上自即位、非不夢想賢豪。卒不用之。嘗有朝士鄭綮。好恢諧。多爲歇後詩嘲時事。上意其有所蘊。手注班簿、以爲相。堂吏走告不信。已而賀客至。綮掻首曰、歇後鄭五作宰相。時事可知矣。
上在位十七年。改元者七、曰龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐。子立。是爲哀皇帝。
上、位に即いてより、賢豪を夢想せざるに非ず。卒に之を用いず。嘗て朝士(ちょうし)鄭綮(ていけい)というもの有り。恢諧(かいかい)を好む。多く歇後(けつご)の詩を為(つく)って時事を嘲(あざけ)る。上、其の所蘊(しょうん)有るを意(おも)う。手ずから班簿を注して、以って相と為す。堂吏走って告ぐれども信ぜず。已にして賀客至る。綮、首(こうべ)を掻いて曰く「歇後の鄭五、宰相と作(な)る。時事知る可し」と。
上、在位十七年。改元する者(こと)七、龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐と曰う。子立つ。是を哀帝と為す。
賢豪 賢者と豪傑と。 朝士 朝廷の士大夫。 恢諧 諧謔、冗談。 歇後の詩 半分だけ言って人に推量させる法。 所蘊 蘊はつつむ、含蓄。 班簿 官吏の序列を記した名簿。 堂吏 中書省の役人。 鄭五 排行、鄭家の五番目。
昭帝は即位して以来、賢者と豪傑の士を得たいと思わないではなかったが、遂に用いることができなかった。ある時、士大夫の中に鄭綮という諧謔を好む者がいて、よく歇後の詩を作って、当世を皮肉っていた。帝はその詩を読まれて、含蓄のあるのを気に入って、自ら筆を取って、官吏名簿に彼の名を書き込んで宰相に任命した。 中書省の役人がその旨を告げたが、信用しなかった。祝賀の客が来るに及んで、鄭綮はあたまを掻いて「歇後の詩を作っている鄭五が宰相になるとは、天下の事は推して知る可しだな」と言った。
昭帝は在位十七年、改元すること七回で龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐といった。子が立った。これが哀帝である。
上在位十七年。改元者七、曰龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐。子立。是爲哀皇帝。
上、位に即いてより、賢豪を夢想せざるに非ず。卒に之を用いず。嘗て朝士(ちょうし)鄭綮(ていけい)というもの有り。恢諧(かいかい)を好む。多く歇後(けつご)の詩を為(つく)って時事を嘲(あざけ)る。上、其の所蘊(しょうん)有るを意(おも)う。手ずから班簿を注して、以って相と為す。堂吏走って告ぐれども信ぜず。已にして賀客至る。綮、首(こうべ)を掻いて曰く「歇後の鄭五、宰相と作(な)る。時事知る可し」と。
上、在位十七年。改元する者(こと)七、龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐と曰う。子立つ。是を哀帝と為す。
賢豪 賢者と豪傑と。 朝士 朝廷の士大夫。 恢諧 諧謔、冗談。 歇後の詩 半分だけ言って人に推量させる法。 所蘊 蘊はつつむ、含蓄。 班簿 官吏の序列を記した名簿。 堂吏 中書省の役人。 鄭五 排行、鄭家の五番目。
昭帝は即位して以来、賢者と豪傑の士を得たいと思わないではなかったが、遂に用いることができなかった。ある時、士大夫の中に鄭綮という諧謔を好む者がいて、よく歇後の詩を作って、当世を皮肉っていた。帝はその詩を読まれて、含蓄のあるのを気に入って、自ら筆を取って、官吏名簿に彼の名を書き込んで宰相に任命した。 中書省の役人がその旨を告げたが、信用しなかった。祝賀の客が来るに及んで、鄭綮はあたまを掻いて「歇後の詩を作っている鄭五が宰相になるとは、天下の事は推して知る可しだな」と言った。
昭帝は在位十七年、改元すること七回で龍紀・大順・景福・乾寧・光化・天復・天祐といった。子が立った。これが哀帝である。