昨日は月遅れの七夕、阿佐ヶ谷は賑やかだったでしょうね。たまたま旧暦も1ヶ月遅れの7月7日でした。詩吟教室で(木曜夜7時~9時、鍋横出張所分室で開いています)岩崎さんがシフオンケーキを焼いてきてくれました。とてもおいしかったです。 では続きを
平安時代にはいって814年から827年の間、すなわち嵯峨天皇、淳和天皇の世に三篇の勅撰漢詩集がうまれました。凌雲集、文華秀麗集、経国集です。この頃から唐詩の影響も見えてきて、七言詩があらわれてきます。はじめに凌雲集より高士吟を紹介します。作者は賀陽豊年(かやのとよとし) 高邁な志を史記の名文を借りてうたいます。
一室何ぞ掃うに堪えん 九州豈歩むに足らん
言を寄す燕雀の徒 寧ぞ知らん鴻鵠の路を
これも凌雲集より中国前漢時代の悲劇の主人公を題材にした滋野貞主(しげののさだぬし)の七言詩王昭君をお聞きください。
朔雪翩翩として沙漠暗く 辺霜惨烈として隴頭寒し
行く行く常に望む長安の日 曙色東方看るに忍びず
(朔雪 北方から吹き付ける雪 隴頭 長安のはるか西方隴山のほとり)
凌雲集の四年後にこれも嵯峨天皇の勅命により文華秀麗集が世に出ます。事績、生没年は不詳ですが、有力なサロンの一員であった巨勢識人(こせのしきひと)の秋日友人に別るをお聞きください。
林葉翩翩秋日曛れ 行人独り向う辺山の雪
唯余す天際孤り懸かるの月 万里流光遠く君を送る
(曛れ くれ、たそがれ)
平安時代にはいって814年から827年の間、すなわち嵯峨天皇、淳和天皇の世に三篇の勅撰漢詩集がうまれました。凌雲集、文華秀麗集、経国集です。この頃から唐詩の影響も見えてきて、七言詩があらわれてきます。はじめに凌雲集より高士吟を紹介します。作者は賀陽豊年(かやのとよとし) 高邁な志を史記の名文を借りてうたいます。
一室何ぞ掃うに堪えん 九州豈歩むに足らん
言を寄す燕雀の徒 寧ぞ知らん鴻鵠の路を
これも凌雲集より中国前漢時代の悲劇の主人公を題材にした滋野貞主(しげののさだぬし)の七言詩王昭君をお聞きください。
朔雪翩翩として沙漠暗く 辺霜惨烈として隴頭寒し
行く行く常に望む長安の日 曙色東方看るに忍びず
(朔雪 北方から吹き付ける雪 隴頭 長安のはるか西方隴山のほとり)
凌雲集の四年後にこれも嵯峨天皇の勅命により文華秀麗集が世に出ます。事績、生没年は不詳ですが、有力なサロンの一員であった巨勢識人(こせのしきひと)の秋日友人に別るをお聞きください。
林葉翩翩秋日曛れ 行人独り向う辺山の雪
唯余す天際孤り懸かるの月 万里流光遠く君を送る
(曛れ くれ、たそがれ)