駁復讎議 (四ノ三)
其或元慶之父、不免於罪。師韞之誅、不愆於法、是非死於吏也。是死於法也。法其可讎乎。讎天子之法、而戕奉法之吏、是悖驁而凌上也。執而誅之、所以正邦典。而又何旌焉。
且其議曰、人必有子、子必有親。親親相讎、其亂誰救。是惑於禮也甚矣。禮之所謂讎者、蓋以冤抑沈痛而號無告也。非謂抵罪觸法、陥於大戮。而曰彼殺之、我乃殺之、不議曲直、暴寡脅弱而已、其非經背聖不亦甚哉。
それ或いは元慶の父、罪を免れず、師韞の誅、法に愆(あやま)たざれば、是れ吏に死するに非ざるなり。是れ法に死するなり。法それ讎(あだ)とすべけんや。天子の法を讎として、法を奉ずるの吏を戕(そこな)うは、是れ悖驁(はいごう)して上(かみ)を凌ぐなり。執(とら)えてこれを誅するは、邦典を正す所以なり。而るにまた何ぞ旌(せい)せん。
且つその議に曰く「人に必ず子有り、子に必ず親有り。親親(しんしん)相讎す、その乱誰か救わん」と。是れ礼に惑えるや甚だし。礼の所謂讎とは、蓋(けだ)し冤抑(えんよく)沈痛して号(さけ)ぶに告ぐる無きを以ってなり。罪に抵(あた)り法に触れて、大戮(たいりく)に陥るを謂うに非ず。而も彼これを殺さば、我乃ちこれを殺すと曰いて、曲直を議せず、寡(か)を暴(そこな)い弱を脅かすのみならば、その経(けい)に非(たが)い聖に背(そむ)くこと、亦た甚だしからずや。
愆 過失。 戕う 殺す。 悖驁 悖はもとる、驁は従順でない。 旌す 顕彰する。 親親 肉親を親愛すること。 執 捕える。 冤抑 無実を訴えるすべが無いこと。 大戮 死刑。 経 経書。
或いは元慶の父が罪を免れず、趙師韞の死刑執行が法に適っていたならば、それは役人に殺されたのではなく、法によって死んだのです。法を仇とすることはできましょうか。天子の法を仇として役人を殺すのは、道理にもとり勝手な行動でお上をないがしろにするものであります。捕えてこれを死刑に処すことは国法を正しく守っているわけです。どうして顕彰することがありましょうか。
その上、陳子昂の議案書にはこう言っています「人には必ず子があり、子には必ず親があります。親愛する親の仇を討った者をまた討たれた子が仇を討つというようになれば、秩序の乱れを誰が救うのでしょうか」と。
これは礼を誤解すること甚だしいと言わざるを得ません。礼にいう仇とは、思うに無実の罪に陥り、訴えるすべが無い場合を言います。罪を犯して死刑に処せられることではありません。しかも誰それが父を殺したから私が仇を討つのだといって、その根本を論ぜず力のない者を殺し、弱い者を脅かすのみならば、経典の教えに違い、聖人に背くことまことに甚だしいことであります。
其或元慶之父、不免於罪。師韞之誅、不愆於法、是非死於吏也。是死於法也。法其可讎乎。讎天子之法、而戕奉法之吏、是悖驁而凌上也。執而誅之、所以正邦典。而又何旌焉。
且其議曰、人必有子、子必有親。親親相讎、其亂誰救。是惑於禮也甚矣。禮之所謂讎者、蓋以冤抑沈痛而號無告也。非謂抵罪觸法、陥於大戮。而曰彼殺之、我乃殺之、不議曲直、暴寡脅弱而已、其非經背聖不亦甚哉。
それ或いは元慶の父、罪を免れず、師韞の誅、法に愆(あやま)たざれば、是れ吏に死するに非ざるなり。是れ法に死するなり。法それ讎(あだ)とすべけんや。天子の法を讎として、法を奉ずるの吏を戕(そこな)うは、是れ悖驁(はいごう)して上(かみ)を凌ぐなり。執(とら)えてこれを誅するは、邦典を正す所以なり。而るにまた何ぞ旌(せい)せん。
且つその議に曰く「人に必ず子有り、子に必ず親有り。親親(しんしん)相讎す、その乱誰か救わん」と。是れ礼に惑えるや甚だし。礼の所謂讎とは、蓋(けだ)し冤抑(えんよく)沈痛して号(さけ)ぶに告ぐる無きを以ってなり。罪に抵(あた)り法に触れて、大戮(たいりく)に陥るを謂うに非ず。而も彼これを殺さば、我乃ちこれを殺すと曰いて、曲直を議せず、寡(か)を暴(そこな)い弱を脅かすのみならば、その経(けい)に非(たが)い聖に背(そむ)くこと、亦た甚だしからずや。
愆 過失。 戕う 殺す。 悖驁 悖はもとる、驁は従順でない。 旌す 顕彰する。 親親 肉親を親愛すること。 執 捕える。 冤抑 無実を訴えるすべが無いこと。 大戮 死刑。 経 経書。
或いは元慶の父が罪を免れず、趙師韞の死刑執行が法に適っていたならば、それは役人に殺されたのではなく、法によって死んだのです。法を仇とすることはできましょうか。天子の法を仇として役人を殺すのは、道理にもとり勝手な行動でお上をないがしろにするものであります。捕えてこれを死刑に処すことは国法を正しく守っているわけです。どうして顕彰することがありましょうか。
その上、陳子昂の議案書にはこう言っています「人には必ず子があり、子には必ず親があります。親愛する親の仇を討った者をまた討たれた子が仇を討つというようになれば、秩序の乱れを誰が救うのでしょうか」と。
これは礼を誤解すること甚だしいと言わざるを得ません。礼にいう仇とは、思うに無実の罪に陥り、訴えるすべが無い場合を言います。罪を犯して死刑に処せられることではありません。しかも誰それが父を殺したから私が仇を討つのだといって、その根本を論ぜず力のない者を殺し、弱い者を脅かすのみならば、経典の教えに違い、聖人に背くことまことに甚だしいことであります。