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寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

十八史略拾い読み

2008-12-31 13:58:01 | Weblog
 いよいよ残り一日となりました。昨夜は風邪気味で時々呼吸が苦しくなって良く眠れませんでした。年賀状の宛名記入を午前中やって新井薬師のヤマトへ。ところで、イスラエルのガザ地区への空爆とハマスのロケット弾攻撃はまだ止みそうにありません、年を越すのは必至です。何とかしようとフランスなどが呼びかけているようですが。

桓公より八世にして景公に至る。晏子という者有り、之に事(つか)う。名は嬰、字は平仲。節倹力行を以て齊に重んぜらる。一狐裘三十年、豚肩豆(とう)を掩(おお)わず。齊国の士、待って以て火を挙ぐる者、七十余家あり。中略 公、晏子をして晉に之(ゆ)かしむ。叔向(しゅくきょう)と私語し、以為(おも)えらく、齊の政(まつりごと)は必ず陳氏に帰せん、と。其の言の如し。景公の後五世にして康公に至る。田和、周の安王の命を受けて侯と為り、康公を海浜に遷(うつ)して以て死せしむ。姜氏遂に絶えて祀(まつ)らず。

桓公から八世景公に仕えた晏嬰は倹約家、努力家として齊に重く用いられていた。狐の皮ごろもを三十年着て、豚の供え物は豆という祭器に盛っても隠れるほどに質素であった。しかし齊国の人の中に晏子の援助を待って炊事の出来る者が七十余家もあった。 中略 景公は嘗て晏子を晉に使いにやった。その時晉の叔向と私語してわが国齊の政治は将来陳氏に帰すでしょうと言った。果たして景公の五代後康公の時、田和(でんか)という者が、周の安王の命を受けて諸侯となり、康公を海辺に追いやってそこで死なせた。齊の姜氏は断絶して先祖の霊をまつる者が居なくなった。

十八史略拾い読み 尸蟲、戸より出ず

2008-12-30 10:21:46 | Weblog
掃除が終って二階のT氏と千年の宴へ、ここは失業者の大量雇用で話題になった居酒屋チエーンの一店舗です。T氏の奢りです、ご馳走さまでした。
では十八史略をつづけます

 仲、病(へい)す。桓公問う、群臣誰か相とす可き。易牙は何如(いかん)、と。仲曰く、子を殺して以て君に食わしむ。人情に非ず。近づく可からず、と。開方は何如、と。曰く、親に倍(そむ)いて以て君に適う。人情に非ず。近づく可からず、と。竪刁(じゅちょう)は何如、と。曰く、自から宮して以て君に適う。人情に非ず。近づく可からず、と。仲、死す。公、仲の言を用いずして、卒(つい)に之を近づく。三子、権を専(もっぱら)にす。公、内寵、夫人の如き者六、皆子有り。公薨(こう)ず。五公子立たんことを争うて相攻む。公の尸、牀に在って、殯斂(ひんれん)する無き者(こと)六十七日、尸蟲、戸より出ず。

倍はい 背に同じ  宮 去勢する、宦官になること。 薨 貴人の死 尸 屍に同じ  殯斂 もがり、納棺  尸蟲 うじ

十八史略拾い読み 管鮑の交わり

2008-12-28 09:24:04 | Weblog
 いよいよ残り4日になってきました。年賀状を刷るのに時間がかかっています。
中東ではイスラエルとハマスの戦闘が再開されました。米国のライス国務長官がイスラエル擁護的な談話を発表しましたが、よいのでしょうか? こちらは仲良しの話です。

仲、字は夷吾、嘗て鮑叔と賈(こ)す。利を分って多く自ら与う。鮑叔以て貪(たん)と為さず。仲の貧しきを知ればなり。嘗て事を謀(はか)って窮困す。鮑叔以て愚と為さず。時に利と不利と有るを知ればなり。嘗て三たび戦って三たび走る。鮑叔以て怯と為さず。仲に老母有るを知ればなり。仲曰く、我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり、と。桓公、諸侯を九合し、天下を一匡(きょう)せるは、皆仲の謀(はかりごと)なり。一にも則ち仲父(ちゅうほ)二にも則ち仲父と言えり。

賈 商売  九合 糾合、鳩合におなじ  一匡 天下の乱れを正し直すこと

十八史略拾い読み

2008-12-27 17:00:06 | Weblog
昨晩宝仙寺入り口脇の加賀屋という酒場に入った。ほぼ満員の盛況でカウンター席に妻と座った。実は詩吟の仲間と前日に5人で寄ったのでした。私は連チャンという訳です。味、価格とも大満足でした。  では続きを

 齊は姜姓、太公望呂尚の封ぜられし所なり。後世桓公に至って諸侯に覇たり。五覇は桓公を始めと為す。名は小白。兄襄公、無道なり。羣弟、禍の及ばんことを恐る。子糾は魯に奔る。管仲之に傅(ふ)たり。小白は莒(きょ)に奔る。鮑叔之に傅たり。襄公、弟無知の弑(しい)する所となり、無知も亦人の殺す所と為る。齊人、小白を莒より召く。而して魯も亦兵を發して糾を送る。管仲嘗て莒の道を遮り、小白を射て帯鈎に中つ。小白先づ齊に至って立つ。鮑叔牙、管仲を薦(すす)めて政を為さしむ。公、怨みを置いて之を用う。

五覇 齊の桓公、晉の文公、楚の荘王、呉王夫差、越王勾践(呉王と越王に代えて宋の襄公、秦の穆公を入れる場合もある) 傅 守役  莒 地名  帯鈎 帯がね、バックル  中つ 的中の中、当てる

十八史略拾い読み 介子推

2008-12-26 18:01:37 | Weblog
今日は北風が強く、寒い一日でした。こんな夜は熱燗でしょう。

子推の従者、書を宮門に懸けて曰く、龍有り矯矯(きょうきょう)たり。頃(しばら)く其の所を失う。五蛇之に従って、天下を周流す。龍饑えて食に乏し。一蛇股を刲(さ)く。龍淵に返り、其の壤土に安んず。四蛇穴に入る。皆處處有り。一蛇穴無し。中野(ちゅうや)に號(な)く、と。公曰く、噫、寡人の過なり、と。人をして之を求めしむ。得ず。綿上の山中に隠る。其の山を焚(や)く。子推死す。後人之が為に寒食す。文公、綿上の田(でん)を環(めぐら)して之を封じ、號(ごう)して介山と曰う。文公卒す。其の後遂に世よ覇たり。以下略

矯矯 高く挙がるさま  刲 割に同じ  中野 野中に同じ  寡人 自分をいう謙遜語 徳のすくない(寡)ひとの意  寒食 介子推の死を悼んだ人々が火を使う食事を三日間(冬至後105日の前後)止めたことから始まったという。