いよいよ残り一日となりました。昨夜は風邪気味で時々呼吸が苦しくなって良く眠れませんでした。年賀状の宛名記入を午前中やって新井薬師のヤマトへ。ところで、イスラエルのガザ地区への空爆とハマスのロケット弾攻撃はまだ止みそうにありません、年を越すのは必至です。何とかしようとフランスなどが呼びかけているようですが。
桓公より八世にして景公に至る。晏子という者有り、之に事(つか)う。名は嬰、字は平仲。節倹力行を以て齊に重んぜらる。一狐裘三十年、豚肩豆(とう)を掩(おお)わず。齊国の士、待って以て火を挙ぐる者、七十余家あり。中略 公、晏子をして晉に之(ゆ)かしむ。叔向(しゅくきょう)と私語し、以為(おも)えらく、齊の政(まつりごと)は必ず陳氏に帰せん、と。其の言の如し。景公の後五世にして康公に至る。田和、周の安王の命を受けて侯と為り、康公を海浜に遷(うつ)して以て死せしむ。姜氏遂に絶えて祀(まつ)らず。
桓公から八世景公に仕えた晏嬰は倹約家、努力家として齊に重く用いられていた。狐の皮ごろもを三十年着て、豚の供え物は豆という祭器に盛っても隠れるほどに質素であった。しかし齊国の人の中に晏子の援助を待って炊事の出来る者が七十余家もあった。 中略 景公は嘗て晏子を晉に使いにやった。その時晉の叔向と私語してわが国齊の政治は将来陳氏に帰すでしょうと言った。果たして景公の五代後康公の時、田和(でんか)という者が、周の安王の命を受けて諸侯となり、康公を海辺に追いやってそこで死なせた。齊の姜氏は断絶して先祖の霊をまつる者が居なくなった。
桓公より八世にして景公に至る。晏子という者有り、之に事(つか)う。名は嬰、字は平仲。節倹力行を以て齊に重んぜらる。一狐裘三十年、豚肩豆(とう)を掩(おお)わず。齊国の士、待って以て火を挙ぐる者、七十余家あり。中略 公、晏子をして晉に之(ゆ)かしむ。叔向(しゅくきょう)と私語し、以為(おも)えらく、齊の政(まつりごと)は必ず陳氏に帰せん、と。其の言の如し。景公の後五世にして康公に至る。田和、周の安王の命を受けて侯と為り、康公を海浜に遷(うつ)して以て死せしむ。姜氏遂に絶えて祀(まつ)らず。
桓公から八世景公に仕えた晏嬰は倹約家、努力家として齊に重く用いられていた。狐の皮ごろもを三十年着て、豚の供え物は豆という祭器に盛っても隠れるほどに質素であった。しかし齊国の人の中に晏子の援助を待って炊事の出来る者が七十余家もあった。 中略 景公は嘗て晏子を晉に使いにやった。その時晉の叔向と私語してわが国齊の政治は将来陳氏に帰すでしょうと言った。果たして景公の五代後康公の時、田和(でんか)という者が、周の安王の命を受けて諸侯となり、康公を海辺に追いやってそこで死なせた。齊の姜氏は断絶して先祖の霊をまつる者が居なくなった。