陳主聞有隋兵、謂近臣曰、王氣在此。彼何爲者。孔範曰、長江天塹。豈能飛渡。臣毎患官卑。虜若渡江、定作大尉公矣。陳主以爲然。奏伎縱酒、賦詩不輟。賀若弼自廣漢濟江、韓擒虎自横江宵濟采石。守者皆醉。擒虎遂自新林進直入朱雀門。陳主自投景陽井中。軍人窺井、將下石。乃叫。以縄引之、與張麗華・孔貴嬪、同束而上。俘以歸。後主在位七年。改元者二、曰至、曰禎明。陳自高祖武帝、至是五世、凡二十二年而亡。
陳主、隋兵有りと聞き、近臣に謂って曰く、「王気此に在り。彼何為(なんす)る者ぞ」と。孔範曰く、「長江は天塹(てんざん)なり。豈能く飛び渡らんや。臣毎(つね)に官の卑(ひく)きを患(うれ)う。虜(りょ)若(も)し江を渡らば、定めて大尉公とならん」と。陳主、以為(おも)えらく、「然り」と。伎(ぎ)を奏し酒を縦(ほしいまま)にし、詩を賦して輟(や)めず。賀若弼(がじゃくひつ)、広漢より江を渡り、韓擒虎(かんきんこ)、横江より宵(よる) 采石(さいせき)に済(わた)る。守者皆酔う。擒虎遂に新林より進んで、直ちに朱雀門に入る。陳主、自ら景陽の井中に投ず。軍人井を窺い、将に石を下さんとす。乃(すなわ)ち叫ぶ。縄を以って之を引くに、張麗華・孔貴嬪と、同じく束ねて上がる。俘(とら)えて以(い)て帰る。
後主在位七年。改元すること二、至と曰い禎明と曰う。陳は高祖武帝自り、是に至るまで五世、凡て二十二年にして亡びぬ。
天塹 天然の塹壕。 大尉公 三公の一、軍事の長。 伎 女楽。 以て 連れて。
陳の後主は隋の兵が侵攻してきたと聞き、「建康は帝王の気の存する地だ。彼らに何ができようか」と近臣に言うと、孔範がすかさず「長江は自然の濠で守られています。彼奴らに飛び越えることなどできるはずがありません。臣はかねがね官職が低いと感じております、もしも敵が渡ってきたら、好機到来これを平らげて、三公の位をいただきましょう」と応えた。陳主は安堵して相変わらず歌舞と酒宴に耽り、詩賦に時をすごしていた。この間に隋の将軍賀若弼が広漢より揚子江を渡り、韓擒虎は横江から夜陰に紛れて采石磯に渡ったが、陳の守備兵は残らず酔いつぶれて擒虎軍は新林から直ちに朱雀門に攻め入った。後主は自分から景陽殿の空井戸に身を潜めた。隋の兵が井戸を調べて石を投げ入れようとすると中から叫び声がしたので縄につかまらせて引き上げると、後主・張麗華・孔貴嬪が共に上がってきた。こうして捕えて連れ帰った(589年)
後主は位に在ること七年、改元すること二回、至・禎明がそれである。陳は高祖武帝からここまで五代、あわせて二十二年で滅亡した。