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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み 息壌彼に在り

2009-05-29 17:31:49 | Weblog
惠文王薨、子武王立。武王使甘茂伐韓。茂曰、宜陽大縣、其實郡也。今倍數險、行千里、攻之難。魯人有與曾參同姓名者。殺人。人告其母。母織自若。及三人告之、母投杼下機、踰墻而走。臣賢不及曾參。王之信臣、又不如其母。疑臣者非特三人。臣恐大王之投杼也。―中略― 今臣覉旅之臣也。樗里子・公孫奭、挟韓而譏、王必聽之。王曰、寡人弗聽。乃盟于息壌。茂伐宜陽。五月而不抜。二人果爭之。武王召茂欲罷兵。茂曰、息壌在彼。王乃悉起兵佐茂、遂抜之。

恵文王薨(こう)じて子の武王立つ。武王、甘茂(かんも)をして韓を伐たしむ。茂曰く、宜陽(ぎよう)は大県にして、其の実は郡なり。いま数険に倍(そむ)き、千里を行き、之を攻むること難し。
魯人、曾參と姓名を同じうする者有り。人を殺す。人其の母に告ぐ。母織ること自若たり。三人之を告ぐるに及んで、母、杼(ちょ)を投じ機(はた)を下り、墻(かき)を踰(こ)えて走る。臣の賢、曾參(そうしん)に及ばず。王の臣を信ずること、又其の母に如かず。臣を疑う者特(ただ)に三人のみに非ず。臣、大王の杼を投ぜんことを恐るるなり。―中略―
今、臣は覉旅(きりょ)の臣なり。樗里子(ちょりし)・公孫奭(こうそんせき)、韓を挟んで譏(そし)らば、王必ず之を聴かんと。王曰く、寡人聴かず、と。乃(すなわ)ち息壌に盟(ちか)う。
茂、宜陽を伐つ。五月(げつ)にして抜けず。二人果して之を争う。武王、茂を召して、兵を罷(や)めんと欲す。茂曰く、息壌彼に在り、と。王乃ち悉く兵を起こして茂を佐(たす)け、遂に之を抜く。

宜陽は大県にしてその実は郡なり わが国とは逆で県の上に郡がある 郡>県
数険に倍(そむ)き、数々の険阻をかさねて、 曾參・・・ 孔子の弟子、曽子と同名の者が殺人を犯した。ある人が思い違いをして曾子の母に其の事を告げたが、母は子を信じて機を織ること常の如くであった。だが三人同じことを告げられると、杼(ひ)を投げ出し機を下りて垣を越えて走った。私は曾子には及びません、王が私を信ずることも曾子の母に及びません。  覉旅の臣 甘茂はもと楚人、子飼いの臣ではない  韓を挟んで 樗里子・公孫奭二人とも韓に縁があり韓に味方して,の意  息壌 秦の邑  息壌彼に在り、息壌はそこにあります(ですから約束を忘れないでください)

十八史略拾い読み 法の弊一に此に至れるか

2009-05-22 18:14:03 | Weblog
行之十年。道不拾遺、山無盗賊、家給人足、民勇於公戰、怯於私鬭、郷邑大治。初言令不便者、来言令便。鞅曰、皆亂法之民也。盡遷之邊。民莫敢議。―中略― 秦人富強。封鞅商・於十五邑、號曰商君。孝公薨、惠文王立。公子虔之徒、告鞅欲反。鞅出亡。欲止客舎。舎人曰、商君之法、舎人無驗者坐之。鞅嘆曰、爲法之弊、一至此哉。去之魏。魏不受、内之秦。秦人車裂以徇。鞅用法酷。-中略― 嘗臨渭論囚。渭水盡赤。

之を行うこと十年。道、遺(お)ちたるを拾わず、山に盗賊無く、家々給し人々足り、民、公戦に勇に、私闘に怯に、郷邑大いに治まる。初め令の不便を言いし者、来たって令の便を言う。鞅曰く、皆、法を乱るの民なりと。尽く之を辺に遷(うつ)す。民敢えて議する者莫(な)し 中略 秦人富強なり。鞅を商・於の十五邑に封じ、号して商君と曰う。孝公薨(こう)じ、恵文王立つ。公子虔(けん)の徒、鞅、反せんと欲すと告ぐ。鞅、出でて亡(に)ぐ。客舎に止まらんと欲す。舎人(しゃじん)曰く、商君の法、人の験無き者を舎すれば之に坐すと。鞅嘆じて曰く、法を為(つく)るの幣、一(いつ)に此に至るかと。去って魏に之(ゆ)く。魏受けずして、之を秦に内(い)る。秦人、車裂して以て徇(とな)う。鞅、法を用うること酷なり。中略 嘗て渭に臨んで囚を論ず。渭水尽く赤し。

人の験無き者 通行証を持たないひと  坐す 連座する  車裂 最も重い刑罰、手足、首を牛車で引きちぎる  渭に臨んで囚を論ず 渭水のほとりで囚人を裁断した。

十八史略拾い読み 商鞅苛法を布く

2009-05-21 18:15:25 | Weblog
近所の杉山公園の西側に定家かずらが咲き辺りに芳香を放っています。では大分間が空いてしまいましたが続きを書きました。

卒定令、令民爲什伍、相収司連坐。不告姦者腰斬、告姦者、與斬敵同賞、匿姦者、與降敵同罰、有軍功者、各以率受爵、爲私鬭者、各以輕重被刑。―中略―  太子犯法。鞅曰、法不行、自上犯之。君嗣不可施刑。刑其傅公子虔、黥其師公孫賈。秦人皆趨令。

卒(つい)に令を定め、民をして什伍を為し、相収司(しゅうし)連坐せしむ。姦を告げざる者は腰斬し、姦を告ぐる者は、敵を斬ると賞を同じうし、姦を匿す者は、敵に降ると罰を同じうし、軍功有る者は、各々率を以手爵を受け、私闘を為す者は、各々軽重を以て刑せらる。―中略― 太子、法を犯す。鞅曰く、法の行われざるは、上(かみ)より之を犯せばなり。君の嗣は刑を施す可からず、と。其の傅(ふ)公子虔(けん)を刑し、其の師公孫賈を黥す。秦人、皆令に趨(おもむ)く。

什伍 隣り組  姦 悪事 傅(ふ) 守り役  黥 額に入れ墨する刑
  
法の行われないのは、上の人から破るからだが、君のあとつぎを罰することはできないからとして、もりやくを首斬り、師を入れ墨の刑にした。

十八史略拾い読み 商鞅強兵策を説く

2009-05-15 18:47:53 | Weblog
河山以東、強國六、小國十餘。皆以夷狄遇秦、擯不與諸侯之會盟。孝公下令。賓客・羣臣、有能出奇計強秦者、吾其尊官與之分土。衛公孫鞅入秦、因嬖人景監以見、説以帝道・王道、三變爲覇道、而後及強國之術。公大悦、欲變法、恐天下議己。鞅曰、民不可與虞始、而可與樂成。

河山以東、強国六、小国十余あり。皆夷狄を以て秦を遇し、擯(しりぞ)けて諸侯の会盟に与(あずか)らしめず。孝公、令を下す。賓客・群臣、能く奇計を出だし秦を強うする者有らば、吾其れ官を尊くし之に分土を与えん、と。衛の公孫鞅、秦に入り、嬖人(へいじん)景監に因(よ)って以て見(まみ)え、説くに帝道・王道を以てし、三変して覇道と為り、而る後に強国の術に及ぶ。公大いに悦び、法を変ぜんと欲すれども、天下の己(おのれ)を議せんことを恐る。鞅曰く、民は与(とも)に始めを虞(はか)る可からず、而して与に成るを楽しむ可し、と。

夷狄を以て秦を遇し・・ 野蛮国扱いをして会盟にも参加させなかった  公孫鞅 商鞅のこと  嬖人 公のお気に入りの家来  己を議せん・・ 自分を非難する  ともに始めをはかる可からず 手始めを相談することは出来ないが、成功をともに楽しむことはできる

十八史略拾い読み 秦

2009-05-11 18:04:09 | Weblog
昨日東京都大会二部Aがありました。我が句連では本田さんが10位入賞、東日本コンクールに進出です。

百里傒と蹇叔
秦之先、本顓頊之裔。―中略― 犬戎殺幽王、襄公救周有功。封爲諸侯、賜以岐西地。歴文公・寧公・出子・武公・徳公・宣公・成公、至繆公。有百里傒者、故虞大夫也。爲繆公夫人媵。亡秦走宛。楚人執之。繆公聞其賢、以五羖羊皮贖得之、授之政。號曰五羖大夫。百里傒進友蹇叔、以爲上大夫。

秦の先は、本顓頊(せんぎょく)の裔(すえ)なり。―中略―犬戎幽王を殺すや、襄公、周を救って功有り。封ぜられて諸侯と為り、賜わるに岐西の地を以てす。文公・寧公・出子・武公・徳公・宣公・成公、を歴(へ)て繆公(ぼくこう)に至る。百里傒という者有り、もとの虞の大夫なり。繆公夫人の媵(よう)と為る。秦を亡(に)げて宛に走る。楚人之を執(とら)う。繆公其の賢を聞き、五羖羊(ごこよう)の皮を以て之を贖(あがな)い得て、之に政(まつりごと)を授く。号して五羖大夫を曰う。百里傒、其の友蹇叔(けんしゅく)を進めて、以て上大夫と為す。

媵(よう)諸侯の娘が嫁ぐ時、付き添って行く家臣  五羖羊 五匹の黒い羊