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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 李の予見

2015-02-21 10:00:00 | 十八史略
上、在位二十六年。自元年呂端罷後、張齊賢・李・呂蒙正・向敏中・畢土安・冦準・王旦相繼爲相。惟旦居位十一年。當李爲相時、旦甫參政。喜讀論語。嘗曰、爲宰相、如論語中節用而愛人、使民以時兩句、尚不能行。聖人之言、終身誦之可也。日取四方水旱・盗賊奏之。旦謂、細事、不足煩上聽。曰、人主少年、當使知人疾苦。不然、血氣方剛、不留意聲色・犬馬、則土木・甲兵・禱祠之事作矣。吾老、不及見。此參政他日之憂也。及大中符、封禪・祠祀・土木竝興。旦乃歎曰、李文眞聖人也。

上、在位二十六年。元年、呂端(りょたん)罷められてより後、張齊賢・李(りこう)・呂蒙正(りょもうせい)・向敏中(しょうびんちゅう)・畢士安(ひつしあん)・冦準・王旦相継いで相と為る。惟(ひと)り旦、位に居ること十一年。李の相たりし時に当って旦、甫(はじめ)て参政たり。、喜んで論語を読む。嘗て曰く「宰相と為って論語中の『用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす』の両句の如き、尚行う能わず。聖人の言は、終身之を誦して可なり」と。、日々に四方の水旱・盗賊を取って之を奏す。旦曰く「細事なり、上(しょう)聴を煩わすに足らず」と。曰く「人主少年なり、当(まさ)に人間(じんかん)の疾苦を知らしむべし。然らざれば血気方(まさ)に剛なり、意を声色・犬馬に留めずんば、則ち土木・甲兵・禱祠(とうし)の事作(おこ)らん。吾老いたり、見るに及ばじ。此れ参政他日の憂いならん」と。大中祥符に及んで、封禪・祠祀(しし)・土木竝(なら)び興る。旦、乃ち歎じて曰く「李文靖は真の聖人なり」と。

李 字は太初、文靖と諡された。 参政 参知政事、副宰相。 用を節して 費用を節約する。 民を使うに時を以ってす 人民を賦役に使うときは耕作の妨げにならぬようにする。 人主 君主。 人間 世間。 声色 音楽と女色。 犬馬 狩猟用の犬馬。 祷祠 神仏にいのりまつること。

真帝の在位は二十六年であった。即位の元年に呂端が罷免されて後、張齊賢・李・呂蒙正・向敏中・畢士安・冦準・王旦と相継いで宰相となった。ただ王旦だけは十一年の間宰相の位にあった。李が宰相であった時、王旦は参知政事をしていた。李は好んで論語を読んでいたが、ある時、「自分は宰相になって、論語の中の『用を節して人を愛し、民を使うに時を以ってす』という二句ですら実行することが難しい。聖人の言葉は生涯にわたって玩味するのがよいな」と言った。李は日々各方面の洪水、旱魃、盗賊の報告を逐一奏上した。王旦が「このように細事を奏上して陛下のお耳を煩わすには及ばないでしょう」と言うと、「いや君主は何分にも年少であらせられるから、世の苦しみをお知らせするべきである。そうでないと血気盛んになった時、音楽とか女色、狩猟犬や良馬とかに心を奪われるか、あるいは土木、戦争、祈祷など無用の事が起るであろう。わしはもう老年で、見届けることができないが、参政のそなたにとって後日憂いの種にならないか気がかりである」と言った。果たして大中祥符になると、封禅・祠祀・土木と一斉に始まった。王旦は歎息して「李文靖公はまことの聖人であった」と言った。

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