寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略 李淵挙兵す

2012-09-29 09:43:40 | 十八史略

會煬帝以淵不能禦寇、遣使者執詣江都。世民與寂等、復説曰、事已迫矣。宜早
定計。且晉陽士馬精強、宮監蓄積巨萬。代王幼冲、關中豪傑竝起。公若鼔行而西、撫而有之、如探嚢中物耳。淵乃召募起兵。遠近赴集。仍遣使借兵於突厥。世民引兵撃西河抜之、斬郡丞高儒、數之曰、汝指野鳥爲鸞、以欺人主。吾興義兵、正爲誅侫人耳。進兵取霍邑、克臨汾・絳郡、下韓城降馮翊。

会(たまたま) 煬帝、淵が寇(こう)を禦(ふせ)ぐこと能(あた)わざるを以って、使者を遣わし、執(とら)えて江都に詣(いた)らしむ。世民、寂らと、復説いて曰く、「事已(すで)に迫れり。宜しく早く計を定むべし、且つ晋陽の士馬は精強にして、宮監(きゅうかん)の蓄積は巨万なり。代王幼冲(ようちゅう)にして、関中の豪傑並び起これり。公若し鼔行(ここう)して西し、撫して之を有せば、嚢中(のうちゅう)の物を探るが如きのみ」と。淵乃ち召募(してしょうぼ)して兵を起す。遠近赴き集まる。仍(よ)って使いを遣わして兵を突厥に借る。世民、兵を引いて西河を撃って之を抜き、郡丞(ぐんじょう)高徳儒を斬り、之を数(せ)めて曰く、「汝、野鳥を指して鸞(らん)となし、以って人主を欺く。吾義兵を起すは、正に侫人を誅せんが為のみ」と。兵を進めて霍邑(かくゆう)を取り、臨汾(りんぷん)・絳郡に克ち、韓城を下し馮翊(ひょうよく)を降す。

宮監 晋陽宮の蔵。 幼冲 ともに幼いこと。 鼔行 陣太鼓を打ちながら進軍する。 郡丞 郡の次官。 数める 罪状を数えあげて詰問する。 鸞 瑞鳥。 

たまたまその時、煬帝は李淵が突厥の侵攻を防ぐことができなかったことを責めて使者を遣わし、捕えて江都に送らせようとした。世民は裴寂らと再び説いて「事はいよいよ切迫しております。速やかに決断せねばなりません。晋陽の兵馬は精強です。離宮には巨万の富が蓄積されています。代王は幼少で後ろだてもなく、関中では一かどの豪傑どもが並び起こっています。父上が軍鼓を打ち鳴らして西に向かい、連中を取り込めば、袋の中を探り取るようなものでございます」と促がした。李淵はここにきてようやく兵を招集して軍を起した。すると四方から続々と馳せ参じて来た。そして使者を派遣して突厥からも兵を借りた。世民は兵を率いて西河郡を攻め落とし、郡の次官の高徳儒を引き出し、「お前はただの野鳥を太平の世に現れるという鸞と偽り、君主を欺き取り入った。我々が義兵を起したのはお前のようなへつらい人を誅滅するためだ」と罪状をあげて斬った。世民はさらに兵を進めて霍邑県を取り、臨汾県・絳郡を陥れ、韓城県を下し、馮翊郡を降した。

十八史略 家を破り身を亡ぼすも、亦汝に由らん

2012-09-27 08:59:01 | 十八史略

淵曰、吾豈忍告。汝愼勿出口。明日復説曰、人皆傳、李氏當應圖讖。故李金才無故族滅。大人能盡賊、則功高不賞、身危矣。惟昨日之言、可以救禍。此萬全策。願勿疑。淵歎曰、吾一夕思汝言、亦大有理。今日破家亡身、亦由汝。化家爲國、亦由汝矣。先是裴寂私以晉陽宮人侍淵。淵從寂飮。酒酣寂曰、二郎陰養士馬、欲擧大事、正爲寂以宮人侍公、恐事覺併誅耳。

淵曰く、「吾、豈告ぐるに忍びんや。汝、慎んで口より出だす勿れ」と。明日(めいじつ)、復た説いて曰く、「人皆伝う、李子当(まさ)に図讖(としん)に応ずべしと。故に、李金才は故無くして族滅せられぬ。大人(たいじん)能(よ)く賊を尽くさば、則ち功高くして賞せられず、身益々危からん。惟昨日の言、以って禍を救う可し。此れ万全の策なり。願わくは疑う勿れ」と。淵、歎じて曰く、「吾一夕、汝の言を思うに、亦大いに理あり。今日(こんにち)、家を破り身を亡ぼすも、亦汝に由(よ)らん。家を化して国を為すも、亦汝に由らん」と。是より先、裴寂(はいせき)、私(ひそか)に晋陽の宮人を以って淵に侍せしむ。淵、寂に従って飲む。酒酣(たけなわ)にして寂曰く、「二郎陰(ひそか)に士馬を養い、大事を挙げんと欲するは、正に寂が宮人を以って公に侍せしめ、事覚(あら)われなば併せ誅せられんことを恐るるが為のみ。

図讖 予言書。 李金才 予言書に合致する者と疑われて一族皆殺しにされた。

淵はそれを聞くと「どうして死罪などにできようか。だからお前もきっと口を慎むのだぞ」と言った。あくる日世民はまた説いて「世間では、李氏が予言書にある通り、天下を覆すに違いない、とうわさしています。ですから彼の李金才も皆殺しの憂き目に遇ったのではどざいませんか。父上が賊を掃討しましても、称揚されることはありますまい。むしろますます御身が危険になるばかりでございます。ただ一つ昨日申し上げた手立てのみ、この危機を救う万全の策でございます。決して疑わないでください」と再び決行を促した。李淵は「わしはゆうべ一晩考えたがお前の言ったこともおおいに理がある、この家が絶え、身を亡ぼすも、家が興り一国にするもお前の考えに賭けてみようか、とも思う」と苦渋に満ちた面持ちで答えた。
これより前、裴寂もまた手をまわして、晋陽の宮女を連れだして密かに李淵の側に侍らせておいた。ある日のこと、李淵は裴寂の邸で酒を飲んでいた。宴たけなわになった頃「ご次男は将士と軍馬を養っておられるが、ご存じでしょうか、それは何故かといえば、私が密かに宮女を連れ出してあなたの側に侍らせたから、それが発覚すればあなたと私のみならず、自身も巻き添えになると恐れたからでございます」と暗に決行を促した。

十八史略 敢えて死を辞せず

2012-09-25 11:28:40 | 十八史略
文靜謂世民曰、今主上南巡、羣盗萬數。當此之際、有眞主驅駕而用之、取天下如反掌耳。太原百姓収拾、可得十萬人。尊公所將兵復數萬、以此乘虡入關、號令天下、不過半年、帝業成矣。世民笑曰、君言正合我意。乃陰部署。而淵不知也。會淵兵拒突厥不利、恐獲罪。世民乘説淵、順民心興義兵、轉禍爲福。淵大驚曰、汝安得爲此言。吾今執汝告縣官。世民徐曰、世民覩天時人事如此。故敢發言。必執告。不敢辭死。

文静、世民に謂いて曰く、「今主上南巡し、群盗万もて数う。此の際に当り、真主有って駆駕(くが)して之を用いば、天下を取らんこと掌(たなごころ)を反すが如きのみ。太原の百姓(ひゃくせい)収拾せば、十万人を得(う)べし。尊公の将たる所の兵また数万あり。此れを以って虚に乗じて関に入り、天下に号令せば、半年を過ぎずして、帝業成らん」と。世民笑いて曰く、「君が言正に我が意に合えり」と。乃ち陰(ひそか)に部署す。而して淵は知らざるなり。会(たまたま)淵の兵、突厥を拒(ふせ)いで利あらず、罪を得んことを恐る。世民、間に乗じて淵に説く、「民心に順(したが)いて義兵を興さば、禍を転じて福となさん」と。淵、大いに驚いて曰く、「汝、安(いずく)んぞ此の言を為すを得ん。吾いま、汝を執(とらえ)て県官に告げん」と。世民徐(おもむろ)に曰く、「世民、天の時人の事を覩(み)るに此(かく)の如し、故に敢えて言を発す。必ず執えて告ぐとも、敢えて死を辞せず」と。


主上 煬帝のこと。 真主 真に天子として相応しい者。 駆駕 馬を走らせること、使役すること。 尊公 李淵のこと。 部署 手はずを整える。 県官 朝廷の意。 覩 観に同じ。

劉文静が李淵の二男の世民に説いた。「今、帝は南に巡幸したまま江都に留まって還ろうとしません。その間に中原は、万を数える盗賊が群がり起こっています。この機会に、真の天子たるにふさわしい人物唐公が、この連中を上手く使うことです。この地太原の民十万、お父上の兵も数万ありましょう、これだけ居ればこの隙に乗じて関中に入り、天下に号令すれば半年を経ずして手中におさめることができましょう。」世民は「いやはや君も同じことを考えたものだな」と会心の笑みを浮かべて頷いた。そして密かに手はずを整え始めたが、李淵には一切知らせなかった。ちょうどその頃、李淵の部下が突厥と戦って敗れた。煬帝の怒りを恐れていた李淵に、世民が吹き込んだ「民の気持ちはご存知でしょうここで正義の兵を起こせば、禍いを転じて福となすことができるでしょう」と。李淵おおいに驚いて「何を言う気は確かか、正気ならばひっ捕らえて役人に引き渡さなければならん」世民は落ち着いた口調で「この私が天の運行と世情を見極めたうえで敢えて申し上げました。捕えて役人に引き渡すとも、死罪を申し渡されようとも、やむを得ないことです」と言った。

十八史略 唐、神堯皇帝

2012-09-22 12:59:39 | 十八史略

唐高祖堯皇帝姓李氏、名淵。隴西成紀人也。西涼武昭王之後。祖虎仕西魏有功。封隴西公。父於周世封唐公。淵襲爵。隋煬帝以淵爲弘化留守。御衆寛簡。人多附之。煬帝以淵相表奇異、名應圖讖忌之。淵懼、縱酒納賂以自晦。天下盗起。以淵爲山西・河東撫慰大使。承制黜捗、討捕羣盗多捷。突厥寇邊。詔淵撃之。淵次子世民、聰明勇決、識量過人。見隋室方亂、陰有安天下之志。與晉陽宮監裴寂・晉陽令劉文靜相結。

唐の高祖、神堯皇帝(しんぎょうこうてい)、姓は李氏、名は淵。隴西(ろうせい)成紀の人なり。西涼の武昭王(こう)の後(のち)なり。祖の虎(こ)、西魏に仕えて功有り。隴西公(ろうせいこう)に封ぜらる。父の(へい)、周の世に於いて唐公に封ぜらる。淵、爵を襲(つ)ぐ。隋の煬帝、淵を以って弘化の留守(りゅうしゅ)と為す。衆を御すること寛簡(かんかん)なり。人多く之に附く。煬帝、淵の相表奇異にして名、図讖(としん)に応ずるを以って之を忌む。淵懼れ、酒を縦(ほしいまま)にし賂(まいない)を納(い)れて以って自ら晦(くら)ます。天下盗起こる。淵を以って山西・河東の撫慰大使と為す。制を承けて黜捗(ちゅっちょく)し、群盗を討捕(とうほ)して多く捷(か)つ。突厥、辺に寇(あだ)す。淵に詔(みことのり)して之を撃たしむ。淵の次子世民、聡明勇決にして、識量人に過ぐ。隋室の方(まさ)に乱るるを見て、陰(ひそか)に天下を安んずるの志有り。晋陽の宮監(きゅうかん) 裴寂(はいせき)・晋陽の令劉文静(りゅうぶんせい)と相結ぶ。

寛簡 ゆるやかで簡素。 相表 人相。 留守 天子が行幸や遠征に出た間、代って都を守る。 図讖 預言書、「深水、黄楊を歿す」とあった。深水は淵に付会し、楊は隋帝に付会する。 黜捗 黜は退ける、捗は登用すること。 宮監 離宮の監督。 

唐の高祖、神堯皇帝、姓は李氏、名は淵。隴西成紀の人である。西涼の武昭王李の後裔である。祖父の李虎は西魏に仕えて功績をあげ、隴西公に封じられ、父の李は北周のとき唐公に封じられた。李淵はその爵位を嗣いだ。
隋の煬帝が淵を弘化郡の留守の役にしたところ、部下の統率にあたって、寛大で細かいことを追求しなかったので、多くの人が附き慕った。煬帝は李淵の相が非凡であり、さらに名が預言書と符合していたので、忌み嫌った。淵は誅伐されることを恐れ、酒浸りになったり、賄賂を受け入れたりして凡庸をよそおった。
天下に群盗が蜂起した。煬帝は李淵を山西・河東の撫慰大使に任命した。李淵は慎重に官吏の任免にも煬帝の決裁をあおいだ。そして次々に群盗を討伐していった。その後突厥が辺境を侵略してきたときも李淵に討伐の詔勅が下った。
ところで淵の次男の世民は聡明で、勇気と決断に富み、識見と度量ともに人に優れていた。隋の皇室が乱れているのを見るにつけ、天下を泰平にしようとする志を強くした。そして晋陽の離宮監督官の裴寂と晋陽の長官の劉文静の二人と誼(よしみ)を通じた。


十八史略 隋帝恭、唐王に禅(ゆず)る

2012-09-20 08:35:20 | 十八史略

恭皇帝名侑。煬帝之孫也。年十三爲李淵所立。改大業十三年爲義寧。淵爲大丞相、封唐王。煬帝在江都、淫虐日甚、酒巵不離口。見中原已、無心北歸。從駕多關中人、思歸遂謀叛、以許公宇文化及爲主、夜引兵入宮、縊殺煬帝。宗室無少長皆死。惟存秦王浩立之、而自爲大丞相、擁衆而西。
梁蕭銑稱帝於江陵。
隋帝侑、即位半年禪于唐。隋自高祖至是三世、凡三十七年而亡。

恭皇帝名は侑(ゆう)、煬帝の孫なり。年十三にして李淵の立つところとなる。大業十三年を改めて義寧(ぎねい)となす。淵、大丞相となり、唐王に封ぜらる。煬帝、江都に在って、淫虐日に甚だしく、酒巵(しゅし)口を離さず。中原の已に乱れたるを見て、北帰(ほっき)するに心無し、駕(が)に従うものは関中の人多く、帰を思うて遂に謀叛し、許公の宇文化及(うぶんかきゅう)を以って主となし、夜兵を引いて宮に入り、煬帝を縊殺(いさつ)す。宗室少長となく皆死せり。惟だ秦王浩を存して之を立て、自ら大丞相となり、衆を擁して西す。
梁の蕭銑、帝を江陵に称す。
隋帝侑、位に即いて半年にして唐に禅(ゆず)る。隋、高祖自(よ)りここに至るまで三世、凡(すべ)て三十七年にして亡ぶ。


恭皇帝は名を侑といい、煬帝の孫である。十三歳にして李淵に立てられた。大業十三年を改めて、義寧元年とした。李淵は大丞相となり、唐王に封ぜられた。煬帝は江都の離宮に留まって、淫虐は日に日にひどくなるばかりで、酒盃を口から離す間もなかった。中原が争乱の地と化したのを知っても、北の長安に帰る気は無くしていた。帝の車駕に従ってきた者は関中の人が多く、帰心を募らせた末にとうとう煬帝に背いた。許公の宇文化及が首謀して、夜兵を率いて宮中に入り、煬帝を縊(くび)り殺した。帝の一族は老若となく皆殺しにした。ただ秦王浩だけは殺さず帝とし、化及は大丞相となって西の関中へと向かった。
梁王を名乗っていた蕭銑は江陵で帝を称した。
隋の恭帝侑が、即位して半年で唐に禅譲した(618年)。隋は高祖文帝からここに至るまで三世、あわせて三十七年で滅亡した。