寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 闕(けつ)を守って号泣する者数万人

2010-11-30 17:06:11 | 十八史略
趙廣漢腰斬さる
元康元年、殺京兆尹趙廣漢。初廣漢爲潁川太守。潁川俗、豪傑相朋黨。廣漢爲缿項筩、受吏民投書、使相告訐。姦黨散落、盗賊不得發。由是入爲京兆尹。尤善爲鉤距、以得其情、閭里銖兩之姦皆知、發姦擿伏如神。京兆政清。長老傳、自漢興、治京兆者、莫能及。至是人上書言、廣漢以私怨論殺人。下廷尉。吏民守闕號泣者數萬人、竟坐要斬。廣漢廉明、威制豪強、小民得職。百姓追思歌之。

元康元年、京兆の尹(いん)趙廣漢を殺す。初め廣漢、潁川(えいせん)の太守と為る。潁川の俗、豪傑相朋黨す。廣漢、缿項筩(こうこうとう)を為(つく)り、吏民の投書を受け、相告訐(こくけつ)せしむ。姦盗散落し、盗賊発するを得ず。是に由(よ)って入って京兆の尹と為る。尤も善く鉤距(こうきょ)を為して、以って其の情を得、閭里(りょり)銖両(しゅりょう)の姦も皆知り、姦を発し、伏を擿(てき)すること神(しん)の如し。京兆政(まつりごと)清し、長老伝う、漢興ってより、京兆を治むる者、能く及ぶ莫(な)しと。
是(ここ)に至って、人上書して言う、廣漢、私怨を以って人を論殺(ろんさつ)す、と。廷尉に下す。吏民、闕(けつ)を守って号泣する者数万人、竟(つい)に坐して要斬(ようざん)せらる。廣漢、廉明にして、豪強を威制(いせい)し、小民職を得たり。百姓(ひゃくせい) 追思(ついし)して之を歌う。

京兆の尹 京兆は首都のこと、兆は衆と同じ人が多い所、長安、尹は長官。 潁川 河南省の郡名。 缿項筩 缿筩で目安箱、項は誤って入った文字か。 告訐 訐はあばく、そしる。 鉤距 かぎで引っ掛けて引き出す、内情を探り出す。 銖両 わずかな目方、軽微なもののたとえ。 発も擿もあばくこと。姦は悪事伏は隠し事。 論殺 罪を調べ論じて死刑にすること。 闕を守って 宮門を囲んで。 要斬 腰斬りの刑。  
以下次回に

十八史略 乱民を治むるは、乱縄を治むるが如し(2)

2010-11-27 13:13:43 | 自由律俳句

乘傳至渤海界。郡發兵迎。遂皆遣還、移書罷捕、諸持田器者爲良民、持兵者乃爲盗。遂單車至府。盗聞即時解散。民有持刀劔者、使賣劔買牛、賣刀買犢。曰、何爲帶牛佩犢。勞來巡行。郡中皆有蓄積。獄訟止息。至是召入。

伝に乗じて渤海の界(さかい)に至る。郡、兵を発して迎う。遂(すい)皆遣(や)り還し、書を移して捕を罷(や)め、諸々田器を持する者は良民と為し、兵を持する者は乃ち盗と為す。遂(つい)に単車にて府に至る。盗、聞いて即時に解散す。民に刀剣を持する者有れば、剣を売って牛を買い、刀を売って犢(とく)を買わしむ。曰く、何為(なんす)れぞ牛を帯び犢を佩ぶるや、と。労来巡行す。郡中、皆蓄積(ちくし)あり。獄訟(ごくしょう)止息(しそく)す。是(ここ)に至って召されて入る。

龔遂は宿継ぎを乗り継いで渤海の堺にたどり着いた。郡では兵士を差し向けて出迎えたが、遂は尽く引き返させた。まず布告して盗賊の捕縛を中止させたうえ、農具を持つ者は良民、武器を持っている者は盗賊とみなすとした。護衛も連れず単身役所にむかった。これを聞いて盗賊の多くは解散した。それでも武器を棄てきれぬ者には、剣を売って、牛を買い、刀を売って小牛を買うよう勧めて「どうして牛を腰に差したり小牛を腰につけたりする者があろうか、働かせて、育てて、富を生み出すのだよ」と諭した。こうして領内をいたわりはげまして巡行し、郡中皆蓄えができ、訴訟が無くなった。こうした訳で龔遂は朝廷に召し戻され、水衡都尉に任命されたのであった。

兵 武器。 犢 小牛。 労来 来はねぎらいはげます。 蓄積 つむの意はセキ、たくわえるはシ。

十八史略 乱民を治むるは、乱縄を治むるが如し(1)

2010-11-25 08:30:44 | 十八史略
北海太守朱邑、以治行第一、入爲大司農、渤海太守龔遂入爲水衡都尉。先是渤海歳饑、盗起。選遂爲太守召見問、何以治盗。遂對曰、海濱遐遠、不沾聖化。其民飢寒、而吏不恤。使陛下赤子、盗弄兵於潢池中耳。今欲使臣勝之邪。將安之也。上曰、選用賢良、固欲安之。遂曰、治亂民、如治亂縄。不可急也。願無拘臣以文法、得便宜從事。上許焉。

北海の太守朱邑、治行第一を以って、入(い)って大司農(だいしのう)と為り、渤海の太守龔遂(きょうすい)、入って水衡都尉(すいこうとい)と為る。是より先、渤海(ぼっかい)歳饑(う)え、盗起こる。遂を選んで太守と為す。召見(しょうけん)して問う、何を以って盗を治むると。遂対(こた)えて曰く、海浜、遐遠(かえん)にして、聖化に沾(うるお)わず。其の民飢寒(きかん)して、吏(り) 恤(あわれ)まず。陛下の赤子(せきし)をして、兵を潢池(こうち)の中に盗弄(とうろう)せしむるのみ。今臣をして之に勝たしめんと欲するか、将(はた)之を安(やす)んぜんかと。上曰く、賢良を選用するは、固(もと)より之を安んぜんと欲するなり、と。遂曰く、乱民を治むるは、乱縄を治むるが如し。急にすべからざるなり。願はくは臣を拘するに文法を以ってすること無く、便宜事に従うを得しめよ、と。上、焉(これ)を許す。

北海郡(山東省)の太守の朱邑は、治績徳行とも第一であるとして、朝廷に入って大司農となり、渤海(河北省)の太守龔遂は、朝廷に入って水衡都尉になった。これというのは、渤海郡は年々飢饉に見舞われ盗賊が増えたので宣帝は龔遂を選んで太守に任命した。そこで遂を召して聞いた「どうやって盗賊を取り締まるつもりか」と。すると遂は「渤海は海辺の僻地で陛下の徳に浴しておりません。民が飢えても役人が救おうともせず、いわば陛下の赤子が溜池の中で刃物を振り回すようにしむけているようなものです。陛下は私に武力で鎮圧するのをお望みでしょうか、それとも安撫するのをお望みでしょうか」と問うた。宣帝は「わざわざ優れた人材を登用するのは安撫することを望めばこそだ」と答えた。遂は「乱れた民を治めるのはもつれた縄を解くようなもので、性急であってはなりません。どうか私を煩わしい法規でしばることなく、一存で取り計らえるようにしていただきたい」と申し上げた。宣帝はこれを許した。

水衡都尉 河川の水路灌漑、宮中の御苑を管理する官。 遐遠 遐も遠もとおいこと。兵 武器。  潢池 水溜り、渤海湾にたとえる。 


十八史略 霍氏の禍い驂乗にきざす

2010-11-24 08:47:45 | 十八史略
帝初立謁高廟、霍光驂乗。上嚴憚之。若有芒刺在背。後、張安世代光參乗。上從容肆體、甚安近焉。故俗傳、霍氏之禍、萌於驂乗。

帝、初めて立って高廟に謁するや、霍光驂乗(さんじょう)す。上(しょう)之を厳憚(げんたん)す。芒刺(ぼうし)の背に在るが若(ごと)し。後、張安世光に代って参乗す。上、従容肆体(しょうようしたい)甚だ安近す。故に俗伝う、霍氏の禍い驂乗に萌(きざ)す、と。

宣帝が即位した初め、高祖の廟に参拝のとき、霍光が陪乗したが、帝は心休まらず、まるで背中に棘がささったようであった。後に張安世光に代って陪乗するようになると、くつろいでなごやかに、近づき易くなった。それで世間では「霍氏一門の禍は、陪乗のときにきざしていたのだ」とうわさしあった。

十八史略 霍氏滅ぶ。

2010-11-18 16:15:50 | 十八史略

四年、霍氏謀反、伏誅。夷其族。告者皆封列侯。初霍氏奢縦。茂陵徐福上疏言、宜以時抑制、無使至亡。書三上。不聽。至是人爲徐生上書曰、客有過主人。見其竈直突、傍有積薪、謂主人、更爲曲突、速徒其薪。主人不應。俄失火。郷里共救之、幸而得息。殺牛置酒、謝其郷人。人謂主人曰、郷使聽客之言、不費牛酒、終無火患。今論功而賞、曲突徒薪無恩澤、焦頭燗額爲上客邪。上乃賜福帛、以爲郎。

四年、霍氏謀反し、誅に伏(ふく)す。その族を夷(たい)らぐ。告ぐる者、皆列侯に封ぜらる。初め霍氏、奢縦(しゃしょう)なり。茂陵の徐福、上疏(じょうそ)して言う、「宜しく時を以って抑制し、亡に至らしむること無かるべし」と。書三たび上(たてまつ)る。聴かず。是に至って人、徐生の為に上書して曰く、「客、主人を過(よぎ)るもの有り。その竈(かまど)の直突にして、傍らに積薪(せきしん)有るを見、主人に謂う、更めて曲突(きょくとつ)を為(つく)り、速やかにその薪を徒(うつ)せと。主人応ぜず。俄(にわ)かに火を失す。郷里共に之を救い、幸いにして息(や)むを得たり。牛を殺し、酒を置いて、その郷人に謝す。人、主人に謂って曰く、郷(さき)に客の言を聴(き)かしめば、牛酒を費やさず、終(つい)に火の患無かりしならん。今、功を論じて賞するに、曲突薪を徒せというものに恩沢無くして、頭を焦がし額を燗(ただ)らすものを上客となすかと」と。上乃ち福に帛(はく)を賜い、以って郎と為す。

地節四年に、霍氏一族が謀反をはかり、誅せられて皆殺しにされた。謀反を告発した者を皆列侯に封じた。以前より霍氏一門はおごりたかぶっていたので、茂陵の徐福というものが「今のうちに霍氏を抑えつけて、滅亡にまで至らないようにするべきでしょう」と書をたてまつった。上書は三度に及んだが、聴き入れられなかった。こうして霍氏の謀反が誅せられるに及んで、ある人が徐福の為にこう上書した「ある家を訪れたものが、竈の煙突がまっすぐで、傍に薪が積んであるのを見て主人に、新たに曲がった煙突に造り直し、薪を他所に移さないと火事になりますよ。と忠告したところ、主人は応じませんでした。やがてその竈から失火しましたが、村人たちの協力を得て消し止めることができた。主人は喜んで牛を殺し、酒を用意して村人たちに振るまい、感謝しました。ある人が主人に向って“先に客人の忠告を聴き入れていれば、牛や酒の用意も、火事の災いも無かったでしょう。ところが今、謝礼をする段になって、煙突を曲げなさい、薪を移しなさいと言ったものには何の音沙汰もなく、頭を焦がし、額を爛れさせた者だけをありがたがるとはどうしたことでしょう”と申したそうでございます」と。宣帝はその意を悟って徐福に絹を下賜し、さらに郎官に取り立てた。

曲突 火の粉がすくないからか。 過る おとずれるの意。 郷に 以前の意。