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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 

2011-09-10 15:23:18 | 道ばたで見つけた
党錮の獄
會成瑨與太原守劉□、於赦後案殺宦官之黨。徴下獄、將棄市。山陽守翟超、以張儉爲督郵、破宦官踰制冢宅。東海相黄浮、亦收宦官家屬犯法者殺之。宦官訴寃。皆得罪。蕃屢爭之、上不聽。宦官教人上書告李膺。養太學遊士、共爲部黨、誹訕朝廷、疑亂風俗。上震怒、下郡國逮捕黨人。案經三府。蕃卻不肯署。上愈怒、下膺等北寺獄。辭連杜密・陳寔・范滂等二百餘人。使者追捕四出。蕃又極諫。上策免之。朝廷震慄。莫敢復爲黨人言者。賈彪曰、吾不西行、大難不解。乃入洛陽。説皇后父竇武、上疏解之。膺等獄辭、又多引宦官子弟。宦官乃懼、白上赦黨人二百餘人、皆歸田里、書名三府、禁錮終身。上在位二十一年、改元者七、曰建和・和平・元嘉・永興・永壽・延熹・永康。崩。竇皇后迎立解瀆亭侯。是爲孝靈皇帝。
会々(たまたま) 成瑨(せいしん)、太原の守(しゅ)劉しつと赦(しゃ)の後に於いて宦官の党を案殺す
。徴(め)して獄に下し、将に棄市(きし)せんとす。山陽の守翟超(てきちょう)、張倹(ちょうけん)を以って督郵と為し、宦官の制を踰(こ)える冢宅(ちょうたく)を破る。東海の相黄浮(こうふ)も亦、宦官の家属の法を犯せる者を収めて之を殺す。宦官冤(えん)を訴う。皆罪を得たり。蕃(ばん)しばしば之を争えども、上(しょう)聴かず。宦官人をして上書せしめて李膺(りよう)を告ぐ。太学の遊士を養い、共に部党を為し、朝廷を誹訕(ひせん)し、風俗を疑乱(ぎらん)す、と。上震怒(しんど)して、郡国に下(くだ)し、党人を逮捕せしむ。案三府を経たり。蕃卻(しりぞ)けて肯(あえ)て署せず。上愈々怒り、膺等を北寺の獄に下す。辞、杜密・陳寔(ちんしょく)・范滂(はんぼう)等二百余人に連なる。使者の追捕四出(ししゅつ)す。蕃又極諌(きょくかん)す。上、策して之を免ず。朝廷震慄(しんりつ)す。敢えて復(また)党人の為に言う者莫(な)し。賈彪(かひょう)曰く、吾西行(せいこう)せずんば、大難解けじ、と。乃ち洛陽に入って、皇后の父竇武(とうぶ)に説き、上疏(じょうそ)して之を解く。膺等の獄辞、又多く宦官の師弟を引く。宦官乃ち懼れ、上に白(もう)して党人二百余人を赦し、皆田里(でんり)に帰らしめ、名を三府に書して、終身を禁錮(きんこ)す。上、位に在ること二十一年、改元する者(こと)七、建和・和平・元嘉・永興・永壽・延熹・永康と曰う。崩ず。竇皇后、解瀆亭侯(かいとくていこう)を迎立(げいりつ)す。是を孝霊皇帝と為す。

劉しつ 王に質。 案殺 取調べのうえ殺すこと。 棄市 死体を市にさらすこと。 督郵 郡の太守の補佐官で政治を監督、査察する官。 冢宅 墓や邸宅。 家属 家族。 誹訕 誹、訕ともにそしる。 疑乱 惑乱。 三府 三公の府。 北寺の獄 北寺は宦官が仕える役所でそこの獄舎。 獄辞 獄での供述。 禁錮 仕官の道を塞ぐこと。