美珠、剖身而藏之。有諸。曰、有之。曰、吏受賕抵法、與帝王徇奢欲而亡國者、何以異此胡之可笑邪。魏徴曰、昔魯哀公謂孔子曰、人有好忘者。徙宅而忘其妻。孔子曰、又有甚者、桀・紂乃忘其身。亦猶是也。

又、嘗て侍臣に謂って曰く、「聞く、西域の賈胡(ここ)、美珠を得れば、身を剖(さ)いて之を蔵(おさ)むと。諸(これ)有りや」と。曰く、「之有り」と。曰く、「吏の賕(きゅう)を受けて法に抵(いた)ると、帝王の奢欲に徇(したが)いて国を亡ぼす者と、何を以ってか、此の胡(こ)の笑うべきに異ならんや」と。魏徴曰く、「昔、魯の哀公、孔子に謂って曰く、『人の好(よ)く忘るる者有り、宅を徙(うつ)してその妻を忘れたり』と。孔子曰く、『又た甚だしき者有り、桀・紂は乃ちその身を忘れたり』と。亦猶是(かく)のごとき也」と。

賈胡 異国の商人。 諸 これ之於と同じ。 賕 罪を免れようとして金品を授受すること、賄賂。 抵 抵触。 徇 殉と同じ。 

またあるとき、帝がお側の臣にむかって「聞くところによると西域の胡の商人は宝珠を手に入れると、わが身を割いてしまっておくと聞いたことがあるが、そのようなことがあるであろうか」と尋ねられた。側近は「あると聞いております」と答えた。すると帝は「役人でまいないを受けて刑に処せられる者や、帝王が奢侈に耽って国を亡ぼす者は、何をもってこの胡の商人の愚かしさと異なることがあろうか」と言った。魏徴の言うには「昔、魯の哀公が孔子に言うことには『ひどい物忘れをする男がいて、家を引っ越したとき、妻を忘れてきたそうだ』と。孔子はそれに答えて『もっとひどい者がおります。桀と紂は我とわが身を忘れてしまいました。』帝の先ほどのお言葉は、この孔子の言葉とよく似ております」と。

十八史略 猶お肉を割いて以って腹に充つるがごとし

2012-10-25 10:10:39 | 十八史略
有上書請去佞臣者。曰、願陽怒以試之、執理不屈者直臣也。畏威順旨者佞臣也。上曰、吾自爲詐、何以責臣下之直乎。朕方以至誠治天下。或請重法禁盗。上曰、當去奢省費、輕徭薄賦。選用廉吏、使民衣食有餘、自不爲盗。安用重法邪。自是數年之後、路不拾遺、商旅野宿焉。上嘗曰、君依於國、國依於民。刻民以奉君、猶割肉以充腹。腹飽而身斃。君富而國亡矣。

上書して佞臣を去らんと請う者有り。曰く、「願わくは陽(いつわ)り怒って以って之を試みんに、理を執(と)って屈せざる者は直臣なり。威を畏れて旨(むね)に順(したが)う者は佞臣なり」と。上曰く、「吾自ら詐(いつわり)を為さば、何を以ってか臣下の直を責めんや。朕方(まさ)に至誠を以って天下を治めん」と。或ひと法を重くして盗を禁ぜんと請う。上曰く、「当(まさ)に奢(おごり)を去って費(ついえ)を省き、徭(よう)を軽くし賦を薄くすべし。廉吏を選用して、民の衣食をして余り有らしめば、自ら盗を為さじ。安(いずく)んぞ重法を用いんや」と。是より数年の後、路遺(お)ちたるを拾わず、商旅(しょうりょ)野宿せり。上、嘗て曰く「君は国に依り、国は民に依る。民を刻(こく)して以って君に奉ずるは、猶お肉を割いて以って腹に充(み)つるがごとし。腹は飽くとも身は斃(たお)れん。君は富むとも国は亡びん」と。

陽 見せかけること。 徭 夫役。 賦 税。 廉吏 清廉な役人。 商旅 商人や旅人。 刻 苛酷

佞臣を遠ざけるようにと上書する者があった。その者の言うには「わざと理不尽に叱責してみてください。道理を主張してどこまでも屈しない者が廉直の臣です。威光を恐れてすぐに仰せに従う者が佞臣であります。」太宗はすぐさま反論して「余が自ら偽りをして、どうして臣下に正直であれと求めることができようか。朕はひたすら誠実を以って天下を治めるだけだ」と言った。またあるひとが刑罰を重くして盗賊を撲滅するよう願い出た。帝が言われるには「上に立つ者が奢りを無くして出費を抑え、夫役を減らして、年貢を軽くすることである。また清廉な官吏を登用して、ひとびとの衣食を余りあるものにすれば、盗みなど無くなろう、どうして刑を重くする必要があろう。」それから数年、落し物を拾っても懐に入れず、行商人や旅人が野宿できるようになった。太帝はまたこうも言った「国があればこそ君があり、民があればこそ国があるのだ、民を搾取して君のものにするのは、わが身の肉を切り裂いて腹を満たそうとするようなものだ。腹は満ちても命はちぢむ。君は富み栄えても国は亡びるだけだ」

十八史略 弘文館を置き四部二十余万巻を聚む

2012-10-23 08:25:26 | 十八史略

突厥頡利・突利二可汗、合十餘萬騎入寇、進至渭水便橋之北。上自與房玄齢等六騎、徑詣渭水上、與頡利隔水語、責以負約。突厥大驚、皆下馬羅拜。俄而諸軍繼至、旗甲蔽野。頡利懼請盟而退。
置弘文、聚四部二十餘萬、選天下文學之士。虞世南等以本官兼學士。聽朝之隙、引入内殿、講論前言往行、商榷政事、或夜分乃罷。取三品以上子孫、充弘文學士。

突厥(とっけつ)の頡利(けつり)・突利の二可汗、十余万騎を合わせて入寇(にゅうこう)し、進んで渭水便橋の北に至る。上(しょう)、自ら房玄齢等六騎と、径(ただち)に渭水の上(ほとり)に詣(いた)り、頡利と水を隔てて語り、責むるに約に負(そむ)くを以ってす。突厥大いに驚き、皆馬より下って羅拝(らはい)す。俄かにして諸軍継いで至り、旗甲(きこう)野を蔽う。頡利懼れて盟を請うて退きぬ。
弘文館を置き、四部二十余万を聚(あつ)め、天下文学の士を選ぶ。虞世南(ぐせいなん)等本官を以って学士を兼ぬ。朝を聴くの隙(ひま)内殿に引き入れて、前言往行を講論し、政事を商榷(しょうかく)し、或いは夜分にして乃ち罷(や)む。三品(さんぽん)以上の子孫を取って、弘文館の学士(生)に充(あ)つ。


可汗 汗(ハン)、首長。 羅拝 並んで拝すこと。 四部 四庫に同じ、経書・歴史・諸子百家・詩文などその他の集。 本官 本来の官職。 前言往行 先哲諸賢の言行。 商榷 商ははかる榷はくらべる、比較商量。 三品 親王の第三位階。 弘文館の学士 学生の誤りか。

突厥の頡利と突利の二可汗が、十余万騎を糾合して辺境を侵し渭水便橋の北にまで入ってきた。太宗世民は自ら房玄齢ら六騎を従えて渭水の南岸まで行き、頡利と川を隔てて対峙し、すぐる年の盟約に叛いた罪をなじった。突厥は太宗の威厳に大いに驚き、皆馬を下りて並んで拝礼した。すると間もなく唐の諸軍が到着し、旗じるしや甲冑があたりを蔽い尽くした。頡利は恐れて和睦の盟約を自ら願い出て引き上げた。
翌九月、弘文館を開き、経・史・子・集の四部の書籍二十万余巻を集め、国中の学問の士を選び、虞世南らには本来の任務と兼ねさせて弘文館学士とした。太宗は政務の僅かな暇をみつけて、学士らを内殿に呼び、古人の言行について議論したり、古今の政治の長短を比較討論して、時には夜半に及ぶことがあった。また三品以上の身分の子弟の中から学生を選んで学問を学ばせた。