唐の子孫を殺して殆ど尽くさん
則天武氏、故荊州都督武士彠之女也。太原人。年十四、太宗聞其美、召入後宮。以貞觀十一年爲才人。時天下歌曲、名■媚娘。已成讖。貞觀末、太白屢晝見。太史占云、女主昌。又傳秘記、唐三世後、女主武王代有天下。太宗惡之。嘗與羣臣宴、令各言小名。武衞將軍李君羨、官稱封邑、皆有武字、而小名五娘。太宗愕曰、何物女子、乃爾健邪。或奏、君羨謀不軌。遂誅之。
密問太史李淳風。對曰、臣仰觀天象、俯察暦數、其人已在陛下宮中。不過三十年、當王天下。殺唐子孫殆盡。其兆已成矣。 (■女偏に武)
則天武氏、故(もと)の荊州都督、武士彠(ぶしわく)の女(じょ)なり。太原の人。年十四、太宗其の美を聞き、召して後宮に入る。貞観十一年を以って才人となる。時に天下の歌曲を、■媚娘(ぶびじょう)と名づく。已に讖(しん)を成す。貞観の末、太白しばしば昼見(あら)わる。太史占して云う、「女主昌(さかん)ならん」と。又秘記を伝う、「唐三世の後、女主武王代って天下を有(たも)たん」と。太宗之を悪(にく)む。嘗て群臣と宴し、各々をして小名を言わしむ。武衛将軍李君羨(りくんせん)、官称封邑(かんしょうほうゆう)皆武の字あり、而して小名は五娘(ごじょう)と。太宗愕(おどろ)いて曰く、「何物の女子ぞ、乃ち爾(しか)く健なるや」と。或るひと奏す、「君羨、不軌(ふき)を謀る」と。遂に之を誅す。
密かに太史李淳風(りじゅんぷう)に問う、対えて曰く、「臣、仰いで天象を観、俯して地の暦数を察するに、その人すでに陛下の宮中に在り。三十年を過ぎずして、当(まさ)に天下に王たるべし。唐の子孫を殺して殆ど尽くさん。その兆すでに成れり」と。
太原 山西省太原市 讖 前兆。 太白 金星。 太史 天文、記録を司る官。 小名 幼名。 官称封邑 官は左武衛将軍、封邑は武連県公。 不軌 反逆。太史李淳風 渾天儀を作った。また数学、暦学、天文学の注釈書を著した。
則天武氏はもと荊州都督の武士彠の娘で太原の人である。十四の時、その美貌が太宗の耳に入り、後宮に召された。貞観十一年に才人となり、■媚という名を賜った。おりしも、世間で■媚娘という歌曲が流行っていたので、すでに武后が台頭する予兆があらわれていた。貞観の末、太白星が白昼現れるという凶兆がしばしば起こった。太史が占ってみると「女帝が栄える」と出た。また「唐は三代の後に女帝武王が天下をとるだろう」と記したものがこっそり伝わっていた。それを知った太宗はひどく気に病んだ。
あるとき、群臣と宴のおり、皆の幼名を言わせたところ、武衛将軍の李君羨という者が、官称にも封邑にも武の字が付いており、幼名は五娘と女児の名であった。太宗は「なんといかつい女がいたものだ」と笑っていたが、内心は穏やかでなかった。そしてその後、或る者が「君羨が反逆を企んでいます」と奏上したので遂に決断して誅殺してしまった。それでも不安が払えない太宗は、内密に太史の李淳風に問うた。それに答えて「私が仰いで天の運行を見、俯して地の暦数から察するに、その者はすでに陛下の宮中に在り、三十年を経ぬうちに、天下に王となり、唐王室の子孫をほとんど根絶やしにすることでしょう。それはすでに動かすことはできません」と申し上げた。
則天武氏、故荊州都督武士彠之女也。太原人。年十四、太宗聞其美、召入後宮。以貞觀十一年爲才人。時天下歌曲、名■媚娘。已成讖。貞觀末、太白屢晝見。太史占云、女主昌。又傳秘記、唐三世後、女主武王代有天下。太宗惡之。嘗與羣臣宴、令各言小名。武衞將軍李君羨、官稱封邑、皆有武字、而小名五娘。太宗愕曰、何物女子、乃爾健邪。或奏、君羨謀不軌。遂誅之。
密問太史李淳風。對曰、臣仰觀天象、俯察暦數、其人已在陛下宮中。不過三十年、當王天下。殺唐子孫殆盡。其兆已成矣。 (■女偏に武)
則天武氏、故(もと)の荊州都督、武士彠(ぶしわく)の女(じょ)なり。太原の人。年十四、太宗其の美を聞き、召して後宮に入る。貞観十一年を以って才人となる。時に天下の歌曲を、■媚娘(ぶびじょう)と名づく。已に讖(しん)を成す。貞観の末、太白しばしば昼見(あら)わる。太史占して云う、「女主昌(さかん)ならん」と。又秘記を伝う、「唐三世の後、女主武王代って天下を有(たも)たん」と。太宗之を悪(にく)む。嘗て群臣と宴し、各々をして小名を言わしむ。武衛将軍李君羨(りくんせん)、官称封邑(かんしょうほうゆう)皆武の字あり、而して小名は五娘(ごじょう)と。太宗愕(おどろ)いて曰く、「何物の女子ぞ、乃ち爾(しか)く健なるや」と。或るひと奏す、「君羨、不軌(ふき)を謀る」と。遂に之を誅す。
密かに太史李淳風(りじゅんぷう)に問う、対えて曰く、「臣、仰いで天象を観、俯して地の暦数を察するに、その人すでに陛下の宮中に在り。三十年を過ぎずして、当(まさ)に天下に王たるべし。唐の子孫を殺して殆ど尽くさん。その兆すでに成れり」と。
太原 山西省太原市 讖 前兆。 太白 金星。 太史 天文、記録を司る官。 小名 幼名。 官称封邑 官は左武衛将軍、封邑は武連県公。 不軌 反逆。太史李淳風 渾天儀を作った。また数学、暦学、天文学の注釈書を著した。
則天武氏はもと荊州都督の武士彠の娘で太原の人である。十四の時、その美貌が太宗の耳に入り、後宮に召された。貞観十一年に才人となり、■媚という名を賜った。おりしも、世間で■媚娘という歌曲が流行っていたので、すでに武后が台頭する予兆があらわれていた。貞観の末、太白星が白昼現れるという凶兆がしばしば起こった。太史が占ってみると「女帝が栄える」と出た。また「唐は三代の後に女帝武王が天下をとるだろう」と記したものがこっそり伝わっていた。それを知った太宗はひどく気に病んだ。
あるとき、群臣と宴のおり、皆の幼名を言わせたところ、武衛将軍の李君羨という者が、官称にも封邑にも武の字が付いており、幼名は五娘と女児の名であった。太宗は「なんといかつい女がいたものだ」と笑っていたが、内心は穏やかでなかった。そしてその後、或る者が「君羨が反逆を企んでいます」と奏上したので遂に決断して誅殺してしまった。それでも不安が払えない太宗は、内密に太史の李淳風に問うた。それに答えて「私が仰いで天の運行を見、俯して地の暦数から察するに、その者はすでに陛下の宮中に在り、三十年を経ぬうちに、天下に王となり、唐王室の子孫をほとんど根絶やしにすることでしょう。それはすでに動かすことはできません」と申し上げた。