圬者王承福伝 三ノ二
嘻、吾操鏝以入貴富之家有年矣。有一至者焉、又往過之則爲墟矣。有再至三至者焉、而往過之則爲墟矣。問之其隣、或曰、噫、刑戮也。或曰、身既死而其子孫不能有也。或曰、死而歸之官也。吾以是觀之、非所謂食焉怠其事、而得天殃者邪。非強心以智而不足、不擇其才之稱否而冒之者邪。非多行可愧、知其不可而強爲之者邪。將貴富難守、簿功而厚饗之者邪。抑豐悴有時、一去一來而不可常者邪。吾之心憫焉。是故擇其力之可能者行焉。樂富貴而非貧賤、我豈異於人哉。
又曰、功大者、其所以自奉也博。妻與子、皆養於我者也。吾能簿而功小。不有之可也。又吾所謂勞力者、若立吾家而力不足、則心又勞也。一身而二任焉、雖聖者不可能也。
「嘻(ああ)、吾鏝(こて)を操(と)って以って貴富の家に入ること年有り。一たび至るものあり、また往きてこれを過(よぎ)れば則ち墟(きょ)となる。再び至り三たび至るもの有り、往きてこれを過れば則ち墟となる。これをその隣に問うに、或いは曰く、噫(ああ) 刑戮(けいりく)せらると。或いは曰く、身既に死して、その子孫有(たも)つこと能わずと。或いは曰く、死してこれを官に帰すと。
吾是を以ってこれを観るに、いわゆる食ろうてそのことを怠り、天殃(てんおう)を得るものに非ずや。心に強(し)うるに智を以ってして足らず、その才の称否(しょうひ)を択(えら)ばずしてこれを冒すものに非ずや。多く愧ずべきを行い、その不可なるを知って強いてこれを為すものに非ずや。将(は)た貴富守り難く、薄き功にて厚くこれを饗(う)けしものか。抑(そもそも)豊悴(ほうすい)に時有りて、一去一来して常とすべからざるものか。吾の心憫む。是の故にその力の能くすべき者を択んで行うなり。富貴を楽しんで貧賎を悲しむは、我豈人に異ならんや」と。また曰く「功の大なる者は、その自奉(じほう)する所以や博し。妻と子とは、皆我に養わるる者なり。吾能(のう)薄うして功小(ちいさ)し。これを有せずして可なり。また吾所謂(いわゆる)力を労する者、若し吾家を立てて力足らずんば、則ち心また労す。一つの身にして二つに任ずるは、聖者と雖も能くすべからざるなり」と。
年有り なが年になる。 刑戮 処刑。 天殃 天罰。 心 頭脳。 称否 称は適、つりあうか否か。 豊悴 盛衰。 自奉 自分の身を養う。 我 われわれ。 吾 私、自分。
「私が鏝を取って富貴の家に出入りするのも長年にわたりますが、一度行っただけの家が再び通りかかると、廃墟になっていたり、二度三度と出入りした家でも、無人になっていることがあります。隣家に聞くと、罪を得て処刑されたとか、主が死んで子孫が家を守れなかったとか、死に絶えて官に没収された、と聞きます。
私が思いますに、その人たちは無駄に飯を食ってろくな仕事もせず、罰があたったのではないでしょうか。或いは頭をしぼっても智慧が足りず、才能の適否を考えないで無理をしていたのではないでしょうか。或いは恥ずべきを承知のうえであえて行ったのではないでしょうか。それとも僅かな功で過分の待遇を受けていたためでしょうか。或いは盛衰には時機があって、代わる代わる巡ってくるのでしょうか。私はこの人達を憐れに思います。ですから自分の能力に見合った仕事をしているのです。私とて富貴を楽しんで貧賤を悲しむ気持ちは人と変わりません。」
またこうも言った。「大きな仕事のできる人は、自分の身を養う手立ても多いものです。妻子はわれわれ働き手に養われるものです。私は能力がとぼしく小さい仕事しかできませんから妻や子が持てなくても仕方ないのです。それに私は力を使う者ですが、もし家庭を持って力足らずだったら、さらに心を苦しめることになります。一つの身で肉体と精神の二つの苦労にたえることは聖人でもできないことです」と。
嘻、吾操鏝以入貴富之家有年矣。有一至者焉、又往過之則爲墟矣。有再至三至者焉、而往過之則爲墟矣。問之其隣、或曰、噫、刑戮也。或曰、身既死而其子孫不能有也。或曰、死而歸之官也。吾以是觀之、非所謂食焉怠其事、而得天殃者邪。非強心以智而不足、不擇其才之稱否而冒之者邪。非多行可愧、知其不可而強爲之者邪。將貴富難守、簿功而厚饗之者邪。抑豐悴有時、一去一來而不可常者邪。吾之心憫焉。是故擇其力之可能者行焉。樂富貴而非貧賤、我豈異於人哉。
又曰、功大者、其所以自奉也博。妻與子、皆養於我者也。吾能簿而功小。不有之可也。又吾所謂勞力者、若立吾家而力不足、則心又勞也。一身而二任焉、雖聖者不可能也。
「嘻(ああ)、吾鏝(こて)を操(と)って以って貴富の家に入ること年有り。一たび至るものあり、また往きてこれを過(よぎ)れば則ち墟(きょ)となる。再び至り三たび至るもの有り、往きてこれを過れば則ち墟となる。これをその隣に問うに、或いは曰く、噫(ああ) 刑戮(けいりく)せらると。或いは曰く、身既に死して、その子孫有(たも)つこと能わずと。或いは曰く、死してこれを官に帰すと。
吾是を以ってこれを観るに、いわゆる食ろうてそのことを怠り、天殃(てんおう)を得るものに非ずや。心に強(し)うるに智を以ってして足らず、その才の称否(しょうひ)を択(えら)ばずしてこれを冒すものに非ずや。多く愧ずべきを行い、その不可なるを知って強いてこれを為すものに非ずや。将(は)た貴富守り難く、薄き功にて厚くこれを饗(う)けしものか。抑(そもそも)豊悴(ほうすい)に時有りて、一去一来して常とすべからざるものか。吾の心憫む。是の故にその力の能くすべき者を択んで行うなり。富貴を楽しんで貧賎を悲しむは、我豈人に異ならんや」と。また曰く「功の大なる者は、その自奉(じほう)する所以や博し。妻と子とは、皆我に養わるる者なり。吾能(のう)薄うして功小(ちいさ)し。これを有せずして可なり。また吾所謂(いわゆる)力を労する者、若し吾家を立てて力足らずんば、則ち心また労す。一つの身にして二つに任ずるは、聖者と雖も能くすべからざるなり」と。
年有り なが年になる。 刑戮 処刑。 天殃 天罰。 心 頭脳。 称否 称は適、つりあうか否か。 豊悴 盛衰。 自奉 自分の身を養う。 我 われわれ。 吾 私、自分。
「私が鏝を取って富貴の家に出入りするのも長年にわたりますが、一度行っただけの家が再び通りかかると、廃墟になっていたり、二度三度と出入りした家でも、無人になっていることがあります。隣家に聞くと、罪を得て処刑されたとか、主が死んで子孫が家を守れなかったとか、死に絶えて官に没収された、と聞きます。
私が思いますに、その人たちは無駄に飯を食ってろくな仕事もせず、罰があたったのではないでしょうか。或いは頭をしぼっても智慧が足りず、才能の適否を考えないで無理をしていたのではないでしょうか。或いは恥ずべきを承知のうえであえて行ったのではないでしょうか。それとも僅かな功で過分の待遇を受けていたためでしょうか。或いは盛衰には時機があって、代わる代わる巡ってくるのでしょうか。私はこの人達を憐れに思います。ですから自分の能力に見合った仕事をしているのです。私とて富貴を楽しんで貧賤を悲しむ気持ちは人と変わりません。」
またこうも言った。「大きな仕事のできる人は、自分の身を養う手立ても多いものです。妻子はわれわれ働き手に養われるものです。私は能力がとぼしく小さい仕事しかできませんから妻や子が持てなくても仕方ないのです。それに私は力を使う者ですが、もし家庭を持って力足らずだったら、さらに心を苦しめることになります。一つの身で肉体と精神の二つの苦労にたえることは聖人でもできないことです」と。