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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

新年のご挨拶

2015-01-01 10:00:00 | 自由律俳句
 あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
久しぶりに漢詩を作ってみました。

 新年書懐
幾度迎春感益滋   幾度か春を迎えて感益々滋し
蒼顔白首養痾時   蒼顔白首痾(あ)を養うの時
功名富貴浮生事   功名富貴は浮生(ふせい)の事
遮莫先呈梅一枝   さもあらばあれ先ず呈す梅一枝

十八史略 後主井戸に潜む

2012-08-25 08:26:59 | 自由律俳句

陳主聞有隋兵、謂近臣曰、王氣在此。彼何爲者。孔範曰、長江天塹。豈能飛渡。臣毎患官卑。虜若渡江、定作大尉公矣。陳主以爲然。奏伎縱酒、賦詩不輟。賀若弼自廣漢濟江、韓擒虎自横江宵濟采石。守者皆醉。擒虎遂自新林進直入朱雀門。陳主自投景陽井中。軍人窺井、將下石。乃叫。以縄引之、與張麗華・孔貴嬪、同束而上。俘以歸。後主在位七年。改元者二、曰至、曰禎明。陳自高祖武帝、至是五世、凡二十二年而亡。

陳主、隋兵有りと聞き、近臣に謂って曰く、「王気此に在り。彼何為(なんす)る者ぞ」と。孔範曰く、「長江は天塹(てんざん)なり。豈能く飛び渡らんや。臣毎(つね)に官の卑(ひく)きを患(うれ)う。虜(りょ)若(も)し江を渡らば、定めて大尉公とならん」と。陳主、以為(おも)えらく、「然り」と。伎(ぎ)を奏し酒を縦(ほしいまま)にし、詩を賦して輟(や)めず。賀若弼(がじゃくひつ)、広漢より江を渡り、韓擒虎(かんきんこ)、横江より宵(よる) 采石(さいせき)に済(わた)る。守者皆酔う。擒虎遂に新林より進んで、直ちに朱雀門に入る。陳主、自ら景陽の井中に投ず。軍人井を窺い、将に石を下さんとす。乃(すなわ)ち叫ぶ。縄を以って之を引くに、張麗華・孔貴嬪と、同じく束ねて上がる。俘(とら)えて以(い)て帰る。
後主在位七年。改元すること二、至と曰い禎明と曰う。陳は高祖武帝自り、是に至るまで五世、凡て二十二年にして亡びぬ。


天塹 天然の塹壕。 大尉公 三公の一、軍事の長。 伎 女楽。 以て 連れて。

陳の後主は隋の兵が侵攻してきたと聞き、「建康は帝王の気の存する地だ。彼らに何ができようか」と近臣に言うと、孔範がすかさず「長江は自然の濠で守られています。彼奴らに飛び越えることなどできるはずがありません。臣はかねがね官職が低いと感じております、もしも敵が渡ってきたら、好機到来これを平らげて、三公の位をいただきましょう」と応えた。陳主は安堵して相変わらず歌舞と酒宴に耽り、詩賦に時をすごしていた。この間に隋の将軍賀若弼が広漢より揚子江を渡り、韓擒虎は横江から夜陰に紛れて采石磯に渡ったが、陳の守備兵は残らず酔いつぶれて擒虎軍は新林から直ちに朱雀門に攻め入った。後主は自分から景陽殿の空井戸に身を潜めた。隋の兵が井戸を調べて石を投げ入れようとすると中から叫び声がしたので縄につかまらせて引き上げると、後主・張麗華・孔貴嬪が共に上がってきた。こうして捕えて連れ帰った(589年)
後主は位に在ること七年、改元すること二回、至・禎明がそれである。陳は高祖武帝からここまで五代、あわせて二十二年で滅亡した。

十八史略 

2012-05-29 09:12:56 | 自由律俳句
夏主勃勃、聞裕伐秦曰、裕必取關中。然不能久留。若以子弟諸將守之、吾取之如拾芥耳。至是三秦父老、聞裕將還、詣門流涕曰、殘民不霑王化、於今百年、始覩衣冠、人人相賀。公捨此欲何之乎。裕還彭城。勃勃陥長安稱帝、歸統萬。
晉以裕爲相國宋公、加九錫。裕以讖云昌明之後尚有二帝、乃使人縊晉帝弑之。帝在位二十三年。改元者二。曰隆安・義熙。義熙元年至十四年、則劉裕爲政之日也。弟瑯琊王立。是爲恭皇帝。

夏主勃勃、裕の秦を伐つを聞いて曰く、「裕、必ず関中を取らん。然れども、久しく留まる能わず。若し子弟諸将を以って之を守らしめば、吾之を取ること、芥(あくた)を拾うが如きのみ」と。是(ここ)に至って、三秦の父老、裕の将(まさ)に還らんとするを聞き、門に詣(いた)って流涕して曰く、「残民、王化に霑(うるお)わず、今に於いて百年、始めて衣冠を覩(み)、人々相賀す。公、此れを捨てて、何(いずこ)に之(ゆ)かんと欲するか」と。裕、彭城に還る。勃勃、長安を陥れて帝と称し、統萬に帰る。
晋、裕を以って相国宋公と為し、九錫を加う。裕、讖(しん)に昌明の後尚お二帝有りと云うを以って、乃ち人をして晋帝を縊(くび)らしめて、之を弑す。帝、在位二十三年。改元する者(こと)二、隆安・義熙(ぎき)と曰う。義熙元年より十四年に至るまでは、則ち劉裕が政を為すの日なり。弟瑯琊王立つ。是を恭皇帝と為す。


三秦 前秦・後秦・西秦、関中。 残民 戦乱に行き場を無くして残された民。 王化 王の徳によって世の中を良くすること。 相国 宰相。 讖 予言の書。 昌明 孝武帝の字。 

夏主の赫連勃勃は、晋の劉裕が秦を伐つと聞いて「裕はきっと関中も取るであろう。しかしいつまでも関中に留まっていることはできまい。もし子弟か部下の将軍をもって守ろうとするならば、これを奪い取ることはごみを拾うようにわけもないことである」と言った。いよいよ劉裕が晋に還るときになって、三秦の年寄り達が、聞きつけて門に集まり涙を流して「長い戦争で逃げ場もない民草は晋朝の恩恵に浴しないことが百年も続いています。今やっと衣冠をつけた役人を見ることができて、喜びあっています。それなのに公はここを見捨てて何処に行かれるのでしょうか」と訴えた。それでも劉裕は子に後を託して彭城に還った。果たして勃勃は長安を陥落させ、自ら帝と称して統万に帰った。
晋では劉裕の功績を賞して相国となし、宋公に封じて九錫を賜った。劉裕は予言の書に、孝武帝昌明の後になお二帝がある、と書かれていたので人を遣って一人目の安帝を縊り殺してしまった。安帝は在位二十三年で改元すること二回、隆安・義熙といった。義熙元年から十四年間は劉裕が政治を行った時期である。弟の瑯琊王が立った。是を恭皇帝という。