寡黙堂ひとりごと

詩吟と漢詩・漢文が趣味です。火曜日と木曜日が詩吟の日です花も酒も好きな無口な男です。

屈原と離騒について

2009-03-28 13:47:08 | Weblog
 離騒 広辞苑には、「離」は遭う・かかる(罹)「騒」は憂いの意、とある。屈原の作った辞賦。生い立ちから、讒によって楚の朝廷を逐われ、失意の果て汨羅に投水する決心をするまでの無限の憂愁を述べた自伝的長編叙事詩。楚辞の代表作。

 屈原 名は平、字は原。また、名を正則、字を霊均ともいう楚の王族に生まれ、王の側近として活躍したが妬まれて失脚、湘江の辺をさまよい、ついに汨羅に投身。憂国の情をもって歌う自伝的叙事詩「離騒」を始め、楚の歌謡をもととした楚辞文学を集大成した。(前343ごろ~前277ごろ) とある。

ところで明日は中野区吟連のコンクール。今年から私は出場しませんが、うちの教室の3人と、流派の2人には是非頑張ってもらいたい。

十八史略拾い読み 屈原汨羅に投ず

2009-03-27 18:31:52 | Weblog
秦昭王與懐王盟于黄棘。既而遣書懐王。願與君王會武關。屈平不可。子蘭勸王行。秦人執之、以歸。楚人立其子頃襄王。懐王卒於秦。楚人憐之、如悲親戚。初屈平爲懐王所任、以讒見疏、作離騒以自怨。至頃襄王時、又以譖遷江南。遂投汨羅以死。秦抜郢。楚徒於陳。頃襄王卒。孝烈王立。又徒於壽春。

秦の昭王、懐王と黄棘に盟う。既にして書を懐王に遣(おく)る。願わくは君王と武関に会せん、と。屈平可(き)かず。子蘭、王に勧めて行かしむ。秦人之を執(とら)え、以て帰る。楚人その子頃襄王を立つ。懐王、秦に卒(しゅっ)す。楚人之を憐れむこと、親戚を悲しむが如し。初め屈平、懐王の任ずる所と為りしが、讒(ざん)を以て疏(うと)んぜられ、離騒を作って以て自ら怨む。頃襄王の時に至り、又譖(しん)を以て江南に遷(うつ)る。遂に汨羅に投じて以て死す。秦、郢(えい)を抜く。楚、陳に徒(うつ)る。頃襄王卒す。孝烈王立つ。又壽春に徒る。

秦の昭王は、懐王と黄棘で誼を通じたのち書をおくって、武関で会うことを求めた。   屈平(屈原)は反対したが子蘭が行くことを勧めた。懐王は捕えられ、秦で死ぬ。初め屈平は懐王に信任されていたが、讒言する者があって遠ざけられ、離騒という詩を作って自ら不遇を怨んだ。さらに頃襄王の時に至って再び人のそしるに遭って遂に汨羅に身を投げた。

十八史略拾い読み 楚の二

2009-03-24 12:03:29 | Weblog
歴共王・康王・郟敖・靈王・平王・昭王・惠王・簡王・聲王・悼王・肅王・宣王・威王、至懐王。秦惠王欲伐齊、患楚與從親、乃使張儀説楚王曰、王閉關而絶齊、請獻商・於之地六百里。懐王信之、使勇士北辱齊王。齊王大怒、而與秦合。楚使受地於秦。儀曰、地從某至某、廣袤六里。懐王大怒、伐秦大敗。

共王・康王・郟敖・靈王・平王・昭王・惠王・簡王・聲王・悼王・肅王・宣王・威王、を歴(へ)て懐王に至る。秦の惠王齊を伐たんと欲し、楚の與に従親(しょうしん)せんことを患え、乃ち張儀をして楚王に説いて曰く、王、関を閉じて斉に絶たば、請う商・於の地六百里を献ぜん、と。懐王之を信じ、勇士をして北のかた斉王を辱かしめしむ。斉王大いに怒って、秦と合す。楚、地を秦に受けしむ。儀曰く、地は某より某に至るまで、広袤六里なり、と。懐王大いに怒り、秦を伐って大いに敗る。

秦の惠王は東の斉を伐とうと思ったが、南の楚が斉と合従することを恐れた。そこで張儀を遣わして楚の懐王に説かせて、「大王が関所を閉じて斉と交渉を絶つならば、秦の商・於の二県の地六百里を献上しましょう」と。懐王はこれを信じて勇士を派遣して斉王を辱めた。斉王激怒して、秦と同盟してしまった。楚は約束の地を秦に受け取りに行ったところ、張儀はどこそこからどこそこまで広さ六里でございます、どうぞお受け取りあれや、と言った。懐王大いに怒り、秦を伐ったが大敗してしまった。

廣袤 廣は東西の広さ、袤は南北の広さ

直江兼続 閻魔大王告げ文

2009-03-23 17:24:41 | Weblog
昨年夏、直江兼続の終わりにあたって閻魔大王に高札を立てた話を書いたことがあった。似た話をどこかで読んだ気がしたが、思い出した。
 魏の文侯の時代、西門豹が任地に赴いた際、領民に何が一番苦しいか尋ねたところ、「河の神に毎年嫁を差し出さねばならず、その莫大な費用を税として徴収される。年頃の美しい娘の居る家は他国へ逃げ出す。そのうえ余った大金は顔役と役人それに巫女が分け取ってしまうのです」と。これを聞いた西門豹は今度その日が来たら是非見たいから私にも知らせなさいと命じた。さて、その日がきて、西門豹が花嫁を見ると泣きはらしておどおどした様子。そこで「この娘はあまり美しくないので、巫女どの河の神に使いに行って、もっと美しい娘を支度する間待ってくだされ、と言って下さい」と言うが早いか、それッとばかり巫女の長を河に投げ込んだ。しばらく様子を窺い、「もう一度行って下され」と次の巫女次の巫女と投げ入れた。「どうも女とみて侮られているようだ、今度は顔役殿行ってくだされ」と投げ入れる。残った顔役や役人はふるえだして許しを請うた。という話、おそらく兼続も知っていたと思われるのだが。さて

十八史略拾い読み 三年蜚(と)ばず鳴かず

2009-03-19 18:08:01 | Weblog

歴穆王至荘王。即位三年不出令、日夜爲樂。令國中、敢諫者死。伍擧曰、有鳥在阜。三年不蜚不鳴。是何鳥也。王曰、三年不飛、飛將衝天。三年不鳴、鳴將驚人。蘇從亦入諫。王乃左執從手、右抽刀、以斷鐘鼓之懸。明日聽政、任伍擧・蘇從。國人大悦。又得孫叔敖爲相、遂覇諸侯。

穆王を歴(へ)て荘王に至る。位に即(つ)いて三年令を出さず、日夜楽しみを為す。国中に令す、敢えて諌むる者は死せん、と。伍擧(ごきょ)曰く、鳥有り阜(おか)に在り。三年蜚(と)ばず鳴かず。是何の鳥ぞや、と。王曰く、三年飛ばず、飛ばば将に天を衝かんとす。三年鳴かず、鳴かば将に人を驚かさんとす、と。蘇從(そじゅう)も亦入って諌む。王乃ち左に從の手を執り、右に刀を抽(ぬ)いて、鐘鼓の懸を断つ。明日(めいじつ)政を聴き、伍擧・蘇從に任ず。国人大いに悦ぶ。又孫叔敖を得て相と為し、遂に諸侯に覇たり。

阜 丘  蜚 飛に同じ  鐘鼓の懸を断つ 楽器を吊る紐を切る。