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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 項羽、鉅鹿に大捷す

2009-08-29 08:13:38 | Weblog

白文
項梁與秦將章邯戰敗死。宋義先言其必敗、梁果敗。秦攻趙。楚懐王以義爲上將、項羽爲次將、救趙。義驕。羽斬之領其兵、大破秦兵鉅鹿下。虜王離等、降秦將章邯・董翳・司馬欣。羽爲諸侯上將軍。
訓読文
項梁、秦の将章邯と戦って敗死す。宋義先づ其の必ず敗れんことを言いしが、梁果して敗れん。秦、趙を攻む。楚の懐王、義を以て上将と為し、項羽を次将と為して、趙を救わしむ。義、驕る。羽、之を斬って其の兵を領し、大いに秦の兵を鉅鹿(きょろく)の下に破る。王離等を虜にし、秦將章邯・董翳(とうえい)・司馬欣を降す。羽、諸侯の上将軍と為る。
通釈
項梁は、秦の将章邯と戦って敗れ死んだ。宋義は、項梁が必ず敗れるだろうと予言したが果してその通りになった。
秦が趙を攻めた。楚の懐王は宋義を総司令に、項羽を副司令官にして趙を救わせた。ところが宋義が驕りあなどったので、項羽は宋義を斬り殺し、その兵を自分の指揮下にいれた、そして秦軍を鉅鹿の城下で打ち破り、王離等を虜にし、章邯・董翳・司馬欣を降参させた。
項羽は諸侯の総司令官になった。

十八史略 鹿を指して馬と為す

2009-08-27 09:11:16 | Weblog
白文
中丞相趙高、欲專秦權、恐群臣不聽。乃先設驗、持鹿獻於二世曰、馬也。二世笑曰、丞相誤邪、指鹿爲馬。問左右、或默、或言。高陰中諸言鹿者以法。後群臣皆畏高、莫敢言其過。

訓読文
中丞相趙高、秦の権を専(もっぱら)にせんと欲すれども、群臣の聴かざるを恐る。すなわち先ず験(けん)を設け、鹿を持(ぢ)して二世に献じて曰く、馬なり、と。二世笑って曰く丞相誤れるか、鹿を指して馬と為す、と。左右に問うに、或いは黙し或いは言う。高、陰(ひそか)に諸々の鹿と言う者に中(あ)つるに法を以てす。後群臣皆高を畏れ、敢て其の過ちを言うもの莫(な)し。

通釈文
中の丞相趙高、秦の権力を独占したいのだが、群臣が承知しまいと思った。そこで群臣をためそうと思い、鹿を二世に献上して、馬でございますと言った。二世皇帝は笑って言った「丞相間違っておるぞ、鹿を馬と言うとは、」と。左右の者に尋ねると、ある者は黙り、ある者は鹿ですと答えた。趙高は後でひそかに鹿と言った者を無理に法律に当てて厳罰に処した。こののち群臣は皆趙高を恐れて、過ちを指摘する者が居なくなった。

中丞相 趙高は宦官で禁中にも出入りできたから

十八史略 李斯腰斬さる(2)

2009-08-25 08:58:03 | Weblog
趙高は、丞相李斯と仲が悪かった。二世皇帝が酒宴をして婦人たちを前にしているとき、趙高は人を遣わして李斯に、今のうちに政務を奏上するのが良いでしょう、と言わせた。李斯が上謁すると二世は怒って、「わしが暇の時に来もしないで、こうして酒宴を楽しんでいるときに来る。不届きである」と。すかさず趙高が「丞相の長男李由は、三川の大守でありながら、盗賊と気脈を通じています。その上丞相は、朝廷のそとにあっては、陛下よりも強い権力を振るっております」と。二世皇帝はこれをもっともだとして、獄吏に引き渡し、入れ墨、鼻切り、などの刑を施し、最後に咸陽の市中に引き出し、腰切りの刑に処した。李斯は牢を出される時、次子に向かって、「そちと今一度猟犬を引きつれて、上蔡の東門を出て、兎狩りをしようと思っても、それが出来ようか、出来なくなってしまったなあ」と言った。そして父と子は声をあげて哭いた。その後三族ことごとく殺されてしまった。

十八史略 李斯腰斬さる(1)

2009-08-22 08:53:44 | Weblog
趙高與丞相李斯有隙。高侍二世、方燕樂婦女居前、使人告丞相斯、可奏事。斯上謁。二世怒曰、吾嘗多日、丞相不來。吾方燕私、丞相輒來。高曰、丞相長男李由、爲三川守與盗通。且丞相居外、權重於陛下。二世然之、下丞相吏具五刑、腰斬咸陽市。斯出獄、顧謂中子曰、吾欲與若復索黄犬、倶出上蔡東門、逐狡兔、豈可得乎。遂父子相哭。而夷三族。

趙高、丞相李斯と隙(げき)あり。高、二世に侍し、燕楽(えんらく)して婦女前に居るときに方(あた)って、人をして丞相斯に告げしむ、事を奏す可し、と。斯、上謁す。二世怒って曰く、吾嘗て日(かんじつ)多し、丞相来たらず。吾方(まさ)に燕私すれば丞相輒(すなわ)ち来る、と。高曰く、丞相の長男李由、三川の守と為り盗(とう)と通ず。且つ丞相外に居て、権、陛下より重し、と。二世之を然りとし、丞相を吏に下し、五刑を具(そな)えて、咸陽の市に腰斬(ようざん)す。斯獄を出づるとき、中子に謂いて曰く、吾、若(なんじ)と復(また) 黄犬を索(ひ)き、倶(とも)に上蔡(じょうさい)の東門を出でて、狡兔を逐わんと欲するも、豈得可(うべ)けんや、と。遂に父子相哭す。而して三族を夷(い)せらる。

燕楽 燕は宴に通ず 燕私は奥向きでくつろいだ酒宴 三川 郡名、河南省にある
五刑 墨 いれずみ、 劓 はなきり、 刖 足切り、 宮 去勢、 大辟 死刑、
黄犬 猟犬  上蔡 地名李斯の出身地  夷三族 父母妻の血族を亡ぼすこと。

十八史略 范

2009-08-20 16:38:37 | Weblog
居巣人范、年七十、好奇計。往説項梁曰、陳勝首事。不立楚後而自立。其勢不長。今君起江東、楚蠭起之將、爭附君者、以君世世楚將、必能復立楚之後也。於是項梁求得楚懐王孫心、立爲楚懐王、以從民望。

居巣の人范(はんぞう)年七十、奇計を好む。往(ゆ)いて項梁に説いて曰く、陳勝事を首(はじ)む。楚の後を立てずして自ら立つ。其の勢い長からじ。今君江東に起こり、楚の蜂起の将、争って君に附く者は、君の世よ楚の将にして、必ず能(よ)く復た楚の後を立てんことを以(おも)えばなり、と。是(ここ)に於いて項梁は楚の懐王の孫、心(しん)を求め得て、立てて楚の懐王と為し、以て民望に従う。

居巣(きょそう)の人范は奇抜な計略を好んだ。項梁に説いて言うには「陳勝は始めて秦に謀反をおこしたが、楚王の子孫を立てないで自ら立って楚王となったが、長くは、続きますまい、今、君が江東より起こり、楚の将たちが群がりたって、我先に君に馳せ参じておりますわけは、君の家が代々楚の大将で、きっと楚王の子孫を立ててくれるだろうと思うからでございます」と。そこで項梁は楚の懐王の孫、心という人を探し出し、立てて懐王とした。かくして楚の人たちの望む通りにした。