昭烈皇帝諱備、字玄、漢景帝子中山靖王勝之後。有大志。少言語、喜怒不形。身長七尺五寸。垂手下膝、顧自見其耳。
蜀中傳言、曹丕簒立、帝已遇害。於是漢中王、發喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武擔之南、大赦、改元章武。
以諸葛亮爲丞相、許靖爲司徒。
立宗廟、袷祭高皇帝以下。
立夫人呉氏爲皇后、子禪爲皇太子。
昭烈皇帝諱(いみな)は備、字(あざな)は玄徳。漢の景帝の子の中山靖王勝の後(のち)なり。大志有り。言語少なく、喜怒形(あら)わさず。身の長(たけ)七尺五寸。手を垂るれば膝より下り、顧みれば自ら其の耳を見るという。
蜀中伝えて言う、曹丕簒立(さんりつ)して、帝已に害に遇えりと。是(ここ)に於いて漢中王、喪を発し服を制し、諡(おくりな)して孝愍皇帝(こうびんこうてい)と曰う。夏四月、帝位に武担の南に即き、大赦し、元を章武と改む。
諸葛亮を以って丞相と為し、許靖(きょせい)を司徒と為す。
宗廟を立てて、高皇帝以下を袷祭(こうさい)す。
夫人の呉氏を立てて皇后と為し、子の禅を皇太子と為す。
諱 生きているときは名といい、死んでからいみなと言う。字 男子が成人後につける別名。 諡 死後にその徳を称えて贈る称号。 簒立 帝位を奪って代り立つ。 服を制し 喪に服すこと。 武擔 武担山。袷祭 あわせ祭る、合祀。
昭烈皇帝は諱は備、字は玄徳。漢の景帝の子の中山に封ぜられた靖王勝の後裔である。大志を抱き、口数少なく、喜怒を表さなかった。身の丈七尺五寸、手を垂れると膝より下まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたといわれる。
曹丕が帝位を奪って立ち、献帝は殺害されたとの噂が伝わった。漢中王劉備は国中に喪を発して自ら服喪して、献帝に孝愍皇帝と諡を贈った。この夏の四月、漢中王は武担山の南で帝位に即き(221年)大赦を行い、元号を章武とした。
また諸葛亮を丞相に、許靖を司徒に任命した。
宗廟を立てて、高祖以下の皇帝をあわせ祭った。
夫人の呉氏を皇后に立て、子の禅を皇太子とした。
蜀中傳言、曹丕簒立、帝已遇害。於是漢中王、發喪制服、諡曰孝愍皇帝。夏四月、即帝位於武擔之南、大赦、改元章武。
以諸葛亮爲丞相、許靖爲司徒。
立宗廟、袷祭高皇帝以下。
立夫人呉氏爲皇后、子禪爲皇太子。
昭烈皇帝諱(いみな)は備、字(あざな)は玄徳。漢の景帝の子の中山靖王勝の後(のち)なり。大志有り。言語少なく、喜怒形(あら)わさず。身の長(たけ)七尺五寸。手を垂るれば膝より下り、顧みれば自ら其の耳を見るという。
蜀中伝えて言う、曹丕簒立(さんりつ)して、帝已に害に遇えりと。是(ここ)に於いて漢中王、喪を発し服を制し、諡(おくりな)して孝愍皇帝(こうびんこうてい)と曰う。夏四月、帝位に武担の南に即き、大赦し、元を章武と改む。
諸葛亮を以って丞相と為し、許靖(きょせい)を司徒と為す。
宗廟を立てて、高皇帝以下を袷祭(こうさい)す。
夫人の呉氏を立てて皇后と為し、子の禅を皇太子と為す。
諱 生きているときは名といい、死んでからいみなと言う。字 男子が成人後につける別名。 諡 死後にその徳を称えて贈る称号。 簒立 帝位を奪って代り立つ。 服を制し 喪に服すこと。 武擔 武担山。袷祭 あわせ祭る、合祀。
昭烈皇帝は諱は備、字は玄徳。漢の景帝の子の中山に封ぜられた靖王勝の後裔である。大志を抱き、口数少なく、喜怒を表さなかった。身の丈七尺五寸、手を垂れると膝より下まで届き、ふり返ると自分の耳が見えたといわれる。
曹丕が帝位を奪って立ち、献帝は殺害されたとの噂が伝わった。漢中王劉備は国中に喪を発して自ら服喪して、献帝に孝愍皇帝と諡を贈った。この夏の四月、漢中王は武担山の南で帝位に即き(221年)大赦を行い、元号を章武とした。
また諸葛亮を丞相に、許靖を司徒に任命した。
宗廟を立てて、高祖以下の皇帝をあわせ祭った。
夫人の呉氏を皇后に立て、子の禅を皇太子とした。